女神の神殿1



 洞窟を抜けるのはそれから間もなくだった。途中発掘中の鉱石が綺麗で一部頂いたり、道の途中で皮のグローブを見つけたりと、洞窟の中には何かと拾いものがあった。そんな寄り道もあったからだろうか。洞窟を抜ける頃にはもうだいぶ日が傾いていた。

「成程、この辺りか」

 外に出るや否や、ミズミは見晴らしのよい丘に立ち、周りを見渡しながらそう言った。夕暮れの近づく草原が一望できる丘は、優しく風が吹き、私達の髪を撫でていく。時間も時間だからか、暖かさの中に薄っすらと冷気も感じさせる風だ。オレンジの空と緑の草の色彩に私が見とれている隣で、ミズミはきょろきょろと落ち着きがない。どうやら彼女の知っている土地のようで、何度か頷きながらミズミは周りを見渡し確認している。辺りは夜に向かっている最中で、見あげれば星もいくつか輝きだしていた。

「ティナ、今日は野宿になりそうだが、大丈夫か?」

 空を見上げる私に、ミズミが心配そうに声をかける。私はため息を一つ挟んで頷いた。

「町が近くにないなら、仕方ないもんね。せめて風とか……避けられるような場所ってないのかなぁ……」

 言いながら私は背中をさする。昨日泊めてもらった女の人のお家だって、決して寝心地が良かったわけではない。せめてちゃんとしたベッドで寝たいなぁ……なんて思うけど、もしかしたらこの闇族の町にはそういう場所って少ないんだろうか? そう思うと、私はやっぱりこの大陸の人間ではないんだなぁ、なんてことを改めて感じる。

「あ……そうだ」

 そんな私の考えをミズミの一言が遮った。急に思い出したふうな彼女は、当たりを見渡しながら遠くに目を凝らしていた。

「どうしたの?」

「そういえば、この辺りに神殿があったように思う。そこにお邪魔させてもらおうかと思ってな」

 言いながらミズミはある一定方向に視点を定め、じっと目を凝らしてるように見えた。

「――あの辺りか……。ティナ、行くぞ」

「え、行くって……何処に?」

「だから神殿にさ」

 薄暗い草原を、私たちは足早に通り過ぎていった。


 ミズミに案内された場所は、神殿というにはあまりに寂しい雰囲気の場所だった。草原にぽつりと佇むそれは、ただの石づくりの小さな小屋のように見えた。しかもその小屋のような建物はボロボロで壁も柱も所々かけていて、その上明かりもない。薄暗い草原に灰色の石の壁が白っぽく見えるそれは、酷く寂れた印象を受けた。

「女神の神殿だ」

 神殿の姿を確認すると、ミズミは呟くように言った。

「女神?」

 なんの女神だろう、と思って私が問うと、ミズミは私を横目で見て口を開いた。

「俺たち、闇族の神は『闇の女神』と言うんだ。……ティナは知らないのか?」

「うん、初めて聞いたよ」

 素直に答えれば、ミズミは小さくため息を付いた。

「……そうか。ま、闇族以外の種族じゃ無理もないか」

 言いながら、ミズミはその神殿の中に入っていく。

 扉も何もない石づくりの神殿は、柱で挟まれた門らしい入り口が口を開いているだけで、周りを飾るものは何もない。大きく切り取られた窓には、風を遮る引き戸もガラスもなく、そこから外の星明りがわずかに差し込むばかりだ。中に入ると、ミズミは例の光の玉をまた作り上げた。光の玉に照らされて、神殿の中が白く照らされる。改めてよく見れば、本当に簡易な作りの部屋だった。あるのは石の壁に数本の柱、そして部屋の中心に立っている大きな石版。

 神殿はそれだけだったのだ。

「……え、これが神殿?」

 思わず私が声を漏らすと、ミズミはまたそっけなくああ、と答える。

「えー……なんかイメージと違うなぁ……。神殿って、もっとこう……神々しいものなのかと……」

 私の言葉に唐突にミズミが振り返る。その表情はあまりに真面目で私は少々面食らった。そんな私に二、三度瞬きをして、ミズミはその唇を開いた。

「ティナの知る神殿の形はどんななんだ?」

「え、どんなって……うーん、えっと……た、例えば……」

 答えようとして、その姿が思い出せないことに気づく。薄っすらと頭に浮かぶのは、白い石造りの建物、そしてその建物の周りを囲う炎の灯った柱――

 ああ、でも――肝心の神殿の中が思い出せない。

 しばらく私がうんうん唸っていると、ミズミは深いため息をついた。

「少しは残っている記憶があるかと思ったが……神殿はきっかけにはならなかったか」

「うーん……で、でも、白っぽい神殿、って姿は出てきたよ!」

 少しでも思い出せたことを口にすると、ミズミはその緑色の瞳を少しだけ丸くした。

「ほう、少しは思い出したか」

「うん、でも……思い出せるのはそこまで……なんの神殿だったのか……そこで何してたかも思い出せない……」

 頭を抱えて答える私に、ミズミは思いがけずあっけらかんとしていた。

「ま、そう焦るな。ここ以外の神殿の形が出てきただけでも上出来だ」

 その言葉にミズミの方を向けば、彼女は既に神殿内を覗き周っていた。どうやら私の記憶に関しては興味をもう失ってしまったらしい。そんな彼女とは裏腹に、思い出せないことに少々私は落ち込んでいた。私の記憶はなかなか時間が経ってもヒントが出てこない。焦っても仕方がないのは分かっているけれど……。

 一瞬期待しただけに、私は思わずため息をつく。

 そんな私にミズミは声をかけ、部屋の隅で私を手招いた。

「ティナ、ここに簡易なベッドならあるぞ。ここなら休めそうだ」

「ホント!?」

 ベッドという言葉に私は急に元気になって、ミズミのいる方向に走り寄った。期待を込めて壁の向こうを覗きみると……

 木で出来た、いかにも硬そうなベッドの上に、やはりボロボロの布が数枚重ねられているだけだった。それを見て私はがっくりとうなだれてしまう。

「ああ……今日も硬いベッドで寝るのね……」

「寝床があるだけよしと思え。野宿よりはマシだろ」

 落ち込む私とは裏腹に、ミズミは何も気にする様子もなくそのベッドの上に腰掛ける。首元のマントの留め金を外すと、早速横になり深く息を吸う。

 横になったミズミを見て、私は初めて気がついた。彼女の首には、綺麗な宝石が飾られていたのだ。黒い革を細く切ったものに貼り付けられた丸く青い宝石だった。薄い星明りを反射して光るそれは、まるで水面のように青く揺らめいてとても綺麗だ。その綺麗さ故なのかしら、なんだか妙に心臓が高鳴る自分がいた。

 ちゃんとアクセサリーにも興味があるだなんて、ミズミもやっぱり女の人なんだなぁなんて、そんなことが無性に嬉しく感じた。

「……何笑ってやがる」

 少々不機嫌そうに視線を向けるミズミに、私はクスクス笑いながら首を振って答える。

「なんでもないよ。ミズミも女の子なんだなぁと思って」

「…………」

 少々不服そうな表情だがすぐにため息をつくと、彼女はマントを体にかけて寝る支度を進める。そんなリラックスしたミズミの隣のベッドに腰掛けると、私はその固い感触を確認してため息を付いた。

 観念して、私もベッドと呼ぶにはあまりに固いその上に足を乗せた時だった。

「ティナは、いつもならもっとちゃんとしたベッドで寝てたんだな」

 声をかけられ視線を向ければ、横になったまま手にはめたグローブを外しているミズミが言葉を続けていた。

「あまりこういう寝床は慣れてないか?」

「うん……よく覚えてないけど、いつもはもっとふかふかのベッドで寝てた気がする」

 思い出せないけれど、感覚はきっと体が覚えているのだろう。横になる背中に違和感を感じながら私は答える。きっといつもはこんな硬い感触で寝ていなかった筈だ。

「ふぅん……精霊族の文化は進んでいると聞くからな」

 言いながら、ミズミはまた一つため息をつく。

「ミズミは? いつもはどんなベッドで寝るの?」

 顔を横に向けて問えば、ミズミはもうその瞳を閉じている。小さく囁くように彼女は答えた。

「いつもはもう少しマシさ……。俺は野宿にも慣れてるから、これくらいどうってこともないがな……」

 言い終わるともう彼女の寝息が響いていた。薄暗い石造りの神殿の中、彼女の寝息はやたらと平和に感じていた。

 それを聞いて、私は思わずため息をつく。

 ……無理もないか……。

 いくら治癒魔法で回復したとはいえ、正直体力までは完全に回復できない。あれだけの術を使って戦い続けてきたんだもの、疲れていても不思議じゃない。ゆっくり寝て、回復してもらわないとね。

 私も寝ようと思って息を吸った時、思いがけずお腹がなった。そこで初めて、夕食がまだだったことを思い出した。

「ねぇ、ミズミ、ごはん……」

 呼びかけても、もう寝ているミズミが答える筈もない。それに、食事になるようなものはそれこそ、あの集落の女性からもらった果実ぐらいだ。朝食を考えたら、確かに今空腹を我慢した方がいささかマシかも……。

 そんなことも思いながら、ひもじいお腹を抑えこんで私は無理やり瞼を閉じた。お腹は空いているけれど、でもそれよりも体の疲労が大きくて、私もいつの間にか眠りに落ちていた。


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