☆ 彼が見る夢は(リュディガー)
夢を、見ていた。
これが夢だと分かった理由は、学校の廊下に立つリュディガーの正面に、普段見慣れた姿とはかけ離れた様子の担任・ディアナがいたからだ。
彼女はいつもの紫色のドレス姿ではなくて、生成り色の粗末なワンピースを着ていた。
ここ一年ですっかり艶の失せたボサボサの栗毛は背中に垂らしたままで、彼女が名門校の教師だとは思えないくらいだ。
――いや、違う。
夢の中のリュディガーは、分かっていた。
もう、目の前の彼女はイステル先生ではないことが。
「……行くんだな」
リュディガーが声を掛けると、くたびれたディアナは緩慢な動作で頷いた。
「……もう、私は教師ではないですから」
「……。なあ、先生」
リュディガーは、この夢の設定が分かっていた。
一年生の進級試験が終わり、補講クラス六人のうち進級できたのは三人だけ。
退学が決まり、試験もサボったエルヴィンは風のようにさっと学校を離れた。試験を半分終えたところで気絶してしまったルッツは、両親に迎えに来てもらい実家に帰った。
エーリカはツェツィーリエやレーネと別れがたいようで泣いていたが、最後には家族に引きずられて馬車に乗り込んでいった。
――あの、誰一人として笑顔になれなかった進級試験から、半年。
一年生の魔法実技を担当していたディアナが、前期試験で特定の生徒に点数が加算されるような不正をしたことで、退職処分を受けた。
初めて聞いたときは、リュディガーも驚いた。
ディアナは敏腕な教師とは言えなかったが、それでもまさかこんなことをするとは思ってもいなかったからだ。
「……どうして、あんなことをしたんだ」
「……」
「いや、だいたいの理由は予想できる。……おまえ、今年は補講クラスに入れられる生徒を出さないようにという思いで、不正をしたんだろう? なんでそんな馬鹿なことをしたんだ?」
ディアナの不正は、一年生のある女子生徒によって露呈した。
ディアナが不正点を加えようとした生徒本人には非はないと学校が判断したのが、不幸中の幸いだった。
だがディアナは職員室でも責められ生徒たちからも悪口を言われ、こうして追われるように学校を去らざるを得なくなってしまった。
ディアナはリュディガーの問いには答えず、顔を横に向けた。
「……ごめんなさい、ベイル君。私は……最悪の教師でした」
ディアナのかすれた声を、リュディガーは目を細めて聞く。
不正以前から、ディアナの悪評はあちこちで聞いていた。
一年生をひたすらしごき、落ちこぼれそうな者を罵倒する。鬼婆、鬼畜教師、とささやかれているのを耳にしていた。
……だが、リュディガーは知っている。
彼女はきっと、落ちこぼれを出させまいと必死になっていたのだと。
そのやり方は褒められたものではないが、彼女なりの信念があってがむしゃらにあがいていたのだと。
そして――本当の彼女は、一年生後期課程開始直後のような、優しくておっとりとした人なのだと。
補講クラスの生徒の成績がなかなか伸びず、ツェツィーリエなど性格のきつい者たちと打ち解けなかった彼女は、次第に笑わなくなった。
冬のグループ試験も、全員が生きていたことが不思議なくらいの散々な結果だった。
あれをきっかけにルッツはますます臆病になり、レーネが体調を崩すことも多くなった。
分かっている。
ディアナ一人が悪いのではない。リュディガーも……もっと何かできたはずだった。
だがディアナは顔を背けたまま、歩き出した。
そうしてそのままリュディガーの隣を通っていく。
「さようなら、ベイル君。……もし、私が人生をやり直せるなら……あなたたちを正しく導ける教師に、なりたかったです」
「っ……先生!」
腕を、掴もうとした。
待ってくれ、と言おうとした。
だが伸ばした手はディアナの細い腕には届かず、今にも砕け散りそうなディアナの姿は秋めく外の景色の中に溶けてしまった。
「っ……はっ!?」
リュディガーは、汗だくで目覚めた。
飛び起きたからか、心臓がバクバクと痛いくらい鳴っている。
まだ、夜中を過ぎたくらいだろうか。寝間着代わりのインナーシャツは汗まみれで気持ち悪く、イライラとそれを剥ぎ取ってからリュディガーはベッドに寝転がった。
「……くそっ。なんつー夢だよ……」
腕でまぶたを覆うようにして、はあ、とため息をつく。
――先日、補講クラス六人は全員進級試験に合格した。
また来年度から少しずつ教育課程を再編成するということで補講クラスも撤廃されることになった。
現在は新学期が始まるまでの春休み期間で、リュディガーも楽な気持ちで過ごしていた。
だというのにあんな夢を見るなんて、どうかしている。
「……先生」
夢の中のディアナは、リュディガーの知るディアナとは全く違っていた。
痩せ衰えており笑顔もなく、しかも幾多もの失敗を重ねた彼女はまるで亡霊のような姿だった。
もし、もしも。
何か違えば、彼女はああなっていたのかもしれない。
同時に、補講クラスの仲間たちも散り散りバラバラになっていたことだろう。
そうならなかったのは、ディアナ本人が頑張ったから。
そんな彼女だから――リュディガーもつい目で追い、意地悪をして、迫って困らせてやりたいと思うようになった。
だが、大丈夫だ。
きっと自分たちは、あんな夢のようにはならない。
ディアナも、ずっと笑っていてくれる。
「……そんなおまえだから、オレも惚れちまったんだからな」
リュディガーは誰にともなくつぶやいてから、なんとなく恥ずかしくなり枕に顔を突っ込んだ。
まだ、夜は明けない。
もう一眠りしたら……次は、いつものディアナが「ベイル君」と呼んでくれる夢を見たかった。
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