17 彼の考えたこと
(まさか、こんなことになるなんて……)
校長が去った職員室はあまりにも居心地が悪くて、ディアナは荷物をかき集めて逃げるように部屋を飛び出した。
フェルディナントはこっそりと、「あんな無茶ぶりに頭を悩ませる必要はない。君は、まずは三人進級だけを念頭に置けばいい」と言ってくれた。
(でもそうすれば先生たちから、「あいつは自分が採用されたいがために、見込みのない生徒を見捨てた」「来年度の生徒たちのことは諦めた」と思われてしまう)
むしろあの校長なら、生意気な口を叩くディアナを黙らせるためにそれくらいのことはしてきそうだ。
それに前にもエルヴィンに言われたように、下手に六人全員を進級させようとした結果広く浅くなってしまい、結局誰も進級できなかった……という、誰にとっても最悪の結末にもなりかねない。
(……ゲームでのディアナは、どうしたんだろう)
人気のない廊下に出たところで、ふとそんなことを思った。
「ヒカリン」のショボ悪役だったディアナは、ヒロイン入学時にも学校に残っていた。少なくとも、リュディガー含む三人は進級できたはずだ。
だが、あれはゲームでの話。
(私は、ストーリーを変えた結果……誰も救われない未来にしてしまっている……?)
くらっとした。
問題なくやっていけば、少なくとも惨めな形でクビにはならないと思っていた。
だがもしかするとこのままでは、ディアナも生徒たちも誰も幸せになれない結末を迎えるのではないか。
(私のやったことは……間違いだった……?)
ヒロインはいじめないし、六人の生徒たちのこともよく考え、そして自分がろくでもない人生を歩まないように気をつける。
……その思いでこの数ヶ月間やってきたことは、間違いだったのか。
「……先生?」
廊下の壁に寄り掛かっていると、背後から青年の声が聞こえてきた。
授業時間中の今、廊下でディアナに話しかける青年は一人しかいない。
「シュナイト君……」
「体調悪そうですね。……医務室に行かれますか?」
振り返った先にいたエルヴィンは、細い眉を心配そうに寄せてディアナを見てきていた。
(落ち込んでいるところを生徒に見られて、心配されるなんて……)
しかも相手は、エルヴィンだ。彼も自分が授業をサボっていることにはいろいろ思うことがあるようだし、疲れている姿は見せたくなかった。
ディアナは腕から落ちそうになっていた教材を抱え直し、エルヴィンに笑顔を向けた。
「いいえ、大丈夫ですよ。これから部屋に戻って授業の準備をしようかと」
「……でも、泣きそうな顔をしてますよ」
そうですか、とあっさり頷いて去ると思いきや、エルヴィンは痛いところを突いてきた。彼が見てもはっきり分かるほど、今の自分はくたびれきっていたのだろうか。
「……そんなことは、ないです」
「あるでしょう。……部屋まで戻るのなら、俺が荷物を持ちます」
「嬉しいけれど私としては、この時間にきちんと授業に参加してほしい気持ちの方が強いですね……」
「……その話もしたいので、ご一緒してもいいですか」
エルヴィンにここまで言われると、ディアナは頷かざるを得なかった。
荷物を彼に渡すと、ディアナでは両腕いっぱいになったそれはエルヴィンの左腕だけで十分収まり、おまけに「ふらついてもすぐに支えますから、安心して歩いてください」とまで言われてしまった。
十七歳と二十一歳といえど、青年の成長は著しい。彼と並ぶと、ディアナの目線の位置にはエルヴィンの胸元があった。リュディガーほどではないが彼もそこそこ身長があるようだ。
「……あんたが一生懸命授業をしてくれていること、聞いてます」
「ベイル君からですか?」
ディアナが尋ねると、エルヴィンは少し苦々しげな顔になりつつも頷いた。
「……あいつ、入学してすぐの頃から何かと俺の方に来ていたんです。あいつなりに心配してくれてるんだろうとは思ってましたけど、俺のせいであいつの足まで引っ張るのは嫌だから、突っぱねました。……あいつが事件を起こしたのは、あいつとあまり顔を合わせなくなってからのことでしたね」
「……」
「ああ、夏の事件についてはなんとなく、察しています。あいつは今も補講クラスの皆の面倒をよく見ているみたいですし、正義感も強い。……きっと何かの間違いだったんだろうとは思っていますが、聞いてもはぐらかされるだけでしたね」
ということは、リュディガーがディアナに事件の真相について教えてくれたというのは……彼なりにディアナを認め、頼ってくれているからなのだと思えばいいのだろうか。
人気のない廊下を二人並んで歩いていると、「それでですね」とエルヴィンは言葉を続けた。
「俺なりに、いろいろ考えました。……進級することについてはまだ気が乗らないけれど、ここまで必死になるあんたを見ていると……自分の都合だけで誰かを苦しめたくはないと思うようになったんです」
思わずエルヴィンの顔を見ると、彼はほんのりと微笑んだ。
「俺、明日から授業に行ってみます。……補講クラスの皆はともかく、他の同級生からは『サボりが来た』って指を指されるでしょうがね」
「そ、それは私としても嬉しいです。でも、シュナイト君はそれでいいのですか?」
「……これでいい、と思ってます。それに、冬のグループ試験まであと一ヶ月くらいでしょう。俺がいても戦力は心許ないかもしれないけれど、腰を抜かしたルッツを担いで逃げたり女子たちの盾になるくらいならできますし」
「シュナイト君……」
「進級については、それから考えます。まあ、叔父や従弟のことを考えるだけで頭が痛くなるんですけど……でも、これが今の俺がやるべきだと思ったことです」
真っ直ぐな目で見つめられ、ディアナは唾を吞んだ。
(知らなかった。彼も、こんな目をするんだ……)
まだ少しけだるげではあるけれど、何か一つ芯の通ったものの見られる眼差し。
初めてベランダで見かけたときとは全く違うたたずまい。
「……分かりました。あなたが自分で決めたことなら、私はあなたを応援しますし……その判断を心から嬉しく思います」
「ああ。……あ、もう着いたな」
「そうですね。荷物、ありがとうございました」
この先は教員の宿舎棟になるので、生徒は立ち入り禁止だ。
エルヴィンから荷物を受け取って彼に背を向けると、コツ、と小さな足音が響いた。
「……先生。俺、なんだかんだ言って……先生が俺をずっと探してくれたこと、嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ」
ディアナは、動きを止めた。
思いのほか近くで聞こえる声に耳を澄ませると、エルヴィンが小さく息をつく音がした。
「俺のことなんて放っておいてくれればいいと、あんたにもリュディガーにも言ってきた。でも、声を掛けてもらえて、気にしてもらえて……嬉しかった」
「……」
「俺自身の未来についてはともかく、今は少しでもあんたの力になれるように、頑張る。……ありがとう、先生」
「シュナイト君……」
振り返るが、もうエルヴィンはディアナに背を向けて歩き出していた。以前の教育相談でバルコニーから出て行くときの彼は、もっとゆったりとした足取りだったはずだ。
教え子の後ろ姿を見送り、ディアナは小さく頷いた。
(……よかった。私の気持ちもシュナイト君の気持ちも曲げることなく、私たち両方にとって納得のできる形に物事が動いて……よかった)
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