15 新たなる壁①

 リュディガーの協力もあり、エルヴィンを含めた六人の生徒全員と教育相談をすることができた。


 そうして皆と話した内容を踏まえて、ディアナは教育計画を改めて練り直すことにした。


(一人一人の個性を生かすためには、それぞれに適した計画を組まないといけない……)


 学力も性格もまちまちの彼らだが、何十人分の個人計画を立てなければならないわけではない。六人一人一人に適した学習目標を設定すればきっと、よくなるはずだ。


 例えばツェツィーリエにはコントロール力という大きな弱点があるが、それについてはおっとりとしたエーリカから学べるものがある。たまには衝突もするがツェツィーリエとエーリカはよく一緒にいるので、お互いの長所を学べるだろう。


(ライトマイヤー君も、「辛くなったらその場から離れていい」と言ったら気分が楽になったみたい。でも、さすがに試験中に逃げ出したらいけないから、ある程度は割り切れるようにしないと……)


 職員室のデスクに向かって指導計画案を書いていると、コン、と小さな音がした。


「……最近調子がよさそうだね、イステル先生」

「アルノルト先生、お疲れ様です」


 顔を上げると、白衣姿のフェルディナントの姿が。ディアナのデスクの隅に湯気の立つマグカップが置かれており、フェルディナントが淹れてくれた紅茶だと分かった。


「例の……何でしたっけ? 教育相談、というのを経てから、君の顔色もよくなったようでよかったよ」

「ありがとうございます。これも全て、アルノルト先生のおかげです」

「いや、僕は君の案に賛同して、ちょろっと上の方にもお願いをしたくらいだ」

「それがありがたいのです! 私一人では、実行することもできなかったでしょうし……本当に、ありがとうございます」


 礼を言って紅茶のマグカップを取ろうとする――と、ディアナの右手にそっとフェルディナントの左手が被せられた。


(……ん?)


 右手が成人男性の手にすっぽりと覆われて目を白黒させていると、くすっと笑う気配がした。


「いけないね、イステル先生。恋人でもない男から差し出されたものをほいほいと受け取るなんて、不用心だよ」

「……え?」


 ゆっくりと顔を上げると、いたずらっ子のような微笑みを浮かべて小首をかしげるフェルディナントが。

 その微笑みはそのまま、ゲームのスチルになりそうなくらい美々しい。


「これでもし、カップの中にとんでもないものでも入れられていたら、どうするんだ?」

「…………げ、下剤とかですか!?」

「……。こういう迫り方をして下剤発言をされたの、初めてだな」

「あ、それじゃあ昆虫とか!?」

「……。……うん、君は君のままでいいと思うよ」


 フェルディナントは少々引きつった笑みを浮かべつつも、「いたずらしてごめんね」と手を離してくれた。


「変なものは何も入れていないから、安心して。……まあ、こういうちょっと迂闊なところが生徒たちにもウケるのかもしれないからね」

「はぁ。……あ、これ、おいしいです」

「だろう? 僕、紅茶を淹れるのが得意でね。実家でも――」

「……おや? 指導教師と仲よくお喋りとは、余裕のあるものだな?」


 フェルディナントの声に被せるように聞こえてきたのは、嫌みったらしい男の声。


(なんで、わざわざここに……)


 渋々振り返った先にいたのは予想通り、いつもなら校長室にこもっている校長だった。彼の背後には、いつも通り渋い顔の副校長の姿も。


 校長は腕を組み、ふん、と鼻を鳴らした。


「最近、一年補講クラスでは奇抜な指導を行っているようだから、見に来たのだが……ただ異性の教師に色目を使っているだけではないか」

「いえ、アルノルト先生に対して使えるだけの色気がないので、それはないです」


 思わず、素で突っ込んでしまった。

 校長の目が丸くなり、彼の背後にいた副校長がうなだれている。そして周りでこのやり取りを見守っていた教師たちからも、ふふっと軽い笑いが湧いた。


 この反応が不快だったのか、校長は唇をひん曲げると苛立ったように腕組みを解いた。


「……口では何とでも言える。それより、あの掃きだめどもはどうなった? 進級の見込みはあるのか?」

「……あの子たちは、頑張っています。ですので、皆のことはきちんとクラス名で――」

「はぁ? 連中が出来損ないなのは事実だろうが? これから社会に出る際に我が校の恥になるような者の芽は、早めに摘んでしかるべきではないか」

「……違う!」

「何?」


 思わず、声に出てしまった。

 隣でフェルディナントが、「やめなよ」と小声で諭してくるが――ここで引きたくはない。


 リュディガーはディアナの手伝いをしてくれるし、前期に起きた事件も冤罪でありながら、家族のために自分一人が犠牲になることを選んだ。


 ツェツィーリエは、自分の失敗によって家族や仲間たちを傷つけることを何よりも恐れている。あの強気な態度も全ては、誰かを守るためにあるのだ。


 ルッツは過去のトラウマがありながらも、ディアナと一緒に工夫をして困難を乗り越えようとしている。昨日の授業では、「今日は僕、一度も逃げませんでした!」と嬉々として報告してくれた。


 レーネの体質については皆も理解してくれて、食事の量や補食の菓子をバランスよく取ることで、自分の体とうまく付き合っている。元気なときの彼女はとても頼りになるし、彼女のコンディションが良好であるのが一番だ。


 エーリカも、「これが苦手なの」ということを周りにきちんと伝え、分からないところは粘り強く復習するようにしている。優しい彼女なので、皆も自然と近くに行ってお喋りをしたくなってしまう。


 そして、エルヴィン。まだ彼が授業に来ることはないが、彼には彼の事情があると分かった。そしてその根底にあるのは、従弟との関係をこれ以上悪化させないためという理由だとも。


 皆、少しずつ努力している。苦手を克服しようと前を向いている。


 それなのに。

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