愛とか恋とかそういうもの

橘士郎

恋する僕の偶像崇拝

 彼女は唐突に言った。


「ねぇ、君は私の事愛してる?」


「愛してますよ」


「ん、私も。」


 何気ない会話だった。

バカップルとも形容れる二人に、昼の雑踏は見向きもしない。

ただ淡々と繰り返される日常があるだけ、しかし楽しかった。


 目の前には理想を見た女性がいて、自分に心酔している。逆もしかりだが、その事実と状況が、幸せを与えてくれる。


「じゃあさ、愛って何だと思う」


「なんですか、急に。雰囲気ぶち壊しですよ。」


「まあまあさ、なんだと思うの? 君は。」


 愛が何か、なんて考えたことも無かった。いや、正確には考える事だとも思っていなかった。くだらない映画のテーマになって、そんな物に泣かされて、今までずっと愛とは激情的な感じるだけで見る影もなく、ただそこにある感情だと、そう思っていた。


 と、そんな思考がよぎるが実際に口から出たのは簡素な単語だった。


「うーん、分かんない。」


 そう返した言葉に、しかし彼女は特筆するような反応も見せず、ただ凡庸に爪を眺めている。

綺麗に切りそろえられ、それぞれが違う色のマーブルカラーに染められた爪を右手左手と交互に眺める。きっと、今日の為にわざわざ塗ったに違いない。


 ほかにも、染められていない綺麗な黒の髪の毛もきれいに梳かされハーフアップにしてあるし、服だって皺の一つもなく自分の体格まで考えてバランスと色味を調整しているようだ。


 すべてが完璧、確実な理想だった。

そんな彼女の姿に見惚れた自分に気づき、今度は尋ね返す。


「じゃあ、先輩は何だと思うんですか? 愛って。」


仕草もなく悩み、一つ目を閉じてから、


「なんだろうね。多分、勘違い……というより、思い込み、かな。多分ね。」


「思い込み、ですか? それはまたどういう。」


 ありきたりな話が出てきた、と内心に感じたのは内緒に聞き返してみる。


「うーん、なんだろう……」


 と十数秒悩んでから、彼女は、じゃあさ、とつけて頬杖を付いていた手を今度は胸に当てる。


「私、可愛い?」


「そりゃあもちろん、めちゃくちゃに、軽く死ねる程度には可愛いですよ。」


 すると自分で言い出したのにも関わらず彼女は頬を赤らめる。


「そ、そんなド直球投げられると照れる……まぁ、でもそういう事だよ。」


 相変わらず疑問符の浮かんだままの僕を見て彼女は悪戯っぽく笑う。

そして胸に当てた手をそのままお腹の辺りに下げてから、今度は顔に指を添える。


「今日、君と初めて会った時と同じ服。化粧の仕方も全く一緒。」


 やはり疑問符は晴れない。

そんな俺を見透かしたように、彼女は言う。


「そして君は私に一目ぼれだったじゃないか。」


「えぇ、まぁ。」


 思い出すのは丁度三年前、九月二六日。

赤い花が咲き乱れる一面の平原で出会った、彼女の姿。自然風景と、その姿を見た僕は文字通り理想郷にでも訪れたのか、と我が正気を疑った。


「それってさ、初めて会った瞬間に私の事を好きになった訳じゃなくて、君が抱いていた理想に一番近かったのが私だったんだよ。」


 彼女の言葉はひどく単純だ。

昔からサブカル(今はそう言わないらしいが)に浸っていた俺には、確実に理想と言えるものが存在し、追い求めていた。それが彼女であることも否定はしない。

しかし、俺が恋をしたのはあくまで彼女であって、その『理想』とやらではない。と、その旨を伝えたところ。


「だから、それも理想に踊らされてるだけなんだって」


 なんて至極当然に、夢のない意見を頂戴してしまった。

いや、まぁ確かにその通りではある。

性格も声も匂いまでも含めて彼女は俺の理想にそう相違ないし、彼女の事をしかと理解している自負もある。

が、そんな想いこそが「愛」などという現実に理想を生み出した究極の逃避者が起こした勘違いに違いない、と彼女は言うのだ。


「で、でもお互いに愛していれば、両方が盲目であれば、問題は無くないですか?」


「……君は、私が君を愛していると、本気で思っているの?」


「…………」


「ごめんごめん、冗談だって。私は君を愛してるよ。君は理想に相違ない。」


 目の前に置いてあるジュースのストローに口をつけてふぅ、と背中を背もたれに預けると再び口を開いた。


「恋なんて言う物をしている逃避者がさ、実は自分はこの世の実像に偶像を重ねているだけなんだって気付いたとしても、それは冷める理由にはならない。でもさ、実はこの人が理想ではないんだって、気が付いた時点でさじわじわと破局へのカウントダウンは始まっているんだよ。」


「僕に、嫌われたいんですか?」


「いや、君には私の事をずっと好きでいてほしい。ただ、君は固執しすぎだからね。」


と、そういうと彼女は立ち上がって言った。


「ねぇ、少し歩こうよ。」


―――――

―――


 二人で巡る町は、とても楽しかった。

その内容ではなく、ただ、彼女といられる時間がそれだけで、楽しかった。


 そして気が付くと、二人で夜の平原に立っていた。

赤い花が咲き乱れ、山の奥から覗く月光が照らしてくれる。


彼女は遊歩道から外れて、澄んだ小川を乗り越えて、平原の中に立つ。


「ねぇ、死ぬのは怖い?」


 花の中から、彼女が声を掛けてきた。

その顔は逆光で見えない。


「怖いですよ、先輩ともう会えなくなりますし……」


 いや、と言いかけて口を閉じる。

それは言わなくてもいいことだ。


「私も、怖いよ。何があるか分からないから。でもさ、もう大丈夫。だって、私は君の理想だもん。死にっこないよ。」


 あは、と笑って花の中をくるくると回る。

月光と相まって、その姿はとても美しい。


美しくて、美しくて、気が付いて、涙が出た。


彼女が言いたかった事が、何より、俺自身が感じていたことが、やっと明確になった。


 理想と重ね、彼女を知っていると思ってしまうその心こそきっと「愛」の正体なのだ。

知の思い込みと言う偽の愛。その偽の愛、即ち理想によって歪められたのがきっと彼女の正体なのだ。


 腕を振る彼女を見ていた僕は、気が付くと墓の前に立っていた。


涙が、出る。


俺はきっと、もう会う事の出来ない彼女に理想を当てはめることで、知った気になって、まだ居ると信じて、愛そうとしていたんだ。


 こんな話がある。〈都合の良い存在とは楽だ。だが、人はそうではない。理解を放り捨てて理想を当てはめればそこに歪みが生じる。生じた歪みがどのようになるかは想像がつくだろう。信仰と理解のどちらを取るかは私の決めることではない。私は理解的愛の立場にいる。貴方はどちらを選ぶのだろうか。〉



 今はもう、本当の彼女を思いだすことも出来ないから、僕がする恋は、ただの偶像崇拝なんだよ。


 九月二十三日、僕はこの日見た白昼夢を、未来永劫、彼女の理想と共に、忘れることは無いだろう。


 今までに二回も訪れた彼女は、来夏には現れなかった。













―――引用

〈私の愛〉伊吹楓による

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愛とか恋とかそういうもの 橘士郎 @tukudaniyarou

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