デート
自室の窓からベッドに差し込む光が熱くなる季節になりつつあった。
熱射を煩わしいと思いつつ、汗でべたつく寝間着が不快で目を覚ました。時計の時刻は、朝の六時。平日であれば朝練のために家を出る時刻。
でも今日は、いつもより数十分だけだが遅くに目覚めることが出来た。
今日は休日。日曜日。
だから、今日くらいはいつもよりも少しに起きようと思った。低血圧の俺は、朝が少し苦手だった。
寝間着を着替えて、ジャージを身に纏った。
普段着がジャージ、というわけではない。休日とはいえ、一日でも体を動かさないと鈍ってしまいそうだったから、ランニングにでも行こうかとぼんやりと思ったのだ。
一旦脱衣所に行き、寝間着を洗濯機に押し込んでから、家を飛び出した。
朝はまだ少し寒いかと思って長袖のジャージを羽織ったが、もうそんな心配は不要だと思うくらい、外は暑かった。
しばらくランニングをして汗を流して、家に帰ると丁度朝ごはんの準備が始まった頃だった。
「おはよう」
起きていた加奈に、そう言った。
「おはよう、何、どこ行ってたの?」
「ランニング。一日休養すると、体が鈍ってしまいそうで怖くて」
俺は加奈に苦笑した。
その言葉に、一切の偽りはなかった。先日の都大会決勝で平塚に負けて、次こそは勝つと意気込んでいる。平塚は今日もサボらずに練習しているかも。
そう思うと、どうにも朝から落ち着くことが出来なかったのだ。
「あ、そう。じゃあそのジャージ、結衣ちゃんに渡したら?」
「あいつはテニスウェア専だろ。こんなの喜ばないに違いない」
タオルで汗を拭いながら、結衣に返事をした。
「へえ、随分と結衣ちゃんのあれへの共感を深めたもんだ」
そんな俺に、加奈は茶化すようにそう笑っていた。
加奈の台詞が、酷く不快だった。
「おいおい、馬鹿言うな」
それだとまるで、俺があいつのあれに慣れつつあるみたいじゃないか。
……あれ?
確かに、慣れつつある気がする。
どうしよう。それはまずい。
「とにかく、これは洗濯機行きだ」
「あ、そう」
あの変態にバレない内に、ブツをさっさと洗濯してしまおう。
そう思って、俺は小走りで洗濯機の中にジャージを押し込んだ。そのままシャワーを浴びて、自室に戻って私服に着替えた。
「朝ごはん出来てるよ」
リビングに戻ると、丁度加奈が朝食を机に運んでいるところだった。
その手伝いをして、まもなく俺達兄妹は朝ごはんを頂いた。
キッチンの傍の机に向かい合って座り、リビングの方にある四十二インチのテレビを背にしてご飯にありついていた。
加奈はと言えば、テレビを見ながら朝食を食べていた。その様子に、俺はつい顔をしかめた。
「行儀悪いぞ」
「え? ……ああ、ごめんごめん」
加奈は申し訳なさそうに頭を掻いた。物分かりの良い出来た妹である。
「気を付けるよ。でもさ、今日はお兄ちゃんの折角のデートだから、天気が良ければいいなあと思ってさ」
加奈の言い振りから、俺は悟った。
結衣の奴、どうやら加奈に今日のお出掛けのことを口走ったらしい。
ただ一つ、語弊がある。
「加奈、俺は別に……あいつとはデートなんてしないぞ?」
俺が言われたのは、ただめかしこんでお出掛けするってことだけ。デートをすると言われたわけではないのだ。
だからこそ、あまり今日の結衣とのお出掛けに気持ちが向いていかない。
どうせまた、あの変態趣味の片棒を担ぐ何かを一緒にさせられるに違いない。そう思って、やる気を見いだせる方がどうかしている。
「あれ、そうなの?」
「そうだよ。あーあ、本当嫌だ」
テレビを見ながら朝食を食べることを行儀が悪い、とさっき叱ったばかりなのに、辟易としたばかりに頬杖を突きながらパンを齧っていた。
これでは兄貴失格だと少しだけ反省した。
「……お兄ちゃん、本当に今日の結衣ちゃんとのお出掛け、デートじゃないの?」
そんな自己嫌悪に陥る俺など知らぬ存ぜんと、加奈は真剣な面持ちで尋ねてきた。
「違う違う」
そんなこと、ありっこない。
「……そんなにめかしこんで?」
「そんなにって、普段着だぞ? そもそも、めかしこめって言ったのはあいつだ」
「結衣ちゃんにめかしこめって言われたんだ」
「まあな」
それとデートと、一体どんな関係があると言うのか。
「……本当にデートじゃない?」
「違う」
「……あれぇ?」
摩訶不思議と頭を掻く加奈に、なんだか僅かばかり違和感を感じた。こいつ、こんなに疑り深い性格だったか。
でもなあ、あいつとのお出掛けに限ってデートになるはずもない。
そんな確信めいた自信があるんだよなあ。
朝食を食べて、少しばかりの暇を満喫していた。
時計が九時を回った頃、チャイムが鳴った。
「はーい」
結衣だろう。
そう思って立ち上がるが、真っ先に玄関に向かったのは加奈だった。
そんな加奈の後に続き、リビングを歩き始めた。
「おはよう、結衣ちゃん」
加奈の快活な声に、件の人の出現を察知した。
同時に、一層と気持ちが辟易とした。
一体今日は、どんな感じであいつに振り回されるのか。
そう思うと、気持ちが盛り上がるはずがなかった。
リビングを出て廊下へ。
廊下から玄関の方を、眉間に皺を寄せて覗いた。
そちらを見て、思わず俺は口をつぐんだ。
「おはよう、アキラ」
ワクワクしている加奈。
そして、そんな加奈と話している少女。随分とめかしこんだ結衣に、心臓が鷲掴みにされるばかりで視線はおろか全ての行動を制限されていた。
所謂、魅入っていたというやつだ。
頬が熱くなるのがわかった。
このままではいけない。そう思って、視線を外して俺はあーと唸った。
「おはよう」
「……ちょっと、なんでこっち見ない」
結衣の声が、冷たい。
「なんで見ないといけない」
「当然でしょ」
冷たい声で、結衣は続ける。
「これからデート行くんだから、まずはめかしこんだあたしのこと褒めなさいよ。エチケットでしょ?」
なんだそれ。
そう文句を言いかけて、再び、何も言えなくなった。
口をわなわなと震わせて、さっきまでは照れて見れなかった結衣の方を見た。
「うわあっ!」
楽しそうに加奈が歓喜の声を上げた。
どうやら聞き違いではなかったようだ。
加奈の様子。そして悪戯っ子っぽい笑顔の結衣に、そう悟った。
「……デート?」
「そう、デート」
結衣は、楽しそうに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます