第17話 非日常感


***



九条さんとは、あの日図書館で一緒に勉強をして以来一度も連絡を取っていなかった。



当たり前と言えば当たり前か。向こうには彼氏ができたのだから、僕の方から意味もなくメッセージを送ったりするのはちょっとおかしいから。



九条さんは僕の気持ちを知っていたのかな。チキンな僕は、勉強とか何かと理由をつけないと誘ったりはできなかったけど、さすがに何回も二人でいたら少しは察せられていたのかもしれない。



そう仮定すると、その上で九条さんは他の人と付き合うことを選んだわけで……。



散々バカにされ、自分では否定していた九条さんに振られたという事実をいよいよ認めることになってしまうのだろうか。



それにしても……まるで今の僕の思考を盗んでいたようなタイミングで、メッセージが届いた。



もしこれがあと数秒遅ければ、僕はそのまま送信ボタンを押して、九条さんは後回しにしていたのかもしれないのに。



僕はまだ迷っていた。九条さんの目には僕がただのクラスメイトとして映っているのかもしれないけど、それでもやっぱりこの名前を見た時は本当に胸が高なってしまったのだ。



つい最近まで、僕はこの人に恋をしていた。たとえ望みが薄くなろうとも、まだその気持ちが残っていても不思議なことではなかった。




――そして気がつけば、僕は遥陽とのトーク画面からバックし、九条さんのメッセージを確認していた。



ごめん遥陽……! とりあえず内容を確認するだけだから。



九条さんから僕に宛てた文章はこのような物になっていた。






『こんな時間にごめんなさい。実はどうしても長浜くんと二人で会って、相談したいことがあるんだけど……。次の土日のどっちかって空いてたりする? そんなに時間は取らせないから!』






「相談事……」



その内容に関しては何も触れてはいない。もし彼氏がどうとかみたいな話だと、発狂しちゃうかもしれないけど。もしかしたら、その彼氏がもう嫌! という可能性もゼロではない。



ぼくの脳裏には、以前達海さんとたまたま見かけた、九条さんとその彼氏が仲睦まじそうにくっついている後ろ姿がこびり付いている。



それを思い出すだけでムカムカしてくるし、それ故にそんな話題ではないんだろうなと既に諦めかけている。



……うん、あれこれ考えるより、直接本人に尋ねればいいんだ。




『まだ起きてるし大丈夫だよ! 相談したいことって何? 僕で大丈夫なの……?』




返事は三分ほどで返ってきた。




『よかった……! それがちょっと説明しずらくて……直接見てほしいものとかもあるし……』




……益々分からなくなった。




『そうなんだ……日曜日はバイトだけど、土曜日だったら一応空いてるかな』




『ありがとう! じゃあ土曜日の十一時に、駅前のハンバーガーショップでいい?』




『わかった、それで問題ないよ』




最後に九条さんから、お辞儀するアニメキャラクターのスタンプが送られてきて、そこで会話は終わった。



ここまで約五分。最初のメッセージをいれても、たったの十分程度で九条さんとの約束ができてしまった。




何だか頭の中がふわふわしている。『彼氏じゃなくて僕でいいの?』とか、『僕と二人きりで会っても大丈夫なの?』とかいろいろ聞きたいことは他にもあったけど、そんな勇気僕にあるわけがない。



そもそも九条さんの方から、もう会わない方がいいって言っていたのに、それから半月ほどしか経っていない。



九条さんからすれば、それを覆すぐらいのよっぽどの事なのだろうか。それも彼氏ではなく、僕に相談するなんて。



土曜日は明後日だ。甲子園の決勝がちょうどその日なんだけど、もう諦めよう……。高校球児の汗と涙の集大成は、僕の薄汚い下心にあっけなく敗れてしまったのだ……。








また喉が乾いてしまった……。



何も言葉は発していないのに、ドっと疲れた気がする。九条さんにメッセージを送る前に何回も推敲して、誤字脱字がないかの確認作業も行っていたため、目もチカチカしている。



僕は残っていたスポーツドリンクを飲み干し、それでも再びスマホに目を落とした。



遥陽との約束は、九条さんと会ってからでも遅くはない――



聞く人によっては最悪の考えが、一瞬僕の中の悪魔が囁いたけど、やっぱりそんなことはできない。



僕が九条さんに対して抱いていた想いを遥陽は僕に向けてくれている。



もし僕が同じ立場だとして、やっとの思いで九条さんに想いを伝え、それをいろいろ理由つけて後回しにされて挙句の果てには無かったこととかにされたら、もう不登校になると思う。



僕と遥陽の関係がこの先どうなるのかとかそれ以前に、僕にはちゃんと自分の意思を遥陽に伝えなければいけないのだ。



それが告白を受けた側の義務でもあり、責任なんだと思う。



人生で初めて告白されたくせに、何カッコつけたこと考えているんだよ、と声に出したら恥ずかしいような矜恃を頭の中で垂れていた僕は、さっき送りかけていた遥陽へのメッセージを作り直した。



そして今度こそ、送信ボタンを押し――







――♪♪♪♪♪







……いや、ふざけてるのか?



またしてもスマホが振動し、着信を告げる音楽が鳴り響いた。



もういっそのこと切ってやろうか。



僕だってそれなりに緊張してエネルギーを消費しているのに、立て続けに邪魔されればさすがにイラッとくる。




――が、その着信相手を見てその怒りも全て吹き飛んだ。





「――もしもし遥陽? どうしたの急に?」




相手は遥陽からだった。若干『もしもし』のところで声が上擦ってしまった。タイミングがいいのか悪いのか。



僕たちの今の状況からして、まさか遥陽の方から……しかもいきなり電話がかかってくるなんて思いもしていなかった。





『あっ……もしもし凛くん。ごめんね遅い時間に。実は今凛くんのマンションの入口の前にいるんだけど……ちょっと会えないかな……』



「…………分かった。すぐに行くからちょっと待ってて」



僕はスマホをポケットに滑り込ませて、すぐに玄関で靴を履いた。外に出て変な格好ではないかだけ鏡で確認したら、すぐに扉を開けてエレベーターを目指す。



遥陽にその理由を聞くよりも、身体が先に動いていた。



電話越しで確証はないのだけれど、僕の耳がおかしくなければ――









「遥陽……!」



「……凛くん」



遥陽はエントランスを出た入り口付近の石段に、背中を丸めて座っていた。



「遥陽……どうしたの?」







――僕の声に振り返った遥陽は、目に涙を浮かべていた。




暗闇でも分かるほど、目が真っ赤に充血している。



「凛くん……これ見て」



僕は遥陽のそばに膝を立ててしゃがみ込み、遥陽に差し出された茶封筒に目をやる。



「これ今日私宛に、うちのポストに入ってて……」



「中見てもいいの?」



すでにハサミで切られている。遥陽は口を結んだままコクっとうなずいたので、僕は中に手を突っ込んで取り出した。



「写真……? と、この紙切れは……」



僕はまずデジカメか何かで撮影してプリントアウトされたであろう写真に注目した。



「――えっ? これあの時の……」



そこには、僕と遥陽、そして美帆が談笑している様子が写っていた。場所はショッピングモールのフードコート。座っていたテーブル、心当たりがある。つい最近のあの日だ。



そしてもう一枚。ワードが何かに書いてそのまま印刷した文字に目を通した。



「……何だこれ」















【私の彼にこれ以上近づくな】














「凛くん……どうしたらいいと思う…………」



呆気に取られてコピー用紙を握りしめていた僕の手の甲に、遥陽の手が添えられた。



僕の知らないところで何かが起こっている――なぜだかは分からないけど、本能的にそう感じた。














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