第6話 バイト先で後輩と


***


朝起きた時には、美帆はもう部活で家を出た後だった。両親二人も同じタイミングで仕事に向かったらしく、僕は一人朝食のトーストをかじっていた。



テレビをつけると、ちょうど甲子園の一試合目が始まるところだった。僕は野球を実際にやることはないけど、観るのは好きだった。



今までずっと年上だと感じていた人たちと、僕ももう同学年になっている。片や野球に全てを捧げて全国中継でその活躍が放送され、片や失恋して妹と幼なじみとバイトの後輩に煽られる始末。



一体どこで差がついたのか。



「まだ時間に余裕はあるな……」



午後のバイトは正午からなので、家を出るまでまだ二時間以上自由に使える。



せっかくだからと、僕は宿題のプリントと筆記用具をリビングに持ってきて、甲子園を横目で見ながらシャーペンを走らせることにした。



試合は両エースの投手戦で進んでいき、終盤にワンチャンスを物にした先攻のチームがそのまま逃げ切り勝利した。



負けた選手たちはグラウンドに泣き崩れながら、小袋の中に甲子園の土を詰め込んでいる。



それを取り囲むようにして、大きなカメラを持った大人たちが何度もシャッターを切っていく。負けた後の泣き顔をテレビで晒されるなんて、僕なら絶対に嫌だと言う。



中にはこれを美談とする人もいるとは思うが、ちゃんと選手一人一人に確認とっているのだろうか……。それとも、この場にいる時点で、それを了承していると見なされるのか……。



僕の恋愛における負けと、彼らの負けを同等に扱うのはさすがに失礼であることは承知している。けれども、ともに夏を終えたもの同士、妙な親近感を抱いてしまった。



画面は勝利チームのインタビュー映像に切り替わったところで僕も宿題を切り上げ、行く準備を始めた。








***



家からバイト先までは自転車で二十分少々。



僕はショッピングモールの中の和食レストランで、キッチンスタッフとして去年の夏から働いている。



―― 高校生なんだからバイトなんかより勉強の方を頑張りなさい、って親には言われていた。



でも高校では部活に入る予定はなかったし、テストの点数で平均点を下回らないという約束で、許しを得ることができた。



正直に言うと、僕も別段お金がほしいからという理由で始めたわけではない。ただ少し、こういう長期休暇のときにずっと家で過ごすのが、息苦しく感じてしまうことがあったのだ。



新しいお母さんとも家族になってもう長いけど、やっぱり二人きりで家にいるとかになると、僕の方が遠慮してしまって部屋に閉じこもることが多い。



もしかしたらお母さんやお父さんも、そこら辺を何となく察して許可してくれたのかもしれないな……。



――そんなことを考えながらペダルを漕いでいると、目的地の駐輪場にたどり着いた。従業員用の入口を通り抜けて、エレベーターの前で降りてくるのを待つ。



「――あっ! 先輩じゃないっスか! おはようございまーす!」



後ろから聞こえてきた、耳によく通る透き通った声音に僕が振り向くや否や、リュックを背負った一人の女の子に肩をガシッと掴まれる。



「お……おはよう達海たつみさん」



達海華奈たつみかな。僕と同じレストランで働く、一つ下の後輩だ。



うちに入ってきてまだ日は浅いけど、僕と違ってパラメーターをコミュ力に全振りしているため、一年働いている僕よりもバイト内での交友関係は広い。



いくら陽キャと言っても、少しばかりスキンシップが激しすぎる気がするが……逆にその分向こうからすれば挨拶と変わりないと思うことで、毎回触れ合うたびに僕は心を落ち着かせている。



「もーう、先輩ったら、いい加減名字じゃなくて名前で呼んでって言ってるじゃないッスかぁ。いつまでたっても消極的だから、突然告白しても困惑されて振られるんですよー」



達海さんは両手で僕の肩を揉みしだきながら、背後から顔を近づけてくる。



背中越しに伝わる柔らかい感触につい意識が向いてしまうのを何とかこらえつつ、邪念を振りはうつもりで、腕をどかせた。



――いいタイミングで、エレベーターの扉が開いた。



「それ昨日も言ってたけど、どこで聞いたの? あと正確には告白してないし、振られたわけではないからね」



昨晩達海さんから届いたメッセージに、僕は一時思考を停止しかけたが、どうせ次の日に会うのだから話は直接しようと思っていたのだ。



遥陽が知ったのは美帆から聞いたに違いないが、それがどうして達海さんの元にまで広まっているのかが本当に謎だった。



二人と達海さんは別の高校に通っているから、三人に面識なんてあるはずがないし、それと一つ引っかかったのが、なぜか僕が九条さんに告白して玉砕したことになっている、ということだ。



伝言ゲームではないけれど、僅かに情報がねじ曲がっているのが解せなかった。



まあ確かに、広い意味で言えば振られたと言っても間違いではないのだけれど、そこはほら……僕にも多少はプライドというものがあるのだから。



「いやー、あたしの情報網を舐めてもらっては困るっスよ。先輩のことなら何でもお見通しッスから」



エレベーターに乗り込み、僕の横に立った達海さんは、フフんと得意げに腰に手をあてる。



「……全然答えになってないんだけど」



達海さんは、僕とは違い私立高校に通っている。偏差値は僕のところは県内では中堅に当たるのに対して、達海さんの高校はいわゆる進学校というやつだ。



前にそれとなく授業の進み具合を聞いたり、使用しているテキストを見せてもらった時は、今まで生きてきた中で三番目ぐらいにびっくりしたものだ。



髪の毛は派手すぎない程度に茶色に染めていて、へアイロンで入念に手入れをしているのか、丁寧に肩の辺りで毛先がクルンと巻かれている。



身長は美帆と差ほど変わらないのだけれど、身体つきは達海さんの方がかなり大人だ。



特に今の時期は薄着でいることが多いため、さっきも後ろから密着された時は理性を保つのに大変だった。



……決して美帆が貧相というか、まだ発達途中だからと言いたいわけではない。あくまでも僕個人として、どちらの方が……ということだ。



「まあまあ、細かいことはいいじゃないっスか。先輩が失恋したという事実に変わりはないんですから、今日は派手にパーッとやりましょうよ!」



「人の不幸記念にパーティを開こうとするな」



「そんなこと言っちゃって! 本当は人肌が恋しいんじゃないっスかぁ? 昨日もメッセージで言いましたけど、今日は特別にあたしが慰めてあげてもいいんスよー」



達海さんは暑い暑いと言って、わざとらしく胸元の服をつまんでパタパタとする。……本当に見えそうなんだが。



僕の視線が、達海さんのある箇所に吸い込まれそうになりかけていたところ、ちょうどエレベーターがレストランのあるフロアに止まった。



「ちよっと先輩! 置いてかないでくださいよ!」



達海さんめ。絶対に僕のことを先輩だと思っていないだろ。



僕はスタスタと歩き、従業員専用の通路から扉を押し開けてお客さんで賑わうフロアへと出る。



やはり夏休みだからか、平日とは思えない人の多さだ。しかもここはレストラン街にフードコート、さらにはゲームセンターも併設されているため、子供を連れた家族、学生の比率が高い。



「先輩歩くの速いッスよ……」



僕にやや遅れて、よろけた振りをした達海さんが僕の背中にわざとらしく頭突きする。



「痛いんすけど」



「あたしを置いていったバツっすよ」



じっとりした眼差しで僕を睨んだ達海さんは、遅れるッスよと言って僕の腕を引っ張りながら進んでいく。



異性に対して平気でこういうことをやれるのだから、陽キャは恐ろしい。



――と、そこで達海さんの足がふとゲームセンターの入口で止まった。僕たちのレストランはまだ少し先のはずだが、達海さんの瞳は近くのとあるクレーンゲームの台に向けられている。



「どうしたの? もしかしてあれがほしい――」



――と、言いかけた僕も思わずフリーズしてしまうほどの光景がそこにはあり――。



「あれって先輩が振られた人じゃないっスか?」



だからなぜ達海さんがそれを知っている。



――隣に男を連れた九条さんがいた。










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