第4話 義兄妹


***


僕が初めて美帆と出会ったのは、小学五年生の夏休みだった。



両親は幼稚園の時に離婚し、僕は父さんに引き取られそれからずっと父さんと二人で暮らしていた。



離婚の直接的な原因は僕には知らされなかったけど、毎晩居間で怒鳴り合う父さんと母さんのシルエットが朧気ながら記憶に残っている。



母さんが出ていってからしばらくは、僕は毎日のように寂しくて泣いていたと思う。父さんは不器用で口数の少ない人だから、こういう時の子供のあやし方にも慣れておらず、かなり迷惑をかけた。



母さんの代わり――と言ったら代替品みたいで失礼だけど、父さんが仕事の間の世話はおばあちゃんがしてくれた。



一緒に住んでいないにも関わらず、授業参観や運動会には毎回顔を出してくれていたし、面と向かって食事をする回数は、遥かに父よりも多かった。




学年が上がっても特に生活は変わらず、僕は何となく、このまま父さんと二人生活のまま大人になっていくのだと感じていた矢先のことだった。





――父さん再婚しようと思う。





とある日曜日、二人して寝転がりながらテレビを見ていた時に出た一言だった。




もちろん僕が嫌と駄々を捏ねたところで、どうにかなるようなことではない。おばあちゃんは前から知っていたようだったし、恐らく僕が反対するのを防ぐためにギリギリまで黙っていたのだろう。



思い返してみれば、賛成も反対もしていなかったと思う。父さんと僕は紛うことなき親子ではあったが、親子として過ごす時間があまりにも短かったため、僕からすると遠い親戚のような存在だったのだ。




まあ、あえて反論を言うのなら、自分の生活している空間に赤の他人が入り込んでくるのが嫌だった。




それからは早かった。




次の週には相手方との顔合わせが組まれた。正確に言えば、組まれていたのを直前になって知らされた――加えて、向こうには僕の一つ年下の女の子がいるとのことだった。



場所は僕と父さんが暮らしていた、古びたアパートの一室。




美帆はどこにでもいる女の子と言った感じで、伸びた前髪で目元が隠れ、それでいて終始こっちの方をチラチラと見てきていたため、僕も僕で緊張してしまった。



その時はほとんど言葉を交わさなかったと思う。



多分数時間いろいろと二人の親主導で喋っていたような気がしたけど、僕がその日美帆について知ったことといえば、毎日日記を書いているということだけだった。






『お兄ちゃんになるんだから、ちゃんといもうとの面倒をみなくちゃいけないぞ』



という父さんの言葉が、やけに強く残ったせいでもある。





――そしてあれよあれよという間に、父さんは新しい母さんとの籍を入れ、本当の家族としての生活がスタートした。



そのタイミングで今住んでいるマンションに引越し、それがちょうど夏休みが終わる一週間ほど前の事だった。








***



「――兄さん起きてる?」



夢と現実の狭間で揺れる意識の奥で、聞きなれた呼び声に僕は重い瞼をあげてここが現実世界だと認識する。



「……起きてるよ」



本当は今起きたばかりだけど……。



「晩ご飯の準備できたからリビングに来てね」



「分かった」



どうやらまた眠ってしまっていたらしい。と言っても今回は三十分も経っていない。夢の中では何年も過ごした感覚だっただけに、不思議な気分だ。











テーブルには、二人分の食事しか用意されていなかった。四人がけのテーブルと椅子があるけど、それが全部埋まることはほとんどない。



母さんは元々、バリバリのキャリアウーマンで分かっていたことだけど、父さんの方も再婚してから全国各地に出張で飛び回ることが多くなった。



あるいは、それももしかしたら父さんなりに、一人になる僕のことを気にしてくれていた……のだろうか。



「父さんも母さんも今日は遅くなるらしいよ。昨日母さんが作り置きしてくれていたのを温め直しただけだけど」



「んー」



「兄さん明日はバイトお昼からなんだよね? 美帆は朝から部活だからちゃんと戸締りしていってね」



「んー」



「愛してるよ兄さん」



「んー」



僕はまだ目が明るさに慣れず、何度も目をこすったり瞬きを繰り返しながら美帆の話に付き合った。



「兄さん、ちゃんと美帆の話聞いてるの?」



だからか、気がつけば美帆がテーブルに両手をつきながらこちらに身を乗り出していた。



だから顔が近いって。



「き……聞いてるよ」



昔は肩の下まで伸びていた髪も、テニスをするのに邪魔だからと、今ではショートカットに切りそろえられたふんわりとしたボブ風の髪型だ。



「どうだか。まだ今日のことを引きずっているんじゃないの?」



「ひ、引きずっていないわけでは……少しは」



「はあー、もう終わったことをウジウジしても仕方ないでしょ。そんな顔と名前しか知らないクラスメイトより、もっと身近に素敵な人がいると思うのにな」



「……いや誰だよ。まさか遥陽はるひのことか?」



遥陽――国分遥陽こくぶはるひは僕と美帆のいわゆる幼なじみというやつだ。



すぐ側に建っているマンションに住んでいるのだが、僕が幼稚園の頃から一緒に遊んだりしていて、美帆が家族になってからは、休日とかによく美帆と二人で出かけたりもしているらしい。



部活も同じテニス部に入っていることから、美帆も遥陽にはかなり懐いている。



「そこで遥陽さんの名前を出してくるあたり、やっぱり兄さんワンチャン狙っているんだね」



「狙ってませんけど」



ふん、とわざとらしく唇を尖らせた美帆は、コップにお茶を注ぎつつ俺に向けてニヤリと口角を上げてみせた。



「でも残念でした、遥陽さん好きな人がいるって言ってたから諦めた方がいいよ」



「ふーん……あの遥陽がね……まあ狙ってませんが」



「ちなみに小学校の時の話だけど」



美帆はまた、してやったりと僕の方を向いてペロッと舌を出した。あざといと思いつつも、可愛らしいと感じてしまうのは僕が兄バカだからか。



一応僕の名誉のために再確認しておくが、本当に僕は遥陽のことを幼なじみ以上の関係になりたいと望んだりはしていないから。断じて。



この問答を美帆と続けていて、またからかわれでもしたらたまらない。僕は無理やり話題を変えることにする。



「小学校のと言えばさ、美帆ってまだ日記書いてたりするの?」



「……日記? 書いてるけど急にどうしたの? ……っていくら兄さんでもそれは見せれないよ」



「そんなプライベートなもの見ようだなんて思っていないよ。ただ何となく、さっき昔の夢を見たから思い出して……」



「それならいいけど。――じゃあ、美帆は先に部屋に戻るから皿洗いはよろしくね」



「うん」



食べ終わった食器類を流し台まで運んだ美帆はひらひらと手を振って、暗い廊下へと消えていく。二人の時は基本的に皿洗いは僕の担当だ。



「あとそれから、まだ辛くて寂しいようだったら呼んでね。いつでも一緒に寝てあげるから」



「気が向いたらそうするかも」



「ふぇっ!」



「……美帆?」



「なっ、なんでもないよっ!」



顔を真っ赤にして、ピューっと小走りで駆けて行った美穂の背中を見送りながら、僕は自分の分の食器を手に取る。



慣れない言葉を無理して口にするから、僕がちょっと乗っただけで、美穂の方が照れてしまった。そういうリアルな反応をされるのも、僕としても何だかむず痒い。



夢の中では幼かった美帆も、今では高校生だ。彼氏とかいるのかな……。



今度遥陽に会ったらそれとなく聞いてみよう。




――と思ったときだった。



当の遥陽から僕宛てにメッセージが届いたのは。



ズボンのポケットがバイブで震え取り出してみると、そこには思わずポカンとしてしまうような文章が綴らていた。



【聞いたよ凛くん、失恋したんだって? 私や美帆ちゃんがいるのに他の人を好きになるなんてどういうことかな?】

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