みどりの襷
樵丘 夜音
みどりのタスキ
秋も深まる11月。今年もこの時期がやって来た。全国高校駅伝県大会。今年こそ、必ず突破して年末の全国大会に出場する。高校2年の僕にはまだ来年があるけど、みどリ先輩にとっては、今年が最後の大会だ。
中学から陸上をやっていた僕が高校でも陸上部に入ろうと、入部希望の用紙に名前を書いていた時、僕の手元を覗き込んできたのが、陸上部のマネージャーをしていた2年生のみどリ先輩だった。
「
と言って、僕が書いた用紙を奪い取ると、ひらひらとさせながら、
「監督~!駅伝候補見つけました~」と監督の方へ走って行った。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!!」
慌ててみどリ先輩の後を追いかけて行くと、監督の横で小さく走るまねをしながら僕が追いつくのを待っていた。
「はい、合格~!力の抜けた走りも、いい感じでしたよね、監督」
「面白いかもしれんな。君、駅伝の経験は?」
「ありません」
「やってみようよ!私、マネージャーの武田みどり」
まっすぐに差し出されたみどリ先輩の右手は、とまどいながら出した僕の右手を力強く握ると、よろしくねっ、と指切りのように手を大きく振って、離した。
これが、僕と駅伝の、そしてみどり先輩との出会いだった。
陸上部に入ってすぐ、半年後にある地区予選大会のメンバーが発表された。入部したての駅伝の経験がない僕が選ばれるはずはなかったが、先輩たちの大会に対する思いや気迫を身近で感じて、練習のモチベーションもあがった。
「行け、行け~!」
「頑張れ!」
みどリ先輩の応援は、陸上部の何よりの力だった。
でも、その年は世界的な感染症の流行で、県大会も全国大会もすべて中止になった。
3年生の先輩たちの悔しさは、1年だった僕でも十分すぎるほど共有できた。
今年は大会が開催されると決まった時、みどリ先輩が涙を流して喜んでいたのを、みんなが知っていた。繋いだ襷をメダルと一緒にみどり先輩にかけてあげることが、部員全員の目標だった。
ついに、選手の発表の日が来た。
7人の中に、2年の僕が選ばれた。卒業してしまった去年の3年生の想いを受けて、絶対に全国に行ってメダルを取るんだと、僕たちは、今まで以上に練習に励んだ。
そのおかげで、3年の濱野先輩が県大会で区間新記録を出して優勝、全国大会への切符を手に入れた。
12月。全国大会当日、雲一つない澄み渡る晴天で、吐く息の白さも薄かった。
「とにかく、楽しめ!悔いだけは残すなよ!」監督からの最後の激励を受けて、僕たちはレースに臨んだ。みどリ先輩はワクワクと心配とでちょっと変な顔になっていたが、それもまたかわいくて、僕はみどリ先輩のために全力を尽くそうと、改めて心に誓った。
僕が任されたのは5区。距離は短いが、この区間の記録が勝敗に大きく関わるとも言われていた。
4区を走るのは、地区予選で区間新を出した濱野先輩だった。
天気が良過ぎたのかもしれない。全体的に序盤からハイペースのレース展開になっていた。濱野先輩は、先頭集団に入っていた。下り坂が多いコースで、追い風が吹いた。風に押されるように全体のペースが、また上がった。濱野先輩の姿が、一瞬、消えた。乱されたペースで接触が起きたのだ。
先頭集団から転がり出た濱野先輩は、左の肘をかばいながら立ち上がると、足元を確認してから、監督に「行けます!」と手をあげて合図を送って走り出した。沿道からは、濱野先輩を称える拍手と歓声が沸きあがっていた。
5区のスタート地点で、先頭集団で来ると思っていた濱野先輩の姿が見えず、僕は少し焦っていた。ようやく襷を手に持って走って来た濱野先輩は、肘には擦り傷があり左の足首をかばうようにやや傾いた姿勢で、襷を掲げて、僕に託した。
「赤井、頼んだぞ!」
「はい!」
3キロちょっとのコースで追い上げるのはなかなか厳しかったが、僕は必死に走った。風が変わると言われている区間だということを忘れてしまった。追い風から、急に横風が変わった。うまく集団に入って風を受けにくい位置を選ばなくてはいけなかったのに、僕は、濱野先輩の分を取り返そうと集団から抜けていた。まともに横風を食らい、自分のペースも乱してしまい後半はまったく伸びなかった。僕が気負い過ぎたせいで、襷を繋ぐのがやっとという結果で終わった。
僕たちは、メダルどころか入賞すらできなかった。
みどリ先輩は涙を溜めて目を真っ赤にしていたが、いつもの笑顔で、
「みんな、かっこよかったよ!おつかれさま!駆け抜けた青春 、ありがとう~!」
と、僕たちの背中を叩いて回った。
大晦日──
狭いけれど、思い出の詰まった部室で毎年行われる陸上部の3年生を送る会。3年生が順番に挨拶をしていった。挨拶する先輩も聞いている後輩たちも、悔しさと寂しさで、みんな泣いた。
みどリ先輩が涙をぬぐいながら、
「来年の必勝を願って・・・」と、何やら緑の帯状の物を後輩の僕たちに配った。
『必勝祈願 byみどり』と書かれた緑色の襷だった。
「これ、なんすか?」
「ふふふ。お守りみたいなもん。名付けて、みどりのタ・ス・キ」
笑い声が起こり、みんなが口々に「来年こそ、やりますよ!」とか「みどリ先輩の想い、受け止めました!」などと言っていた中、僕は、その襷を握りしめて突然立ち上がり、
「ぼ、僕は『みどりのタ』抜きがいいです!!」と叫んでしまった。
「おい、赤井、何言ってんだよ?」
笑っていた部員たちが僕を見上げた。僕の気持ちを知っていた同級生の健太だけが椅子から転げ落ちて、違う違う、と必死に首を横に振っていた。みどリ先輩も、ポカンとした顔をして、
「あー、はいはい。赤井君、もうお腹すいたよね」
と言って、横にあった段ボールの箱を開けた。
「恒例の年越しそば、配りまーす!うどんがいい人は赤いきつねね。そばがいい人は緑のたぬき、取ってね」
みどリ先輩はカップ麺を配り始めた。
「赤井君は緑のたぬきなのね。はい、どうぞ。あ、誰?今、私のこと狸に似てるって言った人!ほら、やかんのお湯、熱いから気を付けてよ」
僕たち陸上部は、毎年、送る会の締めにみんなでОB会からの差し入れのカップ麺を年越しそばに食べることになっていた。
僕は、渡された緑のたぬきを見つめながら、これがみどリ先輩と食べる最後の年越しそばなのかと思ったら、また涙が浮かんでしまった。
みんなはワイワイと思い出話をしながら食べていたが、僕は力なくボソボソと麺をすすった。今年の出汁は、いつもより塩気を強く感じた。
片付けを終えて、部室を出た。みどリ先輩が、
「私からの最後のエールを・・・。コホン。・・・みんな、がんばれー!!」
空に向かって大きな声で叫ぶと「じゃーねー!!」と大きく手を振った。
健太が、僕のわき腹を小突いた。
「・・・いいのか?さっきの、まったく通じてないぞ」
僕はハッとして、みどリ先輩がくれた襷をもう一度右手に持って掲げると、みどリ先輩に負けないくらい大きな声で、空に向かって叫んだ。
「『みどりのタ』抜きです!!」
「はい?」また、ポカンとしてしまったみどり先輩の元に、がっくりと肩を落とした健太が駆け寄って言った。
「めんどくさい奴ですいません。みどリ先輩、『みどりのタスキ』から『みどりのタ』、抜いてみてください・・・」
夕焼け空を見上げながら、もごもごと口を動かしながらちょっと考えていたみどリ先輩が、
「みどりのタ・・・スキ、すき?・・・好きってこと?!」
やっと意味が分かって、一瞬頬を赤くしたが、
「やだー!全然分かんないよ~」
と、僕に駆け寄ると、襷を持っていた僕の右手を両手でぎゅっと握って言った。
「赤井君の走り、大好きだよ。ずっと応援してるからね」
それは、僕がみどリ先輩を思う気持ちとは違う、同じ夢を持つ仲間としての好きだと分かった。
僕は初めての失恋をして、緑のたぬきは切ない思い出の味となった。
あれから12年──
「みどりのきつね、できたよ~」
大晦日、御揚げの入ったそばをそう呼んで出してくれたのは、みどり先輩だった。今年の年越しそばの出汁は、格別甘い。
「私、何色になるのよ~」と笑いながら、僕の前でそばをすするみどり先輩は、来春、『赤井みどり』になる。
── 了 ──
みどりの襷 樵丘 夜音 @colocca108
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