第15話
白い影が舞い踊り、一対の尖槍がその魔物を蹂躙した。
グラン・セメタリーが強力だと言われる所以は、その破壊力と再生能力にある。
しかし鈍重極まる挙動に加えて、その再生能力も『二度目の落日』で失われているグラン・セメタリーは、もはやレウリアにとって障害にはならない。
俺が『二度目の落日』の音を鳴らしている間に、グラン・セメタリーは白骨の山に姿を変えていた。
「もう、蘇る事はなさそうね」
「『二度目の落日』の効果は絶大だったな。それに、この魔物がいるってことは他の冒険者はまだ奥へは進んでないはずだ」
小賢しい考えではあるが、グラン・セメタリーのお陰でほかの冒険者達はこの先へ進む事は出来なかったはずだ。
つまりこの魔物を撃破した俺達が、銀の果樹園の後に初めてこの奥に足を踏み入れた、最初の冒険者となる。
そしてギルドの記録が正しければ、この先には確実に目的の物が眠っている。
ありとあらゆる病を癒し、若がえりと不老不死を実現するとされる、世界樹の種子が。
隣にいたレウリアも、神妙な顔つきで通路奥の暗がりを見つめていた。
「進みましょう。きっと、この先に世界樹の種子が……。」
「気を付けろ。迷宮の主が飛び出してくるかもしれない」
急いているであろうレウリアに忠告する。
小さく頷いたレウリアは、槍を持ったまま闇の奥へと歩みを進める。
暗い迷宮の中に二つの足音だけが反響して、消えていく。
そしてたどり着いた、最下層。
微かな光と共に視界が開けるも、視線を巡らせる他なかった。
たどり着いたそこには、文字通りなにも存在していなかったからだ。
あるのは壁に開けられた無数の小さな穴の開いた広間だけ。
迷宮の主もいなければ、それに類する魔物もいない。
嫌な予感が脳裏をよぎり、レウリアが呻くように呟いた。
「まさか、別の冒険者達が先に……。」
「あり得ない。グラン・セメタリーを素通りして、迷宮の主だけを倒すなんて不可能だ。たとえプラチナ級冒険者だろうと、挟まれて終わりだ。それに戦闘を行った形跡すら残ってないだろ」
だから、この場所に残っているはずだ。
そんな願望に近い言葉が、喉につかえて霧散した。
無責任なことは言えない。
しかしこの場所の痕跡が確かに伝えているのだ。
ここに、世界樹の種子があると。
「探しましょう。迷宮の主がいないなら、むしろ探しやすい」
広間に足を踏み入れたレウリアに続いて、俺も周囲の探索を始める。
ただ、レウリアの言う通り広間には魔物もいなければ障害物も存在しないため、探すのに手間はかからなかった。
そして壁際にあった小さな窪み、周囲とは毛色の違う物体が挟まっているのを発見する。
人の頭ほどある、白い球体の物体。
そして荷物持ちの男が言った、甘い香りが周囲に漂っていた。
心臓が早鐘を打ち、思わずレウリアの名前を呼んでいた。
「レウリア! 来てくれ!」
その時の彼女の表情を、俺は忘れることはないだろう。
期待と恐怖に満ちたその表情は、俺の見つけた物体を見て、満面の笑みに代わった。
「それで、間違いないわ。それが、世界樹の種子よ」
◆
事前に聞いていた情報から、この種子がどれほど危険な物かは理解していた。
そのため聖銀でしっかりと固定した後、俺が責任を持って地上へと持ち帰る。
地上に出たら再び聖骸布などで厳重に封印し、レウリアの本国へと送ればいい。
それで、レウリアは胸を張って国に変えれる。
寂しくはあるが、仲間の悲願達成までもうすぐだ。
「国に帰ったら、女王様から勲章を貰えるかもな」
「わからない。仲間を殺したことに変わりはないから」
「でも確かに女王様を助けたんだ。本当に優れた統治者なら、きっとレウリアの行いも許してくれるさ」
「そうね。そうだと、願いたい」
だがまずは、地上に持ち帰る必要がある。
ポーチから聖銀の鎖を取り出し、世界樹の種子を手に取る。
手に持った感覚は、意外と軽い。
種子なのだから中に何かが詰まっていると思っていたが。
まぁ、そんな個人の感想などどうでもいい。
手早く聖銀を巻き付け、そのまま両手で抱えて、来た道を戻る。
「地上に戻ろう。念のため、レウリアは離れて付いてきてくれ。ここの冒険者と同じような影響を、受けるかも――」
言い終わる前に、言葉が止まった。
手の中で、なにかが弾けたからだ。
指の隙間を伝って、そのなにかは全て地面にまき散らされる。
なにが起きたのか。
そしてなぜそうなったのか。
頭が真っ白になり、地面に広がる白濁の液体を呆然と眺めていた。
「ば、馬鹿な。なにが……。」
世界樹の種子が、溶けて消滅した。
いうだけなら簡単だ。
知りたいのは、だがなぜそうなったのかだ。
しかし誰も教えてはくれない。
「嫌よ、そんな。違う、こんなの……。」
胸を締め付ける、悲痛な声が耳を突いた。
まるで絞り出す様な、思わず耳を塞ぎたくなる、叫び。
徐々に周囲の温度が下がっていき、身を刺す冷気が立ち込める。
レウリアの能力が暴走しかかっているのだ。
それも全て、俺が世界樹の種子を持ったせいで。
頬を零れ落ちる涙は瞬く間に氷結し、地面に落ちて砕け散る。
まるで自分が泣いている事に、気付いていないようでもあった。
静かに、しかし次々と小さな氷が地面で弾ける。
いったい何が起こったのか。
ふと、世界樹の種子だった物を見た、その時だった。
液体の中に何かがいる。いや、微かに何かがいた様に見えた
それに気付いた、次の瞬間――
「離れろ、レウリア! 魔物だ!」
涙をこぼす少女の腕を握っていた。
鋭いナイフの山に手を突っ込んだ様な激痛が手を襲う。
その冷たさに、思わず悲鳴すら凍り付いてしまう。
しかし、離すわけにはいかない。
強引にレウリアを立たせ、その場から離れさせる。
そして左手を向けて『逆巻く雷鳴』を起動させるが、その必要がない事にようやく気付く。
白濁の液体に潜んでいた小型の魔物は、すでに息絶えていたのだ。
呆然とその魔物を見つめるレウリアは、いつの間にか俺の手を握りしめていた。
徐々に冷気は遠のき、そしてレウリアの手の温かさが戻ってきたころ。
背中から聞いた事のない声が、俺達へと投げかけられた。
「ねぇ、いくらなんでも、私もそろそろ怒るよ?」
手の温かさから、鋼鉄の冷たさへ。
瞬時に腰の剣『幻魔獣の靱角』を引き抜き、その切っ先を声の主へと向ける。
するとそこには、見下ろす程の小さな少女が経っていた。
少女は俺達を見上げたまま、睨みつけて動かない。
「こんな所に子供? いや、違うな」
「この人でなし! よくも私の可愛い子供を殺したわね!? 子供を失う母親の気持ちを考えたことあるの!?」
「あの魔物が子供か。なるほど、お前もバルバトールとかいう奴の仲間だな」
なんら証拠も根拠もない。
しかし否が応でも思い起こさせるのだ。
この小さな子供の見た目をした存在が、あの怪物と対峙した時の感覚を。
案の定、バルバトールという名前を聞いたその存在は、顔をしかめて地団太を踏んだ。
「あのお馬鹿、失敗したのね! オーレンに言われた通りにしてればよかったのに! でも、流石に死んだとも思えないし、急に気が変わったのかしら。どっちにしても、そのツケが私に回ってくるなんて。後で文句を言ってやらなきゃ」
剣の切っ先を向けられてなお、この余裕。
つまり、俺達など最初から眼中にないということか。
相手の出方を窺っていると、背中から震える声が届いた。
「エルゼ、一体何を話してるの? バルバトールって誰なの!?」
「詳しくは後から説明する。だが注意してくれ。こいつらは限りなく人間に近い姿をしているが、全く別の生き物だ。本物の怪物と呼ぶべきか」
レウリアが小さく息をのむ。
それも当然だ。アンデット系の魔物の様に、人間に極めて近い魔物は確かに存在する。
だが完全に人間の子供の見た目をして、人間の言葉を流暢にしゃべり、子供を愛する魔物など存在するはずがない。
それはもはや、本物の人間と言っても過言ではない。
しかし中身まで人間と同じとは限らない。
あのバルバトールの様に、理不尽なほどの力を振りかざす可能性があるのだ。
一対の槍を構えたレウリアを見て、ようやく身の危険を感じたのか。
視線を俺とレウリアに合わせ、そしてその存在は両手を広げた。
「自分が何者か、なんて些細な問題よ。大切なのは何をなし、なにをすべきか。バルバトールは外敵を撃ち滅ぼす使命を帯びていた。そしてこの私、テラノテリポカは――」
正体不明の存在――テラノテリポカは遥か彼方の空を掴むように、右手を真上へと伸ばした。
その瞬間、迷宮の内部におびただしい数の足音が鳴り響き始める。
それは瞬く間に広間の壁に開いた穴から姿を現し、テラノテリポカを取り囲んだ。
巨大な昆虫型の魔物達。
もはや数える事すら困難だ。
黒い一つの生き物のように、俺達を取り囲んだ。
逃げ道も、進むべき道も塞がれる。
黒い津波の裂け目より、テラノテリポカは壮絶な笑みを見せた。
「大切な子供達を育て上げて、再び地上を楽園に戻すのが使命なの。だからね、子供達の遊び相手とご飯になってあげて?」
◆
次々と襲い来る魔物を、切り裂いては捨てていく。
レウリアから借りた『幻魔獣の靱角』は、その性能を遺憾なく発揮していた。
固い魔物の甲殻も、まるで意味をなさない。
一振りごとに魔物が霧散し、魔石に形を変えていく。
しかしながら、それも限界に近づいてきていた。
レウリアと背中合わせで戦っている物の、一向に魔物の数が減る様子がないのだ。
膨大な数を誇る魔物の軍勢の奥から、テラノテリポカの楽し気な笑い声が聞こえてくる。
「あはははは! そろそろ降参したら? そうすれば、新しい子供の苗床にしてあげる。私の子供達は人間の生命力を使って孵化するの。その過程で人間は心が壊れてしまうみたいなのだけれど、死体も他の子供達のご飯になるから一石二鳥なのよね」
猛攻が止み、周囲の魔物達が俺とレウリアの動きに注視し始める。
普通の魔物とは異なった行動だ。俺達の攻撃を学習しようとしているのだろうか。
あのテラノテリポカを倒さなければ、俺達に生き残る術はなさそうだった。
どうにか時間を作るために、話を続けさせる。
「つまりあの世界樹の種子は、お前の作った偽物だったってことか」
「巧妙に作ってあったでしょ? 親友に頼んで作ってもらったの。お陰で馬鹿な人間達は喜んで手に取り、私の可愛い子供達はご飯にありつけたわ」
「加護による鑑定さえ欺く偽物なんて、存在するのか……?」
加護による鑑定は、誤魔化せないというのが共通認識だ。
世界樹による加護で得た能力は、人智を遥かに超えた力を持つ。
それを騙しうる偽物など、この世に存在するとは信じられなかった。
テラノテリポカは俺の反応が信じられないとでも言いたげに、眉をひそめる。
「当り前じゃない。その加護を貴方達に与えてる世界樹と私達は、根本では同じ存在なのだから。それともその手に握られた力がなによりも優れた、奇跡の御業だとでも思っていたの?」
今、なんと言ったのか。
俺達に加護を与えている世界樹と、この怪物達が同じ存在?
それが真実だとしたら、俺達は世界樹その物と戦っている事になる。
バルバトールやこのテラノテリポカが有する力を考えれば、それもあながち間違っているとも思えなかった。
勝てるのか? いや、そもそも殺せる存在なのか?
ぐるぐると頭の中を疑念と不安が渦巻き、思考が混濁していく。
そんな最中、消え入りそうな声が疑問を呈した。
「世界樹の種子は、存在するの?」
声の主は、考えるまでもない。
その様子は、今までのレウリアとは全く違う。
激しく肩で息をして、今にでも倒れてしまいそうだった。
だが、そのレウリアの様子を気に入ったのだろう。
テラノテリポカの甲高く耳障りな笑い声が、迷宮の中に反響した。
「あっはははははっ! そうよね? 気になるわよね? でもね、笑っちゃうわ。貴方達が世界樹と呼んでる物がなんなのかさえ知らないなんて。だから世界樹の種子だなんて存在もしない物を求めて、こんな場所にまで足を運んでしまうのよね? あぁ、そう考えれば貴方達も哀れで可愛い、迷える子供達なのね」
「……。」
レウリアは、じっと待っていた。
怒りが朱色となって、唇から流れ落ちる。
「でも残念。ここに貴方達の求める宝物はないの。勝手に抱いた幻想に裏切られた感想はどう? 貴方の仲間達も最後は夢見た世界樹の種子を手に入れられたのだから、いい夢を見られたでしょ。少しぐらい、私達に感謝してくれてもいいのよ?」
「黙れ」
「落ち着け、レウリア」
低くなる様な声。
それはレウリアが初めて見せる、明確な怒りだった。
両手に持った槍が震え、浅い呼吸を繰り返している。
もはや、レウリアの限界は目に見えていた。
しかし、饒舌なテラノテリポカを止める術は、無かった。
「甘い幻惑と理想の中に燦然と輝く希望。そんなクソの役にも立たない物の為に命を懸けて死地に向かうなんて、なんて愚かでなんて美しいのかしら。死んでいった仲間達はさぞ悔しがってるでしょうね、貴方みたいな無能が最後に残ってしまって。でもいいのよ? きっと世界樹の種子は存在するわ。死んでいった馬鹿共のお花畑な頭の中にはね」
「黙れぇぇぇえええっ!」
「待て! レウリア!」
制止など、意味をなさなかった。
大気を揺るがす程の咆哮と共に、白い影が翔けた。
その身自身が一本の槍の如き速度で、魔物の群れに突っ込む。
だが、膨大な魔物の壁を突破するのは至難の業だ。
数匹を貫いたレウリアは、再び魔物に阻まれて身動きが取れなくなる。
槍だけであの数を突破するのは、不可能だろう。
それでも、彼女には切り札がある。
眼帯を解き放ち、その目を見開いてテラノテリポカを睨みつけた。
必殺にして必死の、白き死神の瞳が。
「お前は、ここで――」
勝った。
そう思った瞬間。
白い髪が揺れる。
そして糸が切れた人形の様に、レウリアは地面に転がった。
◆
なにが起こったのかを理解する為に、数秒を浪費する。
だがわかったのは、レウリアが真正面から戦いを挑み、そして敗れたということだけだった。
テラノテリポカは地面に伏せったレウリアを見下ろし、肩を揺らした。
「貴方達は、本当に不完全な存在ね。自分の感情すら自由にコントロールできないなんて。不自由だけれど、そこが愛らしくもあるわ」
「レウリアから離れろ!」
「命令できる立場かしら。生意気なこと言ってると、この人間を生きたまま子供達に食べさせるわよ? まぁ、貴方がなにを言おうと、最後にはそうさせるんだけど」
腕を振ったテラノテリポカに続いて、魔物達がレウリアを壁に貼りつけにする。
魔物達はテラノテリポカからの次なる合図を待っているのだろう。
レウリアの周囲に張り付き、その顎を鳴らしていた。
「指一本でも触れてみろ。どうなるか、わかってるんだろうな」
「えぇ、もちろん。この人間は死んで、貴方もその後を追うの。哀れで愛おしくて、面白おかしいわ。順序を変えるのも楽しそうね。貴方の死体を見たら、彼女はいったいどんな顔をしてくれるのかしら」
邪悪で醜悪。
人間の形こそしているものの、その思考や行動は人間のそれではない。
レウリアの首をそっとテラノテリポカが指先で撫でると、ジワリと鮮血があふれ出す。
テラノテリポカは朱色に染まった指先を、恍惚の表情を浮かべて口にくわえた。
迷宮の奥や地上にこんな存在達が紛れ込んでいると考えるだけで、まるで自分達が歩んできた大地が深海の上に張られた薄氷だったと気付いたかのような、果てのない恐怖に見舞われる。
だが視界の奥。貼り付けにされたレウリアの姿が、恐怖を和らげた。
その代わりにこみ上げてきたのは、怒りと焦燥感だ。
鉄の冷たさを手で感じながら、再びテラノテリポカへと『幻魔獣の靱角』の切っ先を向ける。
「お前みたいな存在は、生かしておくわけにはいかない」
「あら、そう? ずいぶん勝手な言い分ね。自分達が後から生まれてきた劣等種のくせに」
「なら言い方を変えよう。俺の仲間に手を出したんだから、死ぬ覚悟はできてるんだろうな」
「覚悟なんて必要ないわ。だって、これは生死を掛けた勝負ではなく、ただの食事なんだから。貴方は食事の前に、一々覚悟を決めているの?」
ゆっくりと、加えていた指先を俺へと向けた。
それが、合図だったのだろう。
周囲を取り囲む魔物達は、蠢く黒い津波となって、一斉に襲い掛かってきた。
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