第10話
古き伝える街、オルト・エンデ。
貴族が押し寄せた結果、意図しない発展を遂げた街並みは大陸の中央に位置する王都にも劣らないとされる。
そもそも大都市に住む貴族や豪商が原因で発展したのだから、似るのは当然か。
金持ちの生活とは無縁の冒険者ギルドまで、古風で華美な建築様式である必要は感じられなかったが。
◆
褐色の受付嬢が、銀色の髪を揺らしながら微笑んだ。
「あぁ、その話なら有名ですよ。腐った銀の林檎事件と呼ばれています。誰がそう呼び始めたのかはわかりませんが」
完全なる営業の笑みから、渡された資料に目を落とす。
ゴールド級に昇格したことで、過去の事件や出来事の資料を冒険者ギルド側に申請できるようになったのだ。
そこでようやく、あの荷物持ちが話していた内容が事実であることに確証が持てた。
となれば迷宮の内部に世界樹の種子が眠っている可能性は高い。
「事件の後に迷宮を攻略した冒険者はいるのか?」
「いいえ、ギルドの記録にも私の記憶にも残っていないので、恐らくは未踏のまま放置されていますね。ギルド側も世界樹の事を考えて、踏破者には報奨金を出すと告知はしているのですが。いかんせんあのような出来事の後ですから」
無理もない。
55人が殺し合いを繰り広げた迷宮だ。
凄腕の冒険者であったとしても気後れするに違いない。
「ありがとう、助かった」
「いえいえ。それでは、オルト・エンデでの活躍を期待していますよ、冒険者エルゼ」
窓口から離れ、ひっそりと柱の陰に隠れていたレウリアの元へ向かう。
身バレを警戒してローブを纏っているが、この小洒落た街並みの中では酷く浮いて見える。
人ごみの中で見つける、という点に関して言えば目立って有り難いが。
「ということらしい。あの荷物持ちの話が真実なら、世界樹の種子はまだ迷宮内に残されてる」
「なら挑まない手はないわ」
言い切って、踵を返す。
その足取りに迷いはない。
向かう先はきっと第21迷宮だろう。
慌てて追い付き、肩に手を載せる。
「事前の調査も準備も無しか?」
「私達の力なら、多少無理してでも踏破できるはず。それに、時間をかけて他の冒険者に目的の物を取られなくはない」
私達。そんな言葉が彼女から出てくるとは。
少しは俺を信頼してくれているのか、それとも俺の加護の力を信頼しているのか。
どちらにせよ、早く依頼が終わる事に越したことはない。
速足で進むレウリアに歩調を合わせ、迷宮へと向かう。
55人が殺し合ったという、いわくつきの迷宮に。
◆
冒険者のことわざの中に、迷宮はその街の歴史を現す、という物がある。
まぁ、次々死んでいく冒険者達はなにかと格言を残したがるので、結局誰が言い始めたのかはわかってない。
それはさておき、このことわざは歴史が長い街にある迷宮ほど深く困難な物になる傾向があるため気を付けろ、という中々に常識的な助言が含まれている。
そして地上の街が発展して歴史が長いということは、それだけ魔石の産出量が多いということでもある。
つまり、それだけの量の魔物が迷宮内に出現するという意味合いでも使われる。
結局のところ、ここから得られる教訓はやはり、息の長い迷宮には気を付けろ、である。
「流石に一匹づつ相手にしてる暇はないな」
歴史の街という一面を持つオルト・エンデ。
その地底に蠢いていたのは、巨大な昆虫型の魔物『アント・ウォリアー:Lv29』だった。
群体でもあるこの魔物は、群れ自体がひとつの生き物のように行動する。
加えてこの種の魔物は、壁や天井を地上と同じように道として活用できるのだ。
剣で薙ぎ払ったとしても、いずれ押し込まれるのは目に見えていた。
そこで、左手を前方にかざし、短く唱える。
「雷光よ、奔れ!」
眩いばかりの閃光が、迷宮の暗闇を引き裂いた。
アント・ウォリアーの多くが、輝きが消えると共にその姿を霧散させる。
一瞬にして大半を失った群れは、一定の距離を保った状態で進行を止めた。
流石に今の魔法を警戒しているのだろう。
乱発は出来ないのだが、アント・ウォリアーにそれが分かるはずもない。
今の魔法は指輪の呪具『逆巻く雷光』の能力だ。
『逆巻く雷鳴』は魔力を消費して中級の雷属性魔法を使用する事が出来る強力な呪具だ。
魔法が自分にも返ってくる自傷効果が呪いによって付与されていたが、今のところ体に痺れはない。
もちろん俺自身の魔力を消費するので連発はできない。
ただ敵の数を減らすことと、相手の進行を食い止めること。
これに成功したからには、もはや勝利が目に見えていた。
俺のすぐ隣を、白色の影が駆け抜ける。
「はぁぁああああッ!」
気勢と共に、一対の槍が振るわれる。
尖槍が舞い踊り、次々にアント・ウォリアーを葬っていく。
そして俺が加勢する暇もなく、群れは散り散りになって逃げだしていた。
群れが消え去った道の奥に、下の層へと続く通路が現れる。
地図に地形を書き加え、そして完成されたそれをレウリアに見せる。
「この階層は、あらかた片付いた。放置されてたとはいえ、魔物の数が多い気がしなくもないが」
「つまり他の冒険者が入っていないということ。この先に、世界樹の種子が……。」
「お、おい!」
倒した魔物の魔石など気にもかけず、レウリアは真直ぐ通路を下っていく。
俺も遅れないようすぐにレウリアの背中を追うが、その足はすぐに止まった。
下の階層にたどり着いたその場所で、レウリアは呆然と立ち尽くしていたからだ。
一体何を見ているのか。
速足でレウリアの隣に並ぶと、ようやく彼女が何を眺めていたのかを理解する。
おびただしい数の人骨が、地面を埋め尽くしていたのだ。
残っていた武具のシンボルマークから、話にあった銀の果樹園だと判断できる。
だが、それだけだ。
誰が誰かなんてものは、とうにわからなくなっている。
あまりに凄惨な現場を前に言葉を失っていると、ぽつりとレウリアが呟いた。
「これだけの人間が、ここで殺し合いを始めた。それが普通だと思う?」
「普通だと答える奴が普通じゃないだろうな」
「そうね。狂気に呑まれ、錯乱し、仲間同士で殺し合う。この光景は、まるであの時と全く同じ」
「何を言ってる」
長い沈黙の後、意を決したようにレウリアは口を開いた。
「突然だった。私はパーティの先頭に立っていた。だから後ろで何が起きたのか、気付くのが遅れてしまった。獣の様な叫びと、悪夢の様な惨劇だけが記憶に焼き付いてる。全てを止めなければ。そう願った時にはもう、望まない結果だけが残されていた」
思い返されるのは、以前発見されたという世界樹の種子に関する情報だった。
唯一発見された種子がいったいどうなったのか。そして誰が発見したのか。
誰に聞いたとしても口を閉ざしていた理由を、いま理解した。
発見したのはこのレウリア本人だったのだ。
仲間達が狂気に陥り、殺し合いを始めた所で加護が暴走。
止めたいという彼女の意に反して、加護は全てを終わらせてしまった。
その後、種子を手に入れられたかは、ここに彼女がいる時点で明白だ。
「種子は、手に入らなかったんだな」
「気付いたときには、なくなっていたの。でも確かにあった。やっと手に入れたと微笑んでいる妹を、今でも覚えてる」
仲間を失い、そして種子も手に入れられなかった。
だが一度は種子をその目で確かめた事が、彼女をウィンドミルに縛り付ける理由となったのだろう。
様々な悪意にさらされようとも、種子を再び手に入れるため、孤独に戦い続けてきたのだ。
たったひとり。仲間を殺めてしまったという罪悪感に押しつぶされそうになりながら。
こういったとき、なんと声をかけるのが正解なのかはわからない。
だがここが分水嶺だという事だけは、はっきりとわかった。
深入りせず、あくまで仕事としてレウリアに接するか。
それとも仕事や依頼ではなく、彼女の事情を知ったうえで協力するか。
多くの冒険者はそういった関係を、特別な呼び方で現すのだろう。
しかし、俺はその言葉を簡単に使う気にはならなかった。
過去の事を思い返せば、その言葉を安易に使う相手を信用できないからだ。
しかし、お互いを信じあっていなくとも、力を貸すことは出来る。
偶然にも発覚した俺の力で、少しでも手助けをできたのなら。
そう考えた時。
「ひとつだけ聞かせてくれ。なぜ世界樹の種子を探しているんだ?」
大きく踏み込んだ質問をレウリアに投げかけていた。
レウリアは目の前に広がる惨状から目をそらし、俺を真直ぐに見据えた。
「恩義を、受けた人がいる。貧しい生まれだった私に何かを見出して、才能があると言ってくれた人が。その人のお陰で私は生きてこられたし、騎士という立場にも納まる事ができた。でも、貴族院やその傀儡である既存の騎士派閥はそれを許さなかった」
深い青色の瞳は伏せられ、小さく肩が震えていた。
それは怒りか、悲しみか。あるいはその両方か。
「私や仲間達は恩義を受けていたにも関わらず、あのお方を守り通す事が出来なかった。重い病を患って苦しむあの方を救うために、受けた恩義を返すために、この命に代えてでも世界樹の種子を手に入れる必要がある」
語られたのは、他国のお家事情。
それも、恐らくは王族に関わる壮大な問題だ。
まさか俺がここまでの大事に関わることになるとは思っていなかったが、それでも覚悟は変わらない。
いいや、俺自身がやれることは何一つ変わっていない。
この『気高き純白』の力を使い、呪具を振るって、レウリアの手助けをする。
それを告げようと顔を上げると、レウリアに先手を打たれる。
「貴方は呪いや加護の影響を受けない。そうよね?」
「今のところは、その認識で間違いない。今後もずっとそうだとは限らないが」
「ならこれを持っていて。世界樹の種子を手に入れたら、その手紙と一緒にウィンドミルにある貿易商社『アンジェークド』に届けて欲しい。アルセント・ワーズの研究手記も、そこに預けてある」
差し出されたのは、厚い手紙だった。
こんな状況で渡されたのだ。
中に何が書かれているかは、想像に難くない。
「遺書を書くには気が早いと思うが」
「確実を期したいの。種子を手に入れたら、絶対に届けると約束して」
青い瞳から逃げ切ることは、出来なかった。
レウリアは俺を、詳しい事情を話すに足りる人物だと判断した。
ならば俺も、その信頼に答える必要がある。
差し出された手紙を受け取り、荷物の中にしまい込んだ。
「あまり気が進まないが、預かっておく。だが預かっただけだ。最後は必ず、返すからな」
出来る事なら、それが良い。
これ以上はだれも死ぬ事無く、全てが終わることが。
そのためにもまずは、世界樹の種子を探し出さなければ。
◆
「探しましょう。この近くに、世界樹の種子があるはず」
レウリアは散乱した骨の間を選んで、ゆっくりと進んでいく。
その足取りが心なしか軽そうなのは、俺の思い違いだろうか。
ただここで冒険者達が殺し合いをしたのであれば、世界樹の種子もこの周辺に落ちているはずだ。
注意深く地面を観察しながら骨の隙間を探していくが、ふと違和感を覚えた。
その違和感は徐々に明白になり、小さな振動を伴って表面化した。
「待て、レウリア!」
俺の警告とそれは、ほぼ同時だった。
まるで意識があるように人骨が一点に集まっていく。
瞬く間に組みがったそれは、歪ながらに人の形をしていた。
集団墓地や戦争跡地に出現するとされる大型の魔物、『グラン・セメタリー:Lv56』。
スケルトンやグールとは一線を画し、アンデットの最上位に位置する魔物だ。
その不死性は凄まじく、聖なる武器や道具を使わなければ真面に戦える相手ではない。
そもそもこの場所……冒険者達の墓場から生まれた魔物であり、その凶悪さはレベルを見ても明らかだった。
だが、レウリアがここにきて怯むわけがない。
「こんな魔物、一瞬で!」
吠えたレウリアは、瞬時に一対の尖槍を構える。
すぐそこに世界樹の種子がある。
その希望を前に急いているのが目に見えていた。
だが立ちはだかったのは、余りに大きすぎる障壁だった。
「無駄だ! グラン・セメタリーは一度倒した程度じゃあ殺しきれない!」
「なら何度でも殺すまで。二度と蘇れないように」
「馬鹿いえ、一度退くぞ! 対策も無しに勝てる相手じゃない!」
グラン・セメタリーの咆哮と共に、幾重もの悲鳴が共鳴する。
悲鳴に答えるよう、地面から白骨化した腕が突き出てくる。
次第にその数は増えてゆき、次第に『スケルトン:Lv35』となって彷徨い始める。
グラン・セメタリーは墓場の具現と呼ばれることもあり、次々と下級のアンデット種を生み出す。
それらを一気に殺しきるには、専用の加護か遺物が必要とされている。
生憎、俺達は加護の力も遺物も持ち合わせていない。
相手は疲労や恐怖のない死者達だ。
ここで真正面から戦っても、消耗戦に持ち込まれたらいずれ力尽きてしまう。
なら十分な対策を取って、再び戻ってくるのが得策と言える。
しかしながら、レウリアはじっとグラン・セメタリーを睨みつけていた。
いや、見ているのはもっとその奥。
迷宮の奥にあるであろう、世界樹の種子を見つめていた。
「絶対に嫌。きっとこの先に世界樹の種子がある。それなのに、逃げ帰るなんて」
「逃げ帰る訳じゃない! 対策を練るんだよ! ここでふたりとも死んだら、誰が世界樹の種子を持ち帰るんだ!?」
「でも!」
彷徨い始めたスケルトンが、次第に俺とレウリアに狙いを定め始める。
スケルトン達が身に纏う武具には、銀の林檎が刻印されていた。
ああなるか、それとも世界樹の種子をその手に生きて帰るか。
この瞬間の判断が、明暗を分けることになる。
そして俺にできる最良の選択は、レウリアを連れて地上に戻る事だ。
「必ず世界樹の種子は手に入れる! だから今は、種子を手に入れるために地上に戻ってくれ!」
「……わかった」
冷静さを取り戻したレウリアは、ゆっくりと両手の槍を下ろし、踵を返した。
グラン・セメタリーの咆哮と悲鳴が反響する中、地上への道を駆け抜ける。
しかし前方を走るレウリアは、地上に戻るまで一度も振り返ることはなかった。
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