第26話0:彼女との再会(ルーカスside)

――――首都での暮らしは楽ではなかった・・・。田舎村から来た平民の俺が、首席でアカデミーを入学した事は知れ渡り、それなりに嫌がらせも受けた。

 アカデミーを卒業後に騎士団に入団した時も、公爵の護衛として雇われた時も、独立して経営者となった時も・・・全てが思い通りに行ったわけでは無かった。

 少しでも判断を間違えれば自分の死に直結する・・・まるで針山の上を命綱の無い綱渡りでもしているかのような・・・そんな日々だった。


 それでも、エリーゼがきっと俺を待ってくれている・・・。


 そんな思いと、エリーゼと過ごした日々の記憶が俺を支え、闇に覆われ見えなくなりそうな道を照らし続けてくれた。

 

 人脈に恵まれ、運も味方になってくれたおかげで、22歳にして男爵という爵位を手にする事が出来た。


 そして俺はすぐに、エリーゼを迎えに行くための準備を始めた。

 長時間の移動で、体の負担を少しでも軽減させるために、乗り心地に拘った馬車を特注した。

 俺自身も滅多に着ることが無い正装に身を包んだ。

 身なりも念入りに整えてもらい、俺の姿を見た屋敷の侍女達からは次々と溜め息が漏れ出た。


 エリーゼとは10年振りの再会になる。

 毎日の様に恋焦がれ、この日を待ちわびていた。

 10年経った彼女はきっと素敵な女性になっているに違いない。


 俺だって、もう彼女の前で何も言えず狼狽えるだけの俺ではない。

 彼女を守る力も、財力も地位も手にした事は、俺の中で強固な自信となった。

 あとは胸を張って彼女を迎えに行くだけだった。


 エリーゼと会える喜びと期待に胸を膨らませながら、気もそぞろに俺は馬車に乗り込んだ。

 村から帰る時には目の前にエリーゼがいる・・・そんな姿を想像しながら、俺は村へ向けて出発した。



 馬車がエリーゼの家に到着した時、ちょうど家から彼女が出てきた。

 10年振りに見た彼女の姿は、とてもこの世に存在している人間とは思えないほど綺麗で美しかった。

 やはり彼女は天使だったのかもしれない・・・そう思いながら、しばらく見惚れて立ち尽くしている時、エリーゼが俺の姿に気付き、驚いた様に目を丸くした。


「エリーゼ」


 俺は10年振りにその名を呼ぶことに感動すると同時に、自然と笑みがこぼれた。

 だが、彼女は何が起きたのか分からない様子で、怪訝そうに俺を見つめながら口を開いた。


「ルーカスなの?・・・一体どうしたの?」


 その言葉を聞いて、俺の胸の中には氷点下にまで凍えた冷気が流れ込んできた。


 ・・・エリーゼは・・・俺を待ってくれていなかったのか・・・?

 これまで俺を支え続けていたモノは、幻想だったのか・・・?


 俺は今にもショックで崩れ落ちそうになる体を踏みとどまらせ、余計な懸念を振り払った。

 たとえそうでも、俺にはまだエリーゼと交わした約束がある・・・。


 俺は気を取り直してエリーゼの前に歩み寄り、その場に跪いた。


 それは何度も頭の中でシミュレーションしてきた事だった。

 このままエリーゼの手の甲にキスをし・・・彼女に告白してプロポーズをする。


 エリーゼ、君を迎えに来た。君の事を忘れた事は1度もなかった。ずっと君が好きだった・・・。どうか、俺と結婚してください。


 最後に頭の中で復唱し、エリーゼの左手をとった。

 昔は木登りをしていたせいで、傷だらけで硬かった彼女の手は絹のように滑らかで、しっとりとしていて柔らかかった。

 その手に視線を落とし、ゆっくりと顔を近づけた時・・・俺は目を疑った。


 ・・・・・・なぜ・・・?

 

 俺とずっと一緒にいてくれると約束を交わした小指は、そこに存在しなかった。


 その瞬間、あの時エリーゼが俺を庇って狼に噛まれ、その小指を失っていたのだと悟った。

 

 失ってしまった小指はもう元には戻らない・・・。

 俺はあの時、彼女に取り返しのつかない傷を負わせていたのだ。

 それなのに・・・そんな事に気付きもせず、自分勝手に一方的な手紙を押し付けて村を離れた・・・。


 彼女に直接詫びることもせず・・・俺は・・・なんて愚かな事を・・・。


 俺の胸中はもう、プロポーズどころでは無くなっていた。

 頭の中は真っ白に覆われ、彼女の手を握る俺の手は震えだし、その指の感覚も分からなくなっていた。


 俺は跪いたまま、顔を上げてエリーゼを見つめた。

 少し気まずそうに俺の事を見つめる彼女を目の前にして、再び会えた喜びと左手の傷への罪悪感で感情がゴチャゴチャになっていた。


 彼女にまた会えた・・・だけど俺のせいで・・・嬉しい・・・苦しい・・・悔しい・・・悲しい・・・。


 こんな俺が彼女を幸せに出来るのか・・・?


 じゃあ、彼女を誰かに譲るのか・・・?


 ・・・・・・それだけは・・・無理だ。


「エリーゼ・・・すまない・・・。どうか・・・この傷の責任を取らせてくれ・・・」


 まだ頭の中が整理出来てない状態で、その言葉は俺の口から零れ出た。


 その瞬間、エリーゼの顔からサーッと表情が消え失せ、その瞳が大きく震え潤みだした。

 俺からの視線をそらすように俯き、必死に唇を噛み締め何かに耐えている彼女を目の当たりにして、俺は取り返しのつかない間違いを犯した事に気付いた。


 違う・・・こんな事を言ってもエリーゼは喜ばない・・・。

 俺の気持ちを伝えなければいけないのに・・・。

 それなのに・・・だが・・・俺にそんな資格あるのか・・・?


 今にも、目の前から消えてしまいそうなエリーゼをなんとか繋ぎ止めるために、俺は必死に言葉を探した。


「一緒に首都へ来てくれないか・・・?俺と一緒に暮らそう・・・何も、不自由することはないから・・・」


「・・・この傷の事なら気にしなくていいよ。もう慣れたし・・・。だから気を遣わないで。私は一人でも大丈夫だから」


 それは昔のエリーゼからは想像がつかない程、冷たく突き放す様な口調だった。


 そう告げた彼女は俺に背を向けた。

 俺はその背中にしがみついてでも、彼女を引き止めたかった。

 手を伸ばし、その肩に触れようとした瞬間、歩き出した彼女は俺の手をすり抜けていった。


「エリーゼ・・・俺は・・・どうしたら・・・」


 エリーゼが俺の傍からいなくなってしまう・・・。

 10年間、どんなに会いたくても寂しくても、一度も涙など流した事は無かったのに・・・。

 俺の瞳からは堪えきれなくなった涙が次々と溢れ出していた。


「ルーカスは、ちゃんと好きな人と一緒になってね・・・。」


 振り返ることなくそう言ったエリーゼの言葉は、少し鼻声で震えていた。


 好きな人・・・?誰よりも大好きな人が目の前にいるのに・・・。

 彼女は何を思って涙を流しているのだろうか・・・?

 俺が泣かせてしまったのか・・・?


 エリーゼが家の中に消え、その扉が閉ざされるのと同時に、彼女の心の扉も固く閉ざされた様に思えた。

 エリーゼの姿が見えなくなった後も、俺は彼女の残像を見つめていた。


 エリーゼ・・・ずっと一緒にいてくれると約束してくれたじゃないか・・・。

 ああ・・・あの時の約束は・・・小指と共に消えて無くなってしまっていたのか・・・。


 もっと早くエリーゼに会っていれば良かった・・・。

 直接彼女の無事を確認し、約束をもう一度結んでいたなら・・・。

 ・・・自分の気持ちを真っ直ぐ伝える事が出来ていたら・・・。


 それっぽい言い訳を並べて彼女への告白を避け続けてきた。

 結局、俺は彼女に拒絶される事が怖かったのだ・・・。


 俺は何も変わっていない。

 情けなく・・・酷く格好悪い・・・あの時のまま・・・。


 彼女の好きなロマンス小説に出てくるような王子様になんて、俺はなれない・・・。






 過去を回想する俺の耳に、突然エリーゼの声が聞こえた気がして俺はハッと我に返った。

 いつの間にか、俺は村に隣接する森にまで来ていた。


 その時、再びエリーゼの笑い声が聞こえてきた。

 誰かと話をしているのだろうか・・・?

 その声を頼りに先へ進むと、彼女とよく遊んだ大樹のある場所へと辿り着いた。


 木の下で座っているエリーゼの隣には・・・見知らぬ青年が座っていた。


 エリーゼ・・・誰だそいつは・・・。


 かつての俺の居場所だった彼女の隣に座る男を見て、冷静でいられるはずなど無かった。

 

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