第25話0:彼女との別れ(ルーカスside)

――――いつか首都に戻り、俺を見下してきた奴らを見返してやる・・・という俺の野望は、エリーゼと共に過ごすうちにどうでも良くなっていた。

 彼女とこのまま村で一緒に居られれば・・・それだけで俺は心が満たされていった。



 この村に来てから、1年経った時のことだった。

 村の女性が、首都に住む貴族男性の家へ嫁ぎに行くと聞き、俺はエリーゼ、ユーリと共に見送りに行った。


 首都へ向かう馬車を、エリーゼはキラキラと瞳を輝かせながら見つめていた。


「私も大きくなったら首都に住んでみたいな。綺麗なドレスを着て華やかなお茶会や夜会に行くの」


 そんなエリーゼの言葉を、ユーリは面白そうに目を細めて聞いていた。


「あら、エリーゼにしては贅沢な夢じゃない?それなら首都に住む貴族の男と結婚しないとダメよ。それも爵位持ちの男とね」


「・・・」


 エリーゼが・・・他の男と・・・結婚・・・?


 その瞬間、俺は胸にぽっかりと穴が空いてしまった様な大きな失望感と、まだ存在しないはずのエリーゼの結婚相手に対する激しい嫉妬で胸が張り裂けそうになった。

 父親が失踪した時も、使用人に裏切られた時も、こんなに感情が大きく揺さぶられる事はなかった。


 エリーゼが誰かの者になる・・・?俺のエリーゼが・・・?


 頭の中は不快な警告音が響き渡りクラクラと目が回った。

 いたたまれなくなった俺は、ふらつく足でその場から離れようと、数歩後ろへ下がった時・・・


「ルーカス、どうしたの?」


 エリーゼが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

 目の前に現れたエリーゼに見つめられ、少しだけ俺は冷静さを取り戻すことが出来た。


「あ・・・。・・・エリーゼは首都に住みたいのか?」

 

 俺の問いかけに、エリーゼは満面の笑顔を弾かせた。


「うん!小さい時に1度だけ行ったことあるんだけど、凄い綺麗で素敵な所だったの!だから首都で暮らすことは私の夢なんだ。あとね、首都には魔法使いがいるんでしょ?夜空に舞うあの魔法の光をもっと近くで見てみたいの」


「・・・そうか・・・」


 エリーゼの後ろでは、ユーリが「どーすんのコレ?」と言いたげな様子で俺をジトッと見ている。


 夜空に上がる花火の事を、首都に住む魔法使いが放っている魔法の光だと俺が言ってしまったからだ。

 エリーゼが喜ぶと思って、咄嗟に言ってしまった嘘であった。


 確かに、首都にはこの村に無いものが沢山ある。

 だが・・・エリーゼは首都に夢を見すぎている。

 首都に住んでいるからと言って、全ての人間が優雅な暮らしをしている訳では無い。

 貧困差だってあるし、貴族同士の醜い争いもある・・・少し道を外れれば危険な場所も多い。

 もちろん、魔法使いなんていう者も存在しない。


 だけど、エリーゼがそれを夢だと笑うのなら・・・俺は彼女の願いを叶えたい。

 だが、金と欲に塗れた下衆な貴族なんかにエリーゼを嫁がせる訳にはいかない。

 

 それならば・・・俺がエリーゼと結婚して彼女の願いを叶え、誰よりも幸せにしてみせる。


 そう決意した瞬間、俺の頭の中に響いていた警告音は祝福の鐘の音に変わり、溢れそうな程の幸福感で胸が満たされていった。

 

 俺は彼女に相応しい結婚相手になるべく、再び首都に赴き、確固たる地位を手に入れる事を決心した。


 当然、それは簡単なことではない。

 最近は勉強もろくにしていなかったし、首都で暮らすお金もなかった。

 それでも、俺は出来うる限りの努力をし、教材を掻き集めて寝る間も惜しんで勉強に励んだ。


 首都にある名門アカデミーの入学試験で首席の成績を残せば、授業料と学生寮の費用が免除される。

 首席以外の合格では学費が払えない・・・それは不合格と同じことだった。

 何のアドバンテージも無い平民の俺が、首都で成り上がっていく為には、それくらいのハードルは越えなければいけなかった。


 全てはエリーゼのために・・・。

 エリーゼの夢を叶え・・・そして、彼女とずっと一緒に居たいという俺の願いを叶えるため・・・。


 だが、エリーゼは・・・本当に俺で良いのだろうか・・・?


 そんな迷いが、俺にあの言葉を言わせる勇気となった。

 

「エリーゼ・・・僕とずっと一緒にいてくれる?」


 10歳になった俺は、いつも一緒に遊んでいた大樹の下で、エリーゼにその質問を投げかけた。

 その言葉に対するエリーゼの反応は早かった。


「うん!私がずっと一緒にいてあげるね!」


 そして左手の小指同士を絡め、約束をした。


 絡めた左手の小指はジンジンと熱くなり、エリーゼの言葉と、その笑顔が俺の心に刻まれた。

 彼女のためならなんだって出来る・・・本当にそんな気がした。


 

 12歳の時、俺は無事に首都の名門校に主席で合格し、学費免除の権利を得た。

 もしも首席合格が無理だった時に格好悪いからと、母親に口止めしていたから、村の人間は俺がそんな試験を受けに行っていたことすら知らなかった。


 あとはエリーゼに自分の想いを告白して、いつか貴族として地位を確立したら迎えに行くと伝えるだけ・・・・・・ただそれだけの事だったのに・・・。


 俺はどうしても彼女に自分の気持ちを伝えることが出来なかった。


 12歳になり、少女から少しずつ女性らしくなっていくエリーゼを、俺は異性として強く意識する様になっていた。

 近寄りすぎると尋常じゃ無いくらい動悸がして、何も考えられなくなる。

 その綺麗な瞳で見つめられると、何も言葉が出なくなり、ずっと見ていたいはずなのに、ついその瞳から目を逸らしてしまう。


 今日こそ伝えよう・・・今日こそ・・・今日こそ・・・・・・何度繰り返したか分からない決意はズルズルと先延ばしにされて行った。


 そんな事をしているうちに、首都へ行く日まであと1週間と迫っていた。

 エリーゼと離れる日が近い・・・その事にな俺は焦っていた。


 その日は、村の子供達と数名の大人で少し遠出のピクニックをする事になった。


 俺はエリーゼと二人きりになって、今度こそ告白しようと決意していた。

 山道に不慣れなふりをして最後尾につくと、わざと皆の列から離れる様に歩いた。

 エリーゼはいつも俺が孤立しそうになると傍に来て寄り添ってくれるから・・・それはエリーゼと二人で居たくて、俺がよく使う手段だった。

 案の定、エリーゼは俺の傍に来て、声援を送ってくれたり、歩く俺を後ろから押してくれたりと、一生懸命応援してくれた。


 エリーゼも疲れているはずなのに・・・彼女はいつも自分よりも人のことを優先する。

 俺は今まで、一体どれだけエリーゼに救われてきたのだろう・・・。

 彼女の居ない人生なんて、考えられない・・・考えたくなかった。


 完全に前の列と離れ離れになった時、俺は歩みを止めた。


 今、言わないといけない。

 彼女とこの先もずっと一緒に居たいと思うなら・・・

 彼女に俺の気持ちを伝えなければ・・・。


「ルーカス大丈夫?休憩しようか?」


 心配するエリーゼに大丈夫と告げようとした、その時だった・・・。


ガサッザザッ


木の茂みから何か動く音がして、その方向を振り返った・・・・・・そこに居たのは・・・野生の狼だった。


 突然現れた目の前の脅威に動揺しつつも、俺はまずエリーゼだけは守らなければと思った。

 目の前の狼は、唸り声をあげながら俺達を威嚇していて、いつ襲ってきてもおかしくない。


 まだ首都にいた頃に、俺は少しだけ剣術を習っていた。

 実戦経験は無いが、俺の荷物には護身用のナイフが入っている。

 それを使えば・・・少なくとも丸腰よりは対処が出来るはずだ・・・。


 エリーゼだけは守ってみせる・・・!


 俺はゆっくりと自分の荷物に手をかけた・・・その時、狼が俺に向かって飛びかかってきた。

 一瞬で目の前まで距離を詰められ、「しまった・・・」と覚悟を決めた時・・・俺は横から強い力で突き飛ばされた。


 地面に倒れた俺が顔をあげると、先程まで俺がいた場所で、エリーゼの手を狼が噛みつき血飛沫が飛び散った。


 俺は誰よりも守りたかったエリーゼに、守られてしまった。

 エリーゼは自分の事より人を優先する・・・

 分かっていたはずだ・・エリーゼがとる行動は分かっていたはずだったのに・・・!!



 あの時、彼女は左手の小指を失っていた。

 俺は、自分のせいで傷ついてしまった彼女の傷を直視する事が出来なかった。

 村の人達は、俺が気にすると思ったのか、エリーゼの小指のことを教えてくれなかった。


 ・・・結局、俺がその事を知るのは最悪なタイミングになってしまう。


 彼女は傷の治療と高熱で寝込み、お見舞いも出来ない状態だった。

 それでも俺は何度もエリーゼの家へと向かった。

 ただ、彼女が早く良くなるように・・・それだけを願った。


 そして俺は、明後日にはもう首都へ向かわなければいけなかった。

 今、入学を遅らせてしまえば、学費免除も全て無になってしまう・・・このチャンスを逃がすわけにはいかなかった・・・。


 ふと、彼女の家の郵便ポストが目に止まった。

 もしかしたら、このまま俺はエリーゼに会えないまま首都へ行く事になるかもしれない。

 それならば・・・せめて手紙を彼女に送ろう。


 自宅へ帰った俺はすぐにエリーゼへの手紙を書き始めた。

 手紙なんて書いたこと無かったが、とにかく伝えたくて伝えられなかった事をすべて書き綴っていった。


 俺がなぜ首都へ行く事を決めたのか・・・エリーゼ、君の夢を俺が叶えたいと思ったから・・・。

 必ず迎えに行く・・・だけど期間は決めた方がいいな・・・10年後なら・・・22歳になったら、必ず迎えに行くから・・・。

 ずっと伝えたかった想いも・・・。

 ずっと・・・出会った時から、俺はエリーゼの事が好きだ。


 俺が生まれて初めて書いた手紙は、何枚にも渡る、自分でも恥ずかしくなるほどの愛を綴ったラブレターとなった。

 首都へ向かう日、エリーゼの家のポストにそのラブレターを入れて、俺は一人で村を出発した。

 

 だが、俺の心は深い後悔で埋め尽くされていた。

 こんな風にエリーゼと離れ離れになる事は望んでいなかった・・・。

 彼女と面と向かって話したかった。

 目を見ながら告白して、いつか迎えに来ると約束を交わし、彼女の前で格好良く出発したかった。


 あの時、俺がもっと早く狼に対処出来ていれば・・・。

 俺がもっと強かったならば・・・彼女をちゃんと守れていたら・・・。

 もっと早く・・・彼女に告白出来ていたなら・・・。


 なぜ俺は彼女の前ではこんなにも格好悪い姿を晒してしまうのだろうか・・・。


 そんな情けないままの俺の姿を見せたくなくて、俺は首都へ行った後、成功するまでは彼女の前に姿を見せない事を決めてしまった。



――――あの時・・・あれだけ嫌という程、後悔したというのに・・・

 どうして俺は・・・この後悔を・・・繰り返してしまうのだろうか・・・。

 

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