第23話0:惚れ薬は使わない(ルーカスside)

 遡ること一週間前・・・・・・



「ルーカス、惚れ薬って知ってる?」


 俺の目の前に座るユーリは、突然そんな事を告げると、手にしているティーカップを口元へと運んだ。


 この女は数分前、何の連絡も無しに俺に話があるからと、旦那の制止を無視して強引にこの執務室へと入ってきた。

 追い出そうとも思ったが、「じゃあエリーゼがどうなってもいいの?」と意味深な事を言い出したので、仕方なくお茶の相手をするはめになっている。


「・・・知らんが・・・その名前からして、相手を惚れさせるとかいう薬か?」


 俺の解答は正解だったようで、女は不気味な笑みを浮かべて頷いた。


 突然何をしに来たのかと思ったが・・・こんなくだらない話をわざわざするために来たのか・・・?


 俺はユーリに軽蔑にも似た冷たい視線を送り続けながら口を開いた。


「だが、そんな物がこの世に存在するはずが無いだろう」


 そんな物があれば未婚の男女が群がるだろうが・・・考えるだけ無駄だ。


 例えば、この世界に魔法使いなんて存在がいれば、惚れ薬があっても不思議では無い。

 しかし、魔法もあくまで空想の世界の話であって、現実には不可能だ。


 ・・・魔法といえば・・・俺の愛するエリーゼは、未だに魔法の存在を信じている。

 そんなエリーゼを喜ばせたくて、首都の夜空に上がる花火は、魔法によるものだと言ってしまった嘘を、彼女は今も信じているようだ。本当、可愛いな。

 そんな純粋なところもエリーゼの魅力の一つだ。


「ふふ・・・そう思うでしょ?でもね・・・あるのよ。ここに・・・」


 何処から取り出したのか、ユーリは手に持っている小瓶を俺に見せた。

 その中には何か液体が入っている様だ。


「なんだそれは?」


「惚れ薬よ」


 ユーリは小瓶を俺に向けながら、不敵な笑みを浮かべているが・・・まさかこの女、本気で言ってるのか?


「どうせ偽物を掴まされたんだろ」


 それを使ってこの女がどんな悪さを考えていたのかは全く興味は無いが、惚れ薬なんてものを信じて買わされるとは・・・なんとも滑稽な話だな。


「ねえ、なんか今すごい失礼な事思ってない?」


 俺の憐れむような視線に気付いたのか、ユーリは不服そうにこちらを睨んでいる。


「ほんと、同じ幼なじみのはずなのに、エリーゼと私の扱いの差が酷いんだから・・・」


「当たり前だろ。エリーゼとお前を一緒にするな」


 俺にとってエリーゼは何者にも代えられない、唯一無二の存在だ。

 男爵という爵位を渡されてから、ありとあらゆる令嬢達から言い寄られる様になったが、誰もエリーゼと比べる価値もない・・・エリーゼ以外、俺には必要ない。


「はいはい、もうさっさと嫁に迎えなさいよ。アンタのせいであの子は取り返しのつかないポンコツに育っちゃったんだから・・・ちゃんと責任取りなさいよ。」


「・・・・・・」


 ユーリの言葉に俺は口をぐっと噤んで目を伏せた。


 そんなこと、この女に言われなくても分かっている・・・分かっているが・・・。

 俺は昔、エリーゼにプロポーズをして失敗に終わっている・・・。

 それも・・・本当に最低なプロポーズだった。

 彼女の傷ついた表情・・・そしてその後の拒絶の言葉・・・それが6年経った今も忘れることが出来ない。

 あの時の事が、取り返しのつかない後悔として、俺を苦しめ、彼女に告白する決意を鈍らせている。


 もしもまた彼女に拒絶されたら・・・俺は耐えられる自信が無い。


「はぁ・・・この話になると相変わらず黙りなのね」


「・・・余計なお世話だ」


 俺は自分のティーカップを掴み取り、一気に飲み干し乱暴にソーサーの上に置いた。

 そしてこのくだらないお茶の席に終わりを告げようとした時だった。


「この惚れ薬なんだけど・・・実はエリーゼにプレゼントしようと思ってるのよ」


「・・・なんだと・・・?」


 突拍子もなくそんな事を言われ、意味を把握するまでに時間を要したが、次の瞬間、体の底から怒りの炎が沸き起こり、俺の口からはワントーン低い声が漏れ出た。


「あら、いいでしょ?どうせアンタは惚れ薬とか信じてないでしょうし」


 もちろん、惚れ薬なんてものは信じていない・・・が、ほんの少しでも本物の可能性があるのならば、エリーゼに使わせる訳にはいかない。


「エリーゼが絡むなら話は別だ。万が一にでも本物だとしたら・・・そんな危険な事をさせる訳にはいかない」


 惚れ薬がどれほどの効果なのかは知らんが、エリーゼはただでさえ愛くるしく、男達を魅了してやまない存在だ。

 今は俺が、彼女に群がろうとする男共を近寄らせない様にしているから何も問題は起きてないが・・・


 果たしてエリーゼに、惚れ薬を使いたい相手がいるのかどうかは知らないが、万が一にでも惚れ薬を使って誰かがエリーゼを好きになってしまったら、その場で襲いかかられる危険もある。

 

 そんなこと、俺がさせるはずがない。

 というか、惚れ薬なんて名称で売られてるその液体自体がとんでもなく怪しすぎる。


「そう言うと思ったわ。・・・じゃあ、アンタが使っちゃえば?」


「・・・俺が・・・?」


 またこの女はさっきから一体何を言ってるのだ?

 前から頭のネジがどっか緩んでるんじゃないかと疑問ではあったが・・・ついに外れたか?


「ええ、これを使ってアンタがエリーゼを惚れさせちゃうのよ」


 エリーゼを惚れさせちゃう・・・?

 エリーゼが・・・俺を好きに・・・なる・・・?


「そ・・・そんな事が・・・出来るのか・・・?」


 ・・・落ち着け俺。惚れ薬なんて存在しないと自分で言ったばかりだろうが。


「ええ、エリーゼがあなたを大好きになっちゃうの」


 エ・・・エリーゼが・・・!俺を!!大好きだと・・・!?

 なんというパワーワードだ・・・!

 いや・・・いやしかし・・・だ・・・


「それは・・・エリーゼを欺いて惚れ薬で惚れさせるという訳だろ・・・?エリーゼを騙す様な真似とても俺には・・・」


「・・・アンタ今までどんだけあの子を騙してきたと思ってんの・・・?」


 ・・・確かに、エリーゼにいくつか嘘をついた事はある・・・。

 魔法の話もそうだし、それ以外にもエリーゼの不器用さを隠すためとか・・・しかし、どれもエリーゼの笑顔を守るためだった。

 今回の様に、俺の勝手な都合で騙すような事はしたくない・・・。

 

 何よりも、エリーゼに嫌われるような事はしたくない・・・。


「じゃあ、エリーゼの目の前で使えば?」


「・・・は?」


「まずこの惚れ薬の使い方だけど、飲んですぐに3の。つまり、あなたが飲んで、エリーゼと3秒間目を合わせたら、って事」


 もちろん、俺に惚れ薬の知識など全く無いから分からなかったが・・・そういう使い方なのか。


 飲んだら特殊なフェロモンでも発せられるとか・・・?


「エリーゼも惚れ薬の事は、数々のロマンス小説で知識としては知ってるわ。使。だから、自分の気持ちは惚れ薬によるものだとすぐに分かるはずよ。だけどもう好きになってしまった気持ちはどうにもならない・・・。気持ちの赴くままにあなたを愛するはず・・・。なんならそのままヤッちゃっても許してくれるんじゃない?」


「な・・・なんだとぉ!?」


 思わず叫んでしまったのは、最後のフレーズに反応した訳では決して無い。

 つい感情が高まってしまったが・・・一度冷静になる必要があるな・・・。

 さっきから心拍数が半端ない。


 俺は深くゆっくり深呼吸しながら頭を冷やす作業に徹する中、ユーリが再び惚れ薬をチラつかせながら話しかけてきた。


「そうね・・・たとえば・・・この惚れ薬を、私の名前でエリーゼに送る・・・。惚れ薬って書いてあるから、すぐ何か分かるでしょう。魔法を信じてるエリーゼなら、この惚れ薬をきっと本物だと信じるはずよ。小説の世界と現実の世界をごちゃ混ぜにしちゃってる子だしね」


 ・・・そうだな。そこは否定しない。


「でもさすがにすぐには使わないでしょうね。それなりに悩むはずよ。・・・そんな時にあなたがエリーゼの家を訪ねる。そしてエリーゼの隙をついて、この惚れ薬を飲めばいいのよ」


「・・・いや・・・おかしいだろそれは。なんでエリーゼ宛に送られたものを俺が飲む事になるんだ?しかもこれ惚れ薬ってしっかり書いてあるしな」


「そこはアンタが適当に言い訳を考えなさい。エリーゼなら多少無茶な言い分でもすんなり受け入れてくれるわよ。それにあの子、アンタの事少し変な奴って思ってるし」


 ・・・そうだな。そこも否定しない。


「・・・ていうか、これ結局エリーゼを騙す事にならないか・・・?」


「そうね・・・こっそり飲んで薬の存在を知らせずに惚れさせるか、目の前にあった惚れ薬を飲んで、本人にも分かる様に惚れさせるか・・・罪悪感の大きさの違いだけね・・・好きな方を選びなさい?」


 ・・・つまり、どっちにしろ惚れ薬を飲んだ時点でエリーゼを騙してる事になるんだな・・・。

 そんな事をしたら、やはりエリーゼに嫌われるんじゃないか・・・。


 ・・・いや、嫌われるけど惚れ薬の効果で俺の事を好きになる・・・?

 好きになってもらうために一度嫌われる・・・?なんだこれややこしいな。

 ・・・て、俺も何を真面目に考えているんだ・・・?


「とりあえず、私はこれをエリーゼに送るつもりよ。どうせアンタの事だから、何かしら手を打つつもりかもしれないけど・・・エリーゼの事も考えてあげなさい。もういくつだと思ってるのよ?彼女の幸せを考えるなら・・・何をするべきかをね・・・ご馳走様」


 ユーリはそう言い残して立ち上がり、小瓶を持って踵を返すと軽やかな足取りで部屋から出て行った。


 残された俺は、椅子にもたれると大きくため息をついて頭を抱えた。


 ユーリが立てた計画はめちゃくちゃだ・・・。

 こんな馬鹿げた話に乗っかるなんてどうかしている。

 もう少しマシな方法があれば・・・いや、エリーゼに惚れ薬を使うなんて・・・やっぱり俺には出来ない。

 ユーリの話は忘れよう・・・。


 しかし・・・エリーゼの幸せ・・・か・・・。

 出来ることなら俺が幸せにしたい・・・だが・・・俺が彼女を幸せに出来るのか・・・?


 それでも・・・ただひとつ言えることは、他の誰にもエリーゼを渡したくない・・・。

 たとえ、エリーゼが好きな相手であってもだ・・・。


 ・・・やはり今度こそ・・・エリーゼに俺の気持ちを伝えよう。


 脳裏にチラつくトラウマを振り払い、俺は何度繰り返したか分からない決意を胸に秘めて立ち上がった。


 ・・・それにしても、先程からすっかり惚れ薬の存在を信じてしまっている自分にも呆れるな。

 どうもエリーゼの事になると、まともな判断が出来なくなってしまう・・・気を付けなければいけないな。


――――まさか本当にあの惚れ薬を使うことになるとは・・・この時の俺は微塵にも思っていなかった。

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