綾香の作る晩御飯


 俺が翡翠と遊んでいる……いや翡翠に遊ばれているといつの間にかかなり時間が経っていた。窓から差し込む光がどこか禍々しい橙色に部屋を染めている。


「そろそろ終わる」

「ありがと」

「楽しかった」

「ドSか」

「違うよ?」

「あんだけフルボッコにして?」

「冬夜お兄ちゃんは最適解以外を打つから楽しい」

「爺さん程うまくはないからな」

「あれにならなくていい」


 ちょっと強めの口調で否定される。爺さんはかなり嫌われているらしい。一度育児の基本を見直した方がいいんじゃないだろうか。


「今日の晩御飯はお嫁さんが作るんだよね?」

「そうだと思うぞ……ってそれまでわかるのか」

「なんとなくだけどね」


 どこまでも万能だな、と吐き捨てる。翡翠は何も返してこない。少しだけ部屋を沈黙が支配する。


「お兄ちゃんは私の力欲しい?」

「どういうことだ?」

「もし渡せるなら欲しい?」

「……いらないな」

「理由は?」

「翡翠の前で言うのもなんだけど、楽しくなさそうだから」

「うん、楽しくない」

「そうだろうな」

「けど楽しい時もある」

「へぇ」

「冬夜お兄ちゃんといるとき、執事の人といるとき……癪だけどおじいちゃんといるとき」


 つい寂しくないか?と言いそうになってその言葉を飲みこむ。翡翠にはその感情がないから聞いてもそれは余計に困惑させるだけだと気づいた。もしかしたらこの思考すら筒抜けかもしれないけどな。


「……喉かわいた」

「ならキッチンに行こうか」

「うん」


 手でもつなごうと思ったけど身長差がありすぎて断念する。かと言って翡翠のペースでこの屋敷を歩けばキッチンまで時間がかかる。少し思案していい方法を思いついた。


「翡翠、肩車するぞ」

「ありがと」

「よし、せーのっ」


 翡翠を持ち上げて俺の肩に乗せる。すぐに翡翠は俺の頭に手を置いて自分を安定させる。翡翠の手の感触から改めて小ささを感じる。ずっと家にいて最低限しかしてないならそら成長しないよな。


「……視線が高い」

「どんな気分だ?」

「いつかなってみたい……」

「もっと早くすればよかったか?」

「……まだ大丈夫」

「そっか」

「私はちゃんとすれば成長する……らしい」

「爺さんにでも言われたか?」


 実際翡翠は運動をしてないし、家に籠ってるから食事もあんまりしてないだろう。そりゃちゃんと生活すればその分成長するはずだ。


「いつもは移動どうしてるんだ」

「なんか小さい機械に乗る」

「機械……?」

「おそうじロボット?みたいなやつ」

「猫だな」

「ねこ?」

「ああ、猫がそんな感じに乗ってるの見るぞ」

「私……ねこ?」

「そうかもな、それぐらい可愛いし」

「かわいい……」


 可愛いという言葉をなんども呟く。どうしたんだろうかと思ってみるも肩車をしているせいで顔はみれない。


「私……可愛いの?」

「そうだな。いや、綺麗の方があってるか?」

「私…が……」

「俺は翡翠のこと好きだよ。多分庇護欲とかに近いけど」


 そんなことを言ってると頭になにかがポトリと落ちる。続けてポトポトと落ちてくる。


「とうっ、や、おにいちゃん……」

「なんで泣く!?」

「だって、わたしのこと……すきって……」

「……ったく」


 俺は頭の上で泣く翡翠を下ろして抱っこに変える。そのまま翡翠の顔を隠すように抱き寄せる。


 両親がいなくなって愛情というものを貰いきってないからだろうか、原因は色々あるだろうけど答えはわからない。


「少しだけ遠回りするか」


 誰に言うわけでもなくそう呟く。それから俺は翡翠が落ち着くまで屋敷の中を歩き続けた。






 翡翠も落ち着いてキッチンに着くといい匂いが漂ってくる。多分綾香が晩御飯を作っているのだろう。


「綾香、一人で大丈夫か?」

「うん、これぐらいなら……ってその子は?」

「この屋敷に住んでる幽霊だ」

「ゆゆゆゆ、幽霊!?」

「やっほー、幽霊だよ」


 調子を取り戻した翡翠が俺のおふざけに乗って挨拶をする。


「翡翠っていうの、よろしく。お嫁さん」

「およっ、お嫁さん!?」

「翡翠、名前で呼ぼうか」

「ん、綾香お姉ちゃん」

「ちょっと冬夜くん、説明」


 俺は翡翠のことを簡単に説明する。めちゃくちゃ天才でこの屋敷に住んでる子供という風にだいぶぼかしたけど。


「幽霊じゃないんだね……」

「当たり前だろ」

「冬夜くんがだましたのが悪いんだよ!」

「すまん……あ、冷蔵庫開けるぞ」

「はーい」


 本来の目的を忘れそうになっていたけど翡翠に服を引っ張られて思い出した。棚からコップを取り出して冷蔵庫を開ける。


「翡翠なに飲む?」

「お茶」

「あいよ」


 冷蔵庫で冷えているお茶をコップに注いで翡翠に渡す。


「飲めるか?」

「うん」


 両手でコップを抱えてコクコクとお茶を飲む。たくさん話したし泣いたりしたから結構喉が渇いていたのだろう、二杯目もすぐに飲み干した。


「翡翠ちゃんか……いい名前だね」

「そう?」

「うん、すっごく綺麗だし、翡翠ちゃん自身も可愛いし!」

「可愛い……」


 また泣くかな?と一瞬焦ってしまったがなぜか綾香には頬を軽く染めるだけで終わった。さっきのはほんとなんだったんだろうか?


「私は仕上げするからお爺ちゃん達呼んできて」

「はいよ」

「私も行く」

「ん、今度はどこに乗る?」

「肩」


 俺は再び翡翠を肩に乗せてキッチンを出る。後ろから私もして欲しい……と声が聞こえた気がした。……綾香をするのはちょっと無理がないだろうか。






「爺さん、もうすぐご飯だってよ」

「おぉ!……ってなにをしとるんだ」

「肩車」

「随分懐いたな」

「もとからだろ……あと爺さんは子育てを見直せ」

「ぬ、痛いとこをついてくるな」

「わかってるのかよ」

「思ってはいるんだがな……難しいんだ」


 翡翠が上機嫌に俺の頭を叩く。さては爺さんが困ってるのを見て喜んでるな?


「じゃ、先に戻ってるからほどほどにして来なよ」

「おう」


 部屋を出て俺は再びキッチンに戻る。


 キッチンには盛り付けがされた皿が並べられていて食欲を刺激してくる。


「今日は和食だな」

「うん、お爺ちゃんがそうしてって言ったから」

「そっか、んじゃ運んでくる」

「お願い」


 翡翠を下ろしてそれぞれ食堂に運んでいく。そう言えば翡翠はご飯を食べるのだろうか?と疑問に思っていたが配膳をしていると翡翠の分もありそうだ。


 この感じだと食べるのは俺、綾香、花梨さん、爺さん、葉山さん、翡翠だろう。さすがに使用人の人を分を作るのは大変だしな。


 全部運び終わると爺さんや花梨さんがやってきてそれぞれ席につく。俺と綾香も席ついた。


「ん……しょ」

「翡翠?」

「ここで食べてもいい?」

「……今日だけだぞ」

「ありがと」


 翡翠は俺の膝の上に座ってここで食べるようだ。一食ぐらい食べづらくても我慢するとしよう。


「さて、頂こうか」


 爺さんの言葉でそれぞれ食事を始める。俺は最初に味噌汁を飲む。いつも飲んでいる味だな、ぐらいの感想しかでてこない。仕方ないことだけど。


 爺さんの方を見てみるとゆっくりと噛みしめるように箸を進めている。顔には嬉しそうな表情が浮かんでいてこれなら大丈夫だろう。葉山さんもどこか感動した様子だ、そして花梨さんに「貴方もこれぐらい出来るといいですね」なんて言っている。花梨さんはノックダウンした。


 翡翠はというと食べるのに苦戦しながらも食べていた。よくは見えないが目をキラキラさせているので気に入ったのだろう。


 ただみんなほぼ無言な為綾香は不安なのだろう。俺に助けの視線を向けてくる。


「今日もおいしいよ、綾香」

「ええ、綾香さんは立派ですね」

「お姉ちゃんの……おいしい……!」


 そして肝心の爺さんは。


「美味い……冬夜よ」

「なに」

「絶対に離すなよ」

「当然。誰の教えを受けてると」

「そうだな!」


 先程までの僅かな影も消えて嬉しそうに箸を進める。


 そういえばレシピまで貰ったと言ってたけど俺にはいつもの味付けと大差ないように思える。あとで聞いてみようと心に留めた。

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