7.a grin without a alice

 まず目に入ったのは、藍色と黒のエプロンドレス。

 腰の左側につけられた、青のポーチ。

 わたしとさほど変わらない身長で、短い青髪は下にいくほど黒のグラデーションがかかっている。

 そして黒のブーツに、藍色の蝶のイヤリング。

 身長も相まって、大人びた不思議の国のアリスといった印象が強い。


 ただ一部を除けば。


「ヒッ……ッ……!」


 思わず目を背ける。

 抱いた印象を覆すのは、被っている仮面。

 真紅の瞳と口が三日月を描き、ニタニタと笑っている猫の仮面。


 色は何て言ったらいいのか分からない。

 紫のような青のような黒のような。

 とにかく暗い色。


 それが笑っているはずなのに、殺意が満ちている気がして、吐き気が催してくる。

 同様に生えている猫の尻尾も、ゆらゆらと暗い炎でできていて、見ているだけで気分が悪くなっていく。


『いけない、これは駄目だ。Mr.イイダ、早くサインを。アレは駄目なのです』

『ふふっ。――SpadeNightmare』


 焦り出すテンシさんは、ほとんど気を失っているイイダさんに紙を押し付ける。

 そうしている間に彼女からあの声が聞こえ、わたしは恐る恐る視線を向ける。


 左手でポーチから取り出したのは、トランプのスペードのエース。


『問題。デデン! 人の持つ凶器として優秀なのは? ――握り拳? 違う違う。じゃあナイフ。またまたご冗談を』


 一人で話始める声。

 拳でも、刃物でもない。

 だとしたら、思い当たる中で残るのは後一つ。


『答えは、殺せれば何でも良いよ。銃だろうが剣だろうが、やることは変わらないんだ』


 青く光るカードは形を変えて、彼女が右手に持ち替えた時には、一丁の拳銃へと変わり果てていた。

 しかもよく見る拳銃ではなく、どこかおもちゃ染みた夢ならではの青い拳銃。

 左側面にはスペードの意匠が入っている。


 結果とは違い、声は使う道具にこだわっていないのか、冷たく言い放っていた。


『さよならさよなら、ごっきっげんよーう!』


 流れる動作で狙いを定め、あっさりと引かれる拳銃の引き金。

 マズルフラッシュはスペード状に光り、放たれた弾丸は青く線を描く。

 その到達点は、イイダさんの胴体。


「えっ……? なんで……?」

『メア!?』

『そういう事ですか。まさかそれを躊躇ちゅうちょなくやるオネロスがいるとは、思いませんでしたよ』


 テンシさんの細い紙の中で、トランプカードに変わっていくイイダさん。

 声をあげる間もなく、姿がこの世界から消えていく。


 人が死んだ。

 銃で撃たれて、呆気なく。


「いや……なんで……なんで……!」

『お、落ち着くメア。ナデカ一旦おち、落ち着くメア』


 腰から下が力が入らなくなり、その場に座り込む。

 自然と溢れ出た涙が、止まることなく流れていく。。

 

 ただ見ているしか出来なかった。

 ただそれだけで一人の命が失われた。

 怖いと言う気持ちが、さらに強まっていく。


『これは、命運尽きましたか。最期にお名前を聞いてもよろしいでしょうか』

焼滅しょうめつせよ――ClubNightmare』


 テンシさんの言葉が届いていないのか、無言で彼女はポーチからもう一枚トランプ取り出す。


 今度はクラブのエース。

 例の声と共に尻尾が持ち手の弾倉部分へ繋がる。

 左側面のスペードが押し出され、そこにクラブのカードを差し込む。


 閉じられるスペード。

 連動するように青い光が銃口に集まり、その色はどんどん暗く、黒く濁っていく。


 再度向けられる照準。

 今度は、間違いなくテンシさんだ。


『この子の名前はね、教えなーい。残念残念、逝っちゃいな。紙屑が』


 引き金が押し込まれる。

 暗い青の閃光が、青のクラブのマズルフラッシュから伸びていく。


 着弾したテンシさんの体は、無情も暗い青の炎で焼かれていく。

 抵抗する間もなく、一秒でも早く消えて欲しいとその身を滅ぼされていく。


『Mrs.ヤエザキ。最期に、Mr.イイダは無事ですよ。彼はとても嫌な悪夢を見た。その程度で起きるはずです』


 言葉が途切れる。

 もう、彼は燃え盛る紙の束になってしまった。

 最期の慰めも、心に響かない。


『ナデカ、メアは。メアは……』


 メアが何かを言おうとしている。

 わたしには言葉をかけて貰う資格なんて無いよ。


『あれあれ困った困ったね。どうするアリス、この子どうするアリス』


 地面を踏みしめる音と、嫌な声。

 顔を上げると同時に、自分でも嫌になる感情が込み上げてくる。


 すぐ傍まで来ていた仮面の人。

 いつ見ても気持ち悪くなる猫の仮面。


 だが、彼女のとった行動は予想外のものだった。

 手にしていた銃は消え、それを握っていた右手はわたしに差し伸ばされていた。

 今でも無言の彼女の手を、わたしは恐る恐る手に取る。


 強い力で引っ張られ、半ば強引に立たされたわたしは、すぐ手を離して距離を取る。

 

「あ、ありがとうございます。でも、わたしは貴女を……貴女を……」


 憎いはずなのに。

 怒りに任せて、その仮面に一撃を入れたいのに。

 イイダさんを、テンシさんを撃ったことが許せないのに。


 なんで言葉にできないの。

 なんで想いを言葉にするだけなのに、こんなにも辛いの。


 何で――


「――何でここいるの」


 冷たい絶望が込められた一言。

 どこか聞き覚えのある声が、仮面の奥から聞こえてきた。

 それに仮面越しだが睨まれている気がする。


 わたしの手をとろうとしてきた右手を払い除けて、少しずつ後ろに下がる。


 触れられちゃ駄目。

 何をされるか分からない。


『ダメダメそれじゃあ駄目だよ、ナーデーカーちゃん』


 瞬きの間に目の前にいたはずの仮面の人は、仮面だけを残して姿を消していた。

 当然のように仮面だけが動き、わたしの眼前で名前を呼ばれる。


 驚きより気持ち悪さを強く抱き、反射的に右手を振りかぶったのだが、後ろから手首を掴まれて背中側に強制的に回される。

 足も払われ、前方に体重をかけられる。

 転ばされたわたしは、腰に当てられた右手に上に膝を乗せられ、身動きできなくなる。


「痛っ……この、離して!」


 大岩を乗せられていると勘違いするほどの力で抑え込まれ、自由に動く左腕も背中まで届かない。

 何とか動く首を回すと見えるのは、わたしを見下ろす仮面の人。


『君には特別自己紹介をしてあげよう。何たって……ふふっ、あははははは!』

「いいからっ……はな、して……!」

『ボクの名前はナイトメア。チェシャ猫じゃないよ、残念ながら。そしてこの子はね』


 人が必死に振り解こうとしているのに、能天気に名乗ってくる。

 たぶんだけど、さっき仮面だけになってたから、メアが髪留めなっているのと同じで、この仮面がナイトメアなのだろう。


 仮面の人の名前を勿体振るのは、どうせ今までのことからして、ろくなことを考えていないからだ。


『この子はアリス・・・。どう考えても偽名? そうだねそうだね』

「このっ……!」

「ねぇ、一つ聞いて良い?」


 アリスさんの一言でナイトメアは黙る。

 冷たい声。

 でも右腕にかかった痛みから、感情が伝わる。


 わたしは睨み付けて黙るしかできなかった。


「貴女のポベトルは、どれ」

「教えない。メアも喋っちゃ駄目だよ」

『……にゅふふ』


 ナイトメアの含みのある笑いに、怒りがさらに燃え上がる。

 メアには不向きと言われたけど、パンタスで地面から突起を生やしてアリスさんに攻撃する。


 案の定、市松模様の突起はトランプに変えられて辺りに散らばる。

 青い光をまとい微動だにしなかったアリスさんは、何を思ったのかわたしの左腕を取り、左手首を握って関節が動くギリギリの所まで、背中側に伸ばされた。


 それは一瞬で、理解するのに心臓が何度も鳴った。


「……っぁあああ」


 上げるはずの叫びは、再び同じ音を鳴らされて無かったことにされる。

 もう、痛いとかそういう次元ではない。

 頭が理解することを拒否している。

 心臓が痛いほど動いて、声が出ない。


 もう、左肩と右手首が動かない。


『もう、我慢できないメア!』


 変身が解かれる。

 頭上から怒りに満ちたメアの声が聞こえてくる。


 アリスさんは立ち上がったのか、背中にあった重さが無くなるけど、もう動くことが考えられない。


「何なんだメア、君たちは。ナデカを虐めて、何がしたいメア!」

『それは簡単簡単だよ。君を消して、この子をオネロスじゃなくするのさ』

「だから」


 アリスさんの短い言葉は、視界に入り込んできたものを端的に表していた。


 飛んできたのは、お腹にナイフが刺さったメア。

 カッターナイフとか果物ナイフではなく、軍人さんとかが使う本格的なナイフ。

 それが刺さった所からは青い光が漏れ出していた。


「もう、夢に来ちゃ駄目だよ。ナデカ」


 にごった青が燃え尽きるのを横目に、わたしの意識が黒に染まっていく。


 最後に見たのは、動かないメアの姿。

 最後に感じたのは、優しく頭を撫でる手の平。

 最後に聞いたのは、懐かしい声でわたしの名前を呼ぶ――

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