缶コーヒー

おかずー

缶コーヒー

「アキラじゃね?」

 振り返ると歩道の真ん中に松中まつなかが立っていた。

「やっぱり。アキラじゃん。こんなところでなにしてんの?」

 松中は短い黒髪を整髪料で八二に固めていた。白シャツの上から濃紺のスーツを羽織って、いかにもサラリーマンといった風貌だ。学生の頃の面影はまったくなかった。

「いや、別に」

 対する俺はダメージの入ったジーンズにスポーツメーカーのパーカー、足元はサンダルといった暑いのか寒いのかはっきりしない出で立ちである。ただひとついえることは、二十五歳の男が、平日の昼間に出歩く格好とは言えないということ。

「いやあ、まじで久しぶりだな。十年ぶりとかか」

 松中は俺の格好などは気にも留めず、かつてのクラスメイトに再会した喜びからか顔をくしゃくしゃにして笑っている。

「まじめっちゃ懐かしいな。ちょっと話そうぜ」

 松中は十メートルほど先にあるコンビニエンスストアを指さして、俺の返事を聞く前に歩き出してしまった。俺は黙って後ろをついていくしかない。

 コンビニエンスストアに着くと、松中はちょっと待ってろ、と言って店内に入っていった。一分も経たないうちに出てくる。手には缶コーヒーを二本持っており、うち一本を俺の方へ差し出した。

 ありがとう、と相手に届くか届かないか微妙な声量で告げて、缶コーヒーを受け取った。缶の冷たさが、火照る体を少しだけ冷ましてくれる。

 二人並んで、駐車場の車止めに腰を降ろした。松中が胸ポケットから煙草を取り出して吸い始めたので、少し迷ったけれど、俺も同じように煙草を取り出して吸った。

「お前も煙草吸うんだな。そりゃそうか。こんなストレスフルな世の中、煙草でも吸わねえとやってられないよな」

 ぶはあと大げさに松中が煙を吐き出す。心なしか、横顔に疲労の色が見える。

「まさかアキラとこんなところで会うなんてな。みんな地元に残るか、都会に出るかの二択だもんな。あっ、海外に行くやつもいるか」

 なにがおかしいのか、松中は一人で笑う。その笑い方は、教壇の周りに集まって談笑していたものと同じだった。その笑い声を、俺は教室の端の席で寝たふりをしながら聞いていた。

「仕事はなにしてんの?」

 無職、とは言いたくなかった。だから咄嗟に「出版関係」と答えた。過去に派遣で何度か印刷工場で働いたことがあったので、嘘ではないはず。本当でもないけれど。

「出版関係か。すげえな!」

 なにが凄いのかよく分からないけれど、褒められて悪い気はしなかった。松中に褒められたのが嬉しかったのかもしれない。

「アキラは昔から勉強熱心だったもんな。大学とか行ったんだろうな。俺なんか高卒だから、三流メーカーにしか就職できなかったし、仕事も全然できないからこの年になっても毎日飛び込み営業ばっかしてるわ」

 乾いた笑い声をあげた。それから缶コーヒーのプルタブを引いて、ひと口飲んだ。その時、松中の左手薬指に指輪がしてあるのが見えた。俺が気付いたことに、松中も気付いたようだ。

「ああ、これか。俺、今度結婚するんだ。できちゃった婚だけどな。ガキを養うためにも、仕事頑張らないとな」

 仕事。結婚。子供。俺が持っていないものを松中はすべて持っている。

 中学生の頃、俺はいじめられていた。環境が悪いと思って別の地域の高校に通ったのだが、やはりいじめの対象にされた。元々、人より協調性なんかが欠けているのだろう。人が当たり前にできることが、俺にはできない。それが人を苛立たせたり、怒らせたりする。アルバイトなんかもすぐクビになる。

 隣で松中が仕事に関する話をしている。飛び込み営業先で灰皿を投げられた話とか、ミスをして上司に殴られた話を、面白おかしく自虐的に。松中がそんな目にあっているなんて、俺には想像もつかなかった。クラスの中でも特に目立つ存在で、何人かの生徒からは恐れられてさえいたのに。

 松中があまりに笑うので、一度だけつられて笑ってしまった。すると松中は嬉しそうに俺の肩を軽く叩いた。俺は思わず体を固くした。人から殴られることは、いつまでたっても慣れない。体が殴られた痛みをずっと覚えている。十年たっても忘れることはない。

「こうして会ったのもなにかの縁だしさ。今度飲みに行こうぜ」

 二人で並んでいた時間は、十分もなかっただろう。俺には途方もなく長く感じたが。

「これ、俺の名刺。渡しとくから、メールしといてくれよ」

 慣れた手つきで名刺を俺に渡すと、松中は勢いよく立ち上がって行ってしまった。屈託のない笑顔を顔に浮かべたまま。

 俺は松中の背中を見送ったあとで缶コーヒーを手にしていることを思い出した。あれほど冷たいと感じた缶は、すっかりぬるくなっていた。

 プルタブをあけようとしたが、体が震えてうまくいかなかった。時間をかけてなんとか開けた。中身を勢いよく流し込む。しばらくたってから、ようやく震えが止まった。

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