ヒストリー・ミステリー

桃太郎

第1話 足利尊氏と『小さな政府』

 足利尊氏……

 その名を知らぬ日本人は、いまい。

 彼が、成し遂げた偉業、その後の歴史に与えた影響は大きすぎる。

 全てを語るには、尺が足りない。

 そこで、彼が目指した『小さな幕府』のみを切り取って語るとしよう。


 * * * 


 時は、建久3年(1192年)7月12日。

 全ては、その日から始まった。

 その日こそ、源頼朝が朝廷から征夷大将軍を宣下された。その日だ。

 できたばかりの『幕府』は、良かった。人材も組織も、フレッシュだった。

 が、時代が下れば、劣化の一途を辿り、政を放置して闘犬など遊び惚けていた。

 様々な要因で、困窮していた御家人達は、救われなかった。

 そこで、足利尊氏や、新田義貞等、有力御家人が、後醍醐天皇と結託し、幕府を滅ぼした。

 ここまでは、現代日本人なら、誰でも知っている『歴史』であろう。


 * * * 


 で、特徴として挙げられることがある。

 頼朝が作った『鎌倉』は、『大さな幕府』だった。

 尊氏が作った『室町』は、『小さな幕府』だった。

 これは、鎌倉の失敗を、反面教師とした尊氏の戦略である。


 何の事?


 では、教科書にも出て来る事実を説明しよう。

 御家人とは、幕府……征夷大将軍に、忠義を誓い、土地を貰って、幕府の為に働く。

 いわゆる『御恩と奉公』の関係を持つ『征夷大将軍』の『家人』である。

 彼等を、『御家人』と名付け、そう呼んだのだ。


 で、ここからは考察に入るとしよう。

 現代式に言い換えると、幕府……征夷大将軍と、御家人の『直接雇用契約』と言える。

 いいかね、全ての御家人は、幕府……征夷大将軍の下にいる訳だ。

 それを、『直接雇用契約』と呼んだのだ。

 ここで、問題が浮上する。

 既に、誰かに与えた土地を、他の御家人に与えてしまったら……。

 その様なミスは、許されない。特に、幕府……征夷大将軍にはな。

 で、ミスを未然に防ぐためには、どうすればよいのか。

 答えは、簡単だ。『記録』を付ければよい。文書化する事だ。

 これを、『本領安堵状』と呼ぶ。


 * * * 


 コラム1『本領安堵』とは。

 これは、『お前が、今実効支配している土地を、今後も支配し続ける事を許可する』。

 と言う物だ。

 例えば、島津家と言う武士達がいた。彼等は、九州の南端……現代式に言えば、鹿児島県を武力で、実効支配していた。

 それも、源平合戦の前からだ。

 彼等にして見れば、幕府……征夷大将軍すら、『後付け』だ。

 最初は、平家に与していた彼等も、後に源氏に鞍替えした。

 そうして、島津は、幕府……征夷大将軍から『本領安堵』を勝ち取ったのだ。


 * * * 


 コラム2『本領安堵状』とは。

 これは、『本領安堵』を『文書化』した物だ。


 * * * 


 だが、『本領安堵状』を、書いただけでは意味が無い。

 何故か。

 それは、『本領安堵状』を、2通書き、1通を御家人、1通を幕府……征夷大将軍が持つ。

 こうして始めて『記録を付けた』と呼べるのだ。

 だが、これだけでも意味が無い。

 何故か。

 それは、『本領安堵状』を、『管理』する必要があるからだ。

 地域別に区分された『本領安堵状』は、箱に収めるなり、製本するなり『整理管理』する。

 だが、これだけでも意味が無い。

 何故か。

 それは、『検索システム』が、無いからだ。

 例えば、日本全国には、10万人の御家人が、いたとしよう。

 『本領安堵状』も10万通ある。それを、征夷大将軍1人で、『管理』する必要がある。

 馬鹿な、不可能だ。

 そこで、『本領安堵状』を『管理』する『人員』を『雇う』必要がある。

 まず、1人で、10通の『本領安堵状』を『管理』する『担当者』を『雇う』。

 これで、1万人雇用した。

 無理だ。1万人を、征夷大将軍1人で、『統率』など不可能だ。

 ならば、中間管理職を置く。1人の中間管理職が、10人の『担当者』を『統率』する。

 これで、1千人雇用した。

 これでも無理だ。

 ならば、1千人を、10人ずつ100のグループに分け、それぞれに中間管理職を置く。

 未だ無理だ。

 ならば、100人を10人ずつ100グループに分け、それぞれに中間管理職を置く。

 10人なら、征夷大将軍1人で『統率』可能だ。

 そこで、征夷大将軍が、質問した。

「●●君には、何処の土地を与えたかな。」

 すると、10人の『中管管理職』は、自分の100人の部下に質問する。

 すると、100人の『中管管理職』は、自分の1千人の部下に質問する。

 すると、1千人の『中管管理職』は、自分の1万人の部下に質問する。

 すると……

「それなら、私が知っております。」

 となり、目当ての『本領安堵状』を、入手できる。

 これが!

 これこそが!

 『検索システム』だ!

 『検索システム』を『組織』で実行する事だ!

 だが、これには1万1千110人の部下が、必要になる。

 賢明なる読者諸君ならお気づきであろう。これが、『大きな幕府』と言う物だと。

 ちなみに、幕府の人員は、これに留まらない。

 裁判所に該当する組織だってあった。

 それならば、兼任もできようが、『検索システム』では、不可能だ。

 つまり、直接雇用契約では、どうしても『大きな幕府』になってしまうのだ。


 * * * 


 そこで、足利尊氏に話しを、戻そう。

 彼は、1国1大名制を敷いた。

 当時は、『守護』ないし『守護職』と呼んだ。

 例えば、甲斐国(現在の山梨県)であれば、武田家を『守護』に任命した。

 これは、武田家に甲斐国の支配を委ねる。自由にして良い。

 代わりに、そこに住む武士達全員を、責任もって養え。

 そう言う事になる。

 これならば、全国69か国なので、『本領安堵状』も69通で済む。

 すると、甲斐国の『本領安堵状』は、全て武田家が管理しなければならない。

 いわゆる『丸投げ』とも言える。

 これが、尊氏が考えた『小さな幕府』だ。


 * * * 


 ここからは、『推測』『推察』『推理』になる。

 確かに、武田家は、幕府……征夷大将軍の家来だ。

 が、甲斐国の武士達は、武田家の家来と言う意識が、植え付けられる結果になった。

 こうして、甲斐国の武士達は、主君を武田と仰ぎ、絆を深めていった。

 故に、武田が野心を抱くと、家臣一同が協力してしまったのだ。

 つまり、幕府……征夷大将軍と、距離が離れたとも言える。

 これが、後に戦国乱世の土壌となっていった。

 それが、皮肉と言う物だろう。


<終わり>

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