21
叫び出したいロファーだった。
なぜ、そんな荒唐無稽な、わけのわからない話をするんだ? シス、あんたは俺の親代わりで、ずっと信じていたのに、罵倒し、詰り、問い
だがロファーは身動きできない。魔導術を掛けられたのだ、と更に怒りがこみ上げるが、常人のロファーにはどうすることもできない。
「父君があなたにかけた封印も、私がこの家に張った結界も、成就の時を控え、かなり力が弱まった」
あなたも気が付いているはずだ。今まで見えなかったものがだんだん見えるようになり、知らなかったことがいつの間にか知っていることに変わっている。
そんなことが何度もあったことだろう。これから、更にその速度は早まる。どんどんあなたに掛けられた封印は解かれていく。
そしてこの家の結界はもはや役目をはたしていないも同然の有様だが、結界の存在に気が付いたジゼェーラ様が強化なさった。少なくとも夏至の日までは持たせるおつもりなのだと見た。そこに見える魔導術で隠された扉はジゼェーラ様の本拠に通じていると推測した。いざとなれば瞬時にあなたをご自分の結界に封じ込めることをお考えなのだろう。
三年余前、ジゼェーラ様がこの街にいらした時、止まっていた歯車がゆっくりと動き出した。
そしてすべてが
ロハンデルト様、いや、ロファー、おまえは私たちにとって、いつまでも大切な愛し子であることは変わらない。二十二年もの間、陰に日向に、あなたを守り慈しんできた。そしてこれからも私たちは変わらずあなたをお守りする。それを忘れずにいて欲しい。
預かっていた剣を今こそ返そう。そのため今日はここに来た。選択の日にこれをどうするかはあなた次第だ。
魔導士ブランシスはゆっくりと立ち上がると、宙から一振りの剣を取り出し、それをベッドに置いた。
「では帰るとする」
≪今宵語られた言葉は忘れ、
ブランシスの姿が消えた。
椅子から落ちそうになったロファーが驚いて体勢を整える。何をしていたんだったっけ? 確か、グレインの店で大騒ぎして、レオンと一緒にそこまで来た。レオンは飲み足らなそうな顔をしていた。なんだか記憶がはっきりしない。飲み過ぎかな・・・
ふと見ると、ベッドに豪奢な装飾が施された剣が置かれている。先日、ロファーを守る結界を作るため、ジゼルが自分の腕に傷をつけた剣とよく似ている。
でも、あの剣は銀色だったと思うのに、これは黄金色だ。どちらにしろ、ジゼルの持ち物だろう。ということは、あのドアを使ってジゼルはこの部屋に来たのだろうか。
だとしたら、留守だったと怒っているだろう。まぁいいや、明日ご機嫌伺いに行こう。今夜はもう眠い・・・
翌日、店を開ける前に例のドアを叩くと、まだ寝ている、とジゼルの声がし、ドアが開いた。来たついでにミルクティーでも飲む? と欠伸を噛み殺しながらジゼルが言う。
「それにしても、かなり昨夜はお楽しみだったようだね。酒の匂いがプンプンする」
「レオンたちに誘われて、久しぶりにグレインの店に行ってきた」
ジゼルの髪が虹色に輝くのを眺めながらロファーが答えた。
「妖精さんは酒の匂いが嫌いかな? 少しも俺に近づかない」
「ん・・・ロファーの昨日のご乱行を逐一私にご報告中。だから私の耳元から離れない」
「ご乱行、って、何を?」
例えば、とジゼルが言う。
「桃色の服のコがロファーに後ろから抱き着いて、ほっぺたにキスした、とか?」
「あ、あれはゴグの彼女だよ。ゴグと一緒に来てて、ミーナの件でお礼を言われたんだ。魔導士様にもよろしく、って」
「淡いブルーの服のコは?」
「淡いブルー・・・そんなコいたっけ?」
「いたんじゃない?」
どうぞ、ジゼルがティーカップをロファーの前に置く。
「じゃあ、小花模様の服のコは?」
くすくすジゼルが笑い始めて、ロファーはやっと
「おまえ、桃色の服って、カマ掛けたな?」
「ほんと、あなたは素直だね。私に知られたくない人の服装を私が言っていたら、素直に白状しそうだね」
「おまえに知られたくない人なんかいないから心配ない」
「で、用もないのにここに来た? 私に会いたくなったかな?」
それを否定するわけにもいかず「まぁな」とロファーは答えた。
「昨日、帰ったらベッドに剣が置いてあってさ。ジゼルが来たのかな、と思ったんだよ」
「剣? どちらにしろ私は行っていない。ロファーに会いたければ、ロファーに来てもらう」
どんな剣だった、と問うジゼルに、こないだ見たあの剣にそっくりで金色だったとロファーが答える。
「ふーーーん」
ジゼルの答えはそっけない。
「私の剣ではないようだ。クローゼットにでもしまっておくといい」
そしてテーブルの花瓶からルリハコベを一本抜きとると
「クローゼットに入れる前にこの花を糸でその剣に縛り付けておいて」
念のためにだ、心配ないとジゼルは言った。
そう言えば、とジゼルが言う。
「まだ、ホミンのところに行った時の痛みが抜けない」
どうしようもなく痛むと言うわけじゃないけれど、胸だけがシクシクと痛み、しかもなんだか腫れてきた気もする。ほかは全く痛まないのに、こんなに長引くものだろうか。
「魔導術書でも調べたけれど、該当するものが見つけられなかった」
一度魔導士学校に行って癒術に長けた者に見て貰うかもしれない。
「うん、その方がいいな」
話を聞いているうちにロファーも顔色を変える。いつもの『もう死んでしまうかも』がない上に、魔導士学校に行ってくる、なんてジゼルが言うのは尋常じゃない。
「早めに行くんだよ」
必ず行くんだよ、と言いおいてロファーは自分の場所に帰って行った。
それから数日が経ち、ロファーの仕事も落ち着きを取り戻し、街も落ち着きを取り戻した。
頭を抱えていた訴状の案件も期日前には終わり、クライアントの満足を得た。マーシャの恋文も納得の出来栄えで、思いが通じたとマーシャは大喜びだった。
心配していたジゼルの体調も『どこも悪くないと言われた』と、魔導士学校の癒術者に言われた、とジゼルからカケスの使いが来た。
『急激に成長しているから、その反動だろう。しばらくすれば治まる』そうだ。
ジゼルの家に直結しているあのドアを使ってジゼルがロファーの家に来ることはなかった。
あの日、ドアを付けたから、と言うジゼルに、なぜそんな勝手なことを、とロファーが抗議すると、
「うん、家主の同意もなくドアを付けるなんて、私とて気が引けた」
そう言ったジゼルは確かに後ろめたそうだったが、
「でもロファー、これでいつでも好きな時に、あなたは私のところに来れる」
と言う。
おまえが便利に俺を呼ぶためじゃないのかい、呆れるロファーに
「私がこのドアを通ることはない」
ときっぱり宣言し、今のところジゼルはロファーの家に姿を見せない。
ロファーも剣の件で使った時、なるほど便利だ、と思ったが、それを認めるのもなんだかシャクだった。
忙しい仕事の合間や一日の終わりに、毎日のようにジゼルを思い浮かべ会いたい気持ちを募らせるロファーだったが、用事もないのに行けば「何の用だ?」と言われそうだし、「私の顔が見たくなったか?」とジゼルがニンマリするのは負けた気がする。
きっとジゼルも同じだろう、と勝手に決めつけ、呼ばれるまで行くものか、と思っていた。
だから朝の
「助けて、ロファー」
叫びながらドアを叩き続けている。
慌ててドアを開けると泣きじゃくりながらジゼルがしがみ付いてくる。
「ロファー、ベッドが血の海だ。今度こそ本当に私は死んでしまうかも」
「ベッドが?」
ロファーがジゼルを抱えながら部屋に入ると後ろでドアがぱたりと締まる。
しがみ付くジゼルを引き離せないまま、寝室に行くと、確かにベッドは血にまみれている。
「怪我は?」
ない、と答えるジゼルを、体を見せてみろ、何とかロファーが引き離す。服もやっぱり血に染まっている。だけど、これは・・・
「おまえ・・・」
体から力が抜けたロファーがしゃがみ込む。
「おまえ、本当に、何もわからないのか?」
涙目のジゼルの不安げな顔を見ると、どうやら何も教わってないようだ。まったく、魔導士って面倒だな、と内心思う。
「大丈夫、病気じゃないし、心配ない」
すぐバスの準備をするから、体を洗って服を着替えろ、その間にベッドや床をきれいにしておくから・・・
何とか宥めすかしバスルームに追いやって、ベッドを綺麗にし、床を拭き終え、一旦自室に戻って、自分も汚れた服を着替えて戻ってきた。
そして、さて困ったとロファーが頭を抱え始める頃、外に通じるドアの呼び鈴が鳴った。まったくこんな朝早く、しかもこんな時に誰だ、と顰めっ面でドアを開ける。
「ジェシカ!」
立っていたのはジェシカだった。
「出歩いたりして大丈夫なのか?」
ジェシカは亭主のマグの遺体を発見して以来、寝込んでいた。
「魔導士様のお薬ですごく楽になったの。出歩けるようにもなったわ」
心配かけたわね、と微笑むジェシカの後ろで、マーシャが馬車の荷台からミルク瓶を降ろしているのがロファーに見えた。
中で待ってて、とジェシカを部屋に入れ、ローファーはマーシャの手伝いに行く。
「おはよう、ロファー。魔導士様は?」
「マーシャ、おはよう。俺が運ぶよ」
歩けるようになったから魔導士様のところにお礼に伺いたい、馬車を出すから一緒に行って、頼まれたマーシャがジェシカを連れてきたのだ。馬車を扱うのも、馬に乗るのも、ジェシカにはまだ無理そうだった。配達の時なら、お寝坊の魔導士様も必ず出てきてくださるから、とミルク配達の時間にマーシャが馬車を走らせてきた。
そうかそうか、何しろジェシカが元気になって、俺もうれしいよ。そう言いながらロファーは二人に頼み込んだ。
「いいところに来てくれた。俺ではお手上げだ。助けてくれ」
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