19

 時間帯については、心配し過ぎだったと長老には言うように、とジゼルは言った。


 琥珀色の瞳ばかりが狙われたことについては、偶然だとし、眼球が狙われたことについては、魔物が欲しがった、引き換えに息子を助けようと言った、そんな話にすればみな納得する、とジゼルは続けた。


「母親がホミンの瞳を欲していたなどと、決してホミンに知られてはならない」

 マグには申し訳ないが、襲われたのが女性ばかりでなかったことが、この件について都合が良かった。


「さて、これで抜けはないかな?」

ジゼルがロファーに問う。


「うーーーん、長老たちは気が付かないと思うし、報告する必要もないことなのだけれど」

「おや、ロファーにはまだ疑問があると?」

「うん、三つばかりね」


 一つは闇に包まれながら、なぜおまえは命を奪われずに済んだのか、ということ。

「あぁ・・・」

それは私が闇を包み込んでいたからだよ、とジゼルが答えた。

「闇に包まれていたのではなく、私が闇を包んだのだ」

包みあったと言ってもいい。あれは母親の思いそのもの、とても暖かいものだった。


「母親に抱かれたことがない、と言う私に同情もしていた」

私を抱き締めてくれもしたよ。だから飛ばされはしなかった。


「そんな、危険な・・・間違っていたら殺されていた」

「大丈夫、その時は身につけた剣が私を守る。総ての神秘に建つ剣だ。私に危険が及べば、瞬時に母親の力を封じ込んだはずだ」

「すべての神秘に建つ剣? なんだ、それ」

「そのうち必ず説明するよ。今日は勘弁してほしい。で、二つ目は?」

納得できないロファーだったがそれ以上粘ってもほかの返事は聞けないだろう。


「なんでおまえ、これほどの魔導術に気が付かなかったんだ?」

 魂を瞬間移動させられる魔導士は少ないと言った。つまりそれほど強い力だということだ。それが罪を犯したとき、普段のおまえなら、察知しているはずだと思うのだが・・・


 ロファーの問いにジゼルが答える。

「・・・魔導術ではないからだよ」


 世の中には魔導術より、もっと強力で、もっと神秘な力が存在している。その中の一つが『魔力』であり、『思念』だ。母親の力は『魔力』が『思念』に作用して生み出された。言わば母親こそが魔物だった。


 誰でも切掛けさえあれば魔物になりうる。だがそれを、ことわりを知らぬ人たちに知らせて悪戯いたずらに恐怖させても意味がない。『魔力』の存在を魔導士ギルドが隠すのはそんな理由からだ、とジゼルは言った。


「結局、一番恐ろしいのは、魔導術でもなく、魔物でもなく、人間なのだよ」

三人の犠牲者が出たと知ってから、魔導術だけでなく、すべての神秘力に注意を払うようにした。


 だからマーシャを追う闇を察知できたし、私の結界を覗く存在にも気が付いた。

「犯人が人間だとその時点では判らなかったのか?」

「厳密にいえば、生きた人間かどうかが判らなかった」

死しても思念は残ることがある。


「・・・確かに人間が一番怖い」

ロファーが身震いした。


 最後に残った疑問はホミンのペンダントのことだ。触れることができないと言ったのに、最後には受け取った。

「力の強い魔導士の私が触れることで、込められた祈りが消えることを案じたのだ」

それにはジゼルはこう答えた。ホミンの代わりにロファーを守ったことで祈りは成就した。だから私が触れても問題なくなったのだ。


「それで、報酬はどうする?」

 長老への報告に出かける間際、ロファーが尋ねた。


「そうだね・・・金貨三十枚と行こう」

「吹っ掛けたね」

ロファーが笑う。


「街長からも、あの金持ちからも貰っていない。その上、私もロファーも死にかけたような気もする。安すぎるかもしれない」

ジゼルは真面目顔だ。


「俺たちは死に掛けたのか?」

それにはジゼルもニッコリ笑った。

「まさか! あれくらいで死ぬような私ではないし、あなたを死なせたりする私ではない」


 それじゃあ、サッフォを借りていくよ、ロファーが出かけようとすると、ジゼルがその袖を引く。


「やはり、今夜は帰ってしまう?」

緑色の瞳に見詰められ、揺れたロファーだが

「そうだね、帰らなきゃいけないね」

と答えた。


 今、誘惑に負ければずるずると、ここに居ついてしまいかねない。それはお互いのためにならない。


「ならば家に帰る前に、もう一度ここにきて」

「サッフォを返さなきゃならないし、金貨も届けなきゃならない。長老の様子も話さなきゃ。必ず戻るよ」

ジゼルの髪を撫で、ロファーは出かけて行った。


 ロファーが戻ったのは夕刻だった。出かけた時間を考えれば早いほうだが、ジゼルに内緒で一度自宅に寄っている。


「金貨三十枚は少し渋ったけれど、再び魔物が舞い戻ったときは保証すると言ったら納得したよ」

金袋をジゼルに渡しながらロファーが笑う。


「戻ることがないことを知っていて、狡いヤツだ」

そう言いながらジゼルも笑う。


「やはり交渉はロファーに任せるのが一番だね。私にはそんな器用さはない」

「褒めてくれているのかい?」


「さすが十三で店を継ぎ、繁盛させているだけのことはあると、褒めたのだよ」

「貶されている気もしないでもないが?」


それにジゼルは微笑むだけで答えなかった。


「帰るなら食事をしてから帰るといい。さっき、ブランが魚を持ってきた。父親が釣り上げたお裾分けだそうだ」


 今日は粉をはたいてバター焼きにしよう。

「そうか、そりゃ旨そうだが・・・遅くなるから遠慮しておくよ」

実は一旦店を見てきた。依頼の手紙が山積みだった。

「さっさと帰って片付けないと」


「店に寄った? それにしては随分と早かったね」

「長老さん、話なんかまったく聞かなかった。犯人は魔物でジゼルが退治した、ってだけで満足したようだ」


 長老にしては珍しいね、心境の変化でもあったかな、とジゼルが笑う。

「でも、やっぱり食べてから帰って。直にでき上るし、話もあるし」

と言われれば、やっぱりロファーは断れない。


 マーシャが持ってきたミルクの瓶は、いつもより小さい瓶だった、明日から、また朝、配達に来ると言っていた。あの館の使用人たちが昨夜の内にあの出来事をジゼルが書き替えた記憶をもとに、街中に伝えてしまったようだ。


 なるほど、だから長老は根掘り葉掘り聞いてこなかったんだね、ロファーが変に納得する。あぁ、そうか、とジゼルもそれに同調する。

「まぁ、噂が広まるのは早いものさ」


 家に帰れば、心優しく意地悪な友人たちが入れ代わり立ち代わりやってきて、

噂がどこまで真実なのか、特に事件と関係ない噂について、あれやこれや聞こうとしたり、忠告めいたことを言ってきたりするのだろうな、と、少し気が重いロファーだ。だけどそんな友人たちを懐かしいと思う自分もいる。


 ジゼルはもうすっかり元気で、昨夜のことが嘘のようだ。


 もともと琥珀は体内の不要な気を取り除き、必要な気を補充してくれると言われているんだ、とか、スイートピーの花言葉には『優しい思い出』や『門出』があるんだよ、ホミンの手紙の中にスイートピーが出てきたとき思ったんだけれど、彼はその手紙を書いた時には別れを覚悟していたのかもしれないね、などと機嫌よく話している。


 ロファーはそれを聞くともなしに聞きながら「そうか」「そうかもしれないね」と相槌を打っているだけだ。そのうち舟をこぎ始め、がくりと力が抜けて飛び起きる。


「ダメだ、ジゼル、帰って寝るよ」

するとジゼルは「判った」とやけに素直だ。が、次に

「ねぇ、ロファー、怒らないで聞いてくれる?」

とロファーの顔色を窺ってきた。


「うちのドアの横にもう一つドアを付けたんだけど・・・ロファーの家の二階に通じている」


「はぁ????」

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