13

 程なくして戻ると、ジゼルはロファーの横に腰を降ろした。ロファーも心得ていて、ジゼルが寄りかかりやすいようにその肩を抱く。


 迷いもせずに身を任せ、ジゼルはロファーの胸に顔を埋めると、暫く動かずじっとしていた。揺椅子はロファーが既に片付けたあとだ。


 しかし、これで敵の姿が見えてきた、とジゼルが真顔で言う。そうだな、とロファーが答える。お互い前を向いたまま、顔を合わせない。


「哀れだが、見逃すわけにはいかない」

ジゼルの声は言葉の意味を表すように沈んでいる。


「それで、どうする?」

「少なくとも、持ってしまった力を取り上げない訳にはいかない。本来・・・」


「・・・本来?」

途中で言うのをやめたジゼルにロファーが先を促す。チラリとジゼルがロファーを見る。


「最後まで言わせたいか。ヤツは三人も人を殺した。哀れではあるけれど、身勝手な理由で、だ」

「本来ならば殺す、と?」

「・・・罪を犯したものを断罪し処罰するのは魔導士に与えられた義務だ」


「人を殺したことがあるのか?」

ロファーの声はいつもより更に優しい。


「人を殺したことは、ある」

最後のほうは絞り出すような声だった。

「この街にたどり着く前のことだ」


 ジゼルの体が震えているのがロファーに伝わってくる。

「ただ、罰としてではない。私が自分の身を守るために殺した。殺してしまった」


魔導士である自分が襲われることなど予測もしていなかった。森を抜ける、他には誰もいない細い道、向こうからやってくる二人の男を警戒することもしなかった。


 すれ違いざま、不意を突かれて抱きすくめられ、魔導術を使う余裕もなく、森の中に引きずり込まれた。


 相手の思惑は一瞬で読み取れた。そして殺される、と直感した。その恐怖が力を暴走させ、気が付けば二人の男は命を落としていた。


「ロファー、あれは私の罪だ」

「違うよ」

 肩を抱くロファーの手に力が籠められる。


「その時、ジゼルは十三、それとも十二? そんな子供を襲った二人が悪い」

二人は断罪され、処罰を受けた、それだけの事だ。


「ギルドの見解も同じだった。だけどね、ロファー、殺される恐怖と殺してしまった恐怖、この二つはとても似ている。とても恐ろしい」


そうだね、とロファーが頷く。

「俺は人を殺したことはないが、殺さなければならないとなれば、きっとすごく怖いと思う」

だからジゼルに聞いたんだよ、殺したことはあるのか、と。殺さなくてはならないとしたら、ジゼルにできるのだろうかと心配したんだよ。魔導士ってヤツは本当にしんどいな。


「処罰を間違えると何かあるのか?」

「いいや、何もない。魔導士の良心に従って行われる、というだけ」


「ならば、その『持ってしまった力』とやらを取り上げる、ってだけでいいじゃないか。本来だのなんだの、考える必要もない」


 さらにロファーはジゼルに言った。

「魔導士ギルドの見解ではなく、俺を信じろ、ジゼル。お前は自分を守っただけだ。それは罪じゃない」

俺が殺されそうだったら、迷わずおまえは俺を守るため相手を攻撃するはずだ。その結果、相手を殺めたとしてもおまえは後悔しないだろう。同じ事だよ。


「ロファー」

ジゼルがロファーの胸にさらに強く顔を埋めてくるのをロファーは感じていた。


 街長からの使いが来たのは夕方間際だった。来たのはあの執事で、お礼を用意するのに時間がかかってしまって申し訳ないと言った。やはりあの御者の馬車で来ていて、開け放たれたキャビンの中に大きな金袋が三つ乗せられているのが見えた。下手をすると街長の屋敷ぐらい買えそうな額になるだろう。


「魔導士様に直接お渡ししたいので中に入れてはいただけないか」

と執事が言う。


 するとドアの前に立つロファーを押しのけてジゼルが顔を出した。

「お礼も報酬もいらない。薬を受け取ったら早く帰ってホミンに飲ませてやるといい」

「それではあるじの顔が立ちません」


「屋敷をよこせ、などと詰まらない冗談を言った私が悪かった、とそう伝えよ。魔導士を謝らせたとなれば街長の顔も立つ」

そう言ってジゼルは部屋の中に顔を引っ込めてしまった。


 まぁ、魔導士様もああ言ってらっしゃるから、ここはお引き取りください、とロファーが頼んでもなかなか執事は帰ろうとしない。とうとう御者が下りてきて、魔導士様を困らせるのはいかがなものか、と執事を説けば、それもそうだ、とやっと執事も帰る気になった。


あるじ次第でまた来るかもしれません。その時は受け取っていただきますよ」

執事の言葉に苦笑してロファーは部屋に戻っていった。


 中ではジゼルがキッチンで夕飯の支度を始めていた。執事が来る前に焼き始めていたパンはとっくに焼きあがり、いい匂いを漂わせている。


 メニューを尋ねると「たまには燻製でも食べようか」ジゼルが答える。ワインにも合うだろう、と戸棚の奥からワイングラスを引っ張り出した。


 ロファーが食品庫から持ってきたスモークソーセージを受け取ると、ローズマリーを入れたフライパンで炒め始める。別の鍋で揚げたポテトと、茹でたアスパラガスを添えれば、今夜の夕飯となる。


「事件解決の前祝いに」

 ジゼルがグラスを捧げる。

「前祝いに」

気は向かないがロファーもそれに倣う。


 すぐにジゼルの頬が赤く染まり、ロファーがそれを揶揄からかえば、いつもと変わらない時間が過ぎていく ―― ような気分にさせる。


「あの屋敷くらい買えそうなかねを持ってきたな」

街長のことだ。


「そんな大金は流石の街長も手元にはなかったようだね。駆けずり回って揃えた、揃えるのに時間がかかったっていうのは本当だろう」

「ひょっとすると借金しているかもしれないぞ。街長にとってホミンは財産を投げ打っても構わない存在ってことか」


「ロファーが言っていたけど、彼らは彼らなりにホミンを大事にしている、ってのは判ったよ。だけど、どうにも納得いかないのはなぜだろう」

ぼやくジゼルに

「おまえが金に価値を感じていないからじゃないのか?」

とロファーが答える。


 その答えはジゼルの腑に落ちたようで、

「なるほど・・・」

とすっきりした顔を見せた。


「しかし、そうなると、金持ちほど金に執着するものなのだろうか」

「うーーん、それは判らない。自分の持っている物の中で、一番判りやすい価値を持っているから、金で問題を解決しようとする金持ちは多そうだね」

貧乏人の中にもやたら金に執着するヤツもいない訳じゃないよ、とロファーが苦笑した。


 ロファーも金が欲しい? ジゼルの問いに

「そりゃあ欲しいさ」

とロファーが笑う。


「おまえだって金がなければ困ることもあるだろう。食べていくことさえできなくなる」

贅沢しようとは思わない、だけど生活するのに必要な程度の金は欲しいさ。ロファーの答えにジゼルは満足したようだ。


 結局お互い相手に、本当に聞きたいことを聞けないうちにジゼルは酔いが回ったようで、ケラケラ笑いが止まらなくなり、部屋中の色々な物を飛ばし始める。


 花瓶の花を宙に浮かせてダンスをさせる。おかげで部屋の空中は花だらけで、時折ロファーにぶつかりそうになるが器用に顔だけは避けていく。壁に掛けて干した花は咲いたり枯れたりを繰り返し、まるで歌っているようだ。がくに収められた絵画からは何かわからない物が根っこを生やして飛び出すと、ユラユラ踊るように揺れている。

 音楽を担当するのは言わずと知れたキッチンの鍋たちだ。そこに本棚の本が拍手を送る。


「魔導士のパーティーはさぞや賑やかなのだろうね」

呆れ顔のロファーに

「ロファーも踊れ」

とニコニコ顔のジゼルがねだる。


「なんだったら私と踊るか?」

少し魅惑的な誘いだったが、

「いーや、踊ったりしたら俺まで酔いが回りそうだ」

後片付けができなくなる。遠慮しておくよ。

と答えるうちに、コトンとテーブルにジゼルが突っ伏し、花も鍋もそのほかも、いつも通りに戻ってしまった。


 テーブルの上も片付いて、食器は全て戸棚の中だ。どうやら遊びながらジゼルは後片付けもしていたようだ。


 グラス一杯のワインでご機嫌だなんて安上がりだな、と思いながらジゼルを覗き込むと、眠ったわけではないようだ。


「どうした?」

とロファーが聞くと

「動けない」

と涙ぐむ。


 それに動悸が恐ろしく激しいし頭痛もしてきた。もうすぐ死ぬのかもしれない、と真っ赤な顔で嘆いている。ただの酔っ払いだ、込み上げてくる笑いを堪え

「吐き気は?」

とロファーが問えば、あるような、ないような? と答える。


「まぁ、飲め」

とコップに水を注ぎ、上体を起こしてやって、飲むのを手助けする。


「酔い過ぎただけだよ。少し大人しくしていれば治まる」

と言いながら窓を開けて風を入れる。


 いつの間にか雨はやんでいて水を多く含んだ風が恐る恐る入り込んでくる。見上げると、雲も流されたあとらしく太った三日月が夜の地上を見降ろしている。


 明日は晴れるだろう。そしてジゼルは出かけるだろう。果たしてヤツに会えるだろうか。

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