絶望と希望

努力が報われない事を絶望という。これは神からの裏切り行為である。



この絶望感は、昔から多くの犯罪者を生み出してきた。

本人に才能があり努力家であるほど、酷い犯罪者となる。



この悲劇は、神が人の願いを叶えるべき存在だという、間違った思いが元凶になっている。


食事の前に神に感謝するのはよくある光景だが、食事が無ければ神を怨むという事に繋がりかねない。



無神論者も、犯罪に走る事もあるだろうと言うかもしれないが、無神論者でさえ、良い事をすれば、報われるべきだと無意識に思っているのだ。



ヒトラーも不遇な家庭環境、美術大学の試験失敗、世界恐慌などで、絶望を味わい、ホロコーストという最大の不幸をもたらした。



絶望した時に、その人の真価が問われる。不幸が重なると、神や環境の責任にして自暴自棄になってしまう。



こういう時は、じっと貝のように静かに耐えるしかない。大体、タイミングが悪いだけの場合も多いのだ。



よく、映画で「神よ。なぜこんな試練をお与えになるのですか?」というセリフがあるが、万が一神が存在しても、世界中の人をじっと観察して、ご褒美ボタンや試練ボタンを押している訳ではない。自意識過剰というものだ。



絶望の対義語は、希望だ。人は、希望を求めて絶望する。


希望とは、なんとなく思っているだけでは叶えられない。


心の中に思い描けるほどの希望は、多少失敗しても絶望はしない。そんな失敗は折り込み済みだからだ。



こんな希望を探す事が出来たら、叶ったも同然だ。



何故なら、神ではなく、あなた自身の頭と体が、起きているときも、寝ているときも、その希望に向かって、無意識に全神経を使って、実現させようとするからだ。

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