8 (シャーン)
ジゼェーラは何も言わず私をしげしげ見詰め、それから建物と反対側に場所を移して私を見、最後に後ろに回って私を見た。そして、
「ただの人だ。まだ子どもだ。私と同じだ。同じでないのは魔導士見習で女ということ。魔導士学校の学生だろう。森に迷い込んだといったところ。問題ない」
と呟いて、建屋の表に帰っていく。
小鳥たちは口々に、なぁんだ、とか、ほっとけとか、思い思いのことを言って、ジゼェーラについていく。
「待って、ちょっと待って」
慌てて声を掛けるが、聞こえないのか、聞こえない振りか、ジゼェーラは壁に沿って曲がり姿が見えなくなる。小鳥たちは私には素っ気ない態度だが、それでも『ついてくれば』と言ってくれた。
建屋の南に出ると、すぐにドアがあり、開けっぱなしだ。中を見ると狭いホールの奥、左側に三段ほどの階段があり右に続く廊下、その先にまたドアがある。そのドアも開け放たれている。恐る恐る中に入り、階段を上り、部屋を覗く。『ドアは入ったら閉めるものだ』と小鳥の声が聞こえ、玄関ドアを閉めに戻り、部屋に入って部屋のドアも閉める。
部屋は南側に腰高窓がずらりと並び、その反対側には本棚と机、ドア、そして奥は薄絹で仕切られて、別の部屋として使っているようだ。窓からの風に薄絹がたなびいて、チラリとベッドが見えたから寝室なのだろう。
窓は全て開け放たれ、出窓に様々な種類の小鳥やリスが遊び、窓の向こうからは鹿が一頭覗きこんでいる。鹿は、ジゼェーラが首に腕を回して頬に口づけすると、私を一瞥してどこかに姿を消した。
それからジゼェーラは腰高窓と同じ高さに設えられたチェストの上で、肘を立てて頭を支え横たわった。小鳥たちが次々にジゼェーラの体に留まり、またお喋りを始める。今度はそれこそ思い思い、とりとめのないことばかり、好き勝手に
「あの……」
と声を掛けると、ジゼェーラが動いた。だけどそれは
小鳥たちが『ジゼェーラはお昼寝』『お昼寝よりも歌おうよ』と口々に騒ぐ。中には踊ろうよ、と求愛ダンスを始める鳥もいる。春だ。
「うーーん、そのダンスは愛しあう前に踊ると、教えられた」
眠そうな声が聞こえる。
(そんなの勝手な思い込み)
(人は勝手に思い込む)
と小鳥たちが笑う。
(興奮しすぎた時だけさ)
と更に笑う。すると森の中から
(子ども相手に不謹慎)
とミミズクの声がする。
(ジゼェーラはまだ子ども)
(まだまだ卵を産めもしない)
(産ませることもできはない)
(人はもとより卵は産まぬ)
(そうさ、ジゼェーラ、
(産ませることもできはしない)
ケラケラケラとカワセミがどこかで笑った。
(ビルセゼルトに言いつけるぞ)
と言ったのはさっきのミミズクだ。
すると今度は森を揺するように、森中の鳥たちが一斉に笑った。
(来るものか)
(来ない、来ない、まず来ない)
(すぐそこにいるのに来やしない)
(ビルセゼルトは来やしない)
(こないだ来たのは五年ぶり)
(その前来てから七年ぶり)
(今度来るのは何年先か)
(捨てられた姫君)
(姫君は我らのもの)
(我らが守り育てた姫君)
するとまたも小鳥たちが窓辺に舞い降りて、とうとうジゼェーラの姿を隠すほど群がった。まるで天然の羽根布団だ。でも、中のジゼェーラは大丈夫なのだろうか?
すると案の定、モゴモゴと動いて鳥団子の中から腕が伸び、頭の上の鳥を追い払う。そしてゆっくりと寝返りを打つ。背中の鳥たちは潰されては
一羽、翼を挟まれたようで、バタバタしていると、ジゼェーラが、よっこいしょ、と体を浮かす。解放された鳥は慌てて逃げていく。
「あぁあ、
上体を起こすとジゼェーラは出窓に残っていた小鳥たちを指さし、その指を外に向ける。指さされた小鳥たちは森に帰った。そして窓を閉め、チェストから降りる。と、ジゼェーラが私を見た。
「!」
見た途端に動きが止まり、目が見開かれる。次にはガタガタと震え始める。
「な、な、なぜ?」
絞り出すようなジゼェーラの声。
「なぜここ? 誰?」
どうやら私がいることに驚いているようだ。
「なぜ、って……ついて来いって小鳥が」
「魔導士学校まで案内しろと命じた」
「あ……」
ついてくれば、って帰り道を案内するから来い、って意味だったのか。てっきり、部屋についていくのだと思ってしまった。
小鳥たちは長文を話さない。良く起きる誤解だ。
「ごめんなさい、勘違いして、あなたについてきてしまった」
「……私に何もしない?
「
「……」
ジゼェーラの体の震えが止まった。そして私から目を話すと、部屋の中央に置かれたソファーに座った。テーブルにはティーポットと砂糖壺が置いてある。ジゼェーラはテーブルの引出からカップを二客取り出すと、ポットにお茶を注いだ。どうやらあらかじめポットには魔導術が掛けてあり、注げばお茶が出るようだ。
「お砂糖はいくつ?」
ジゼェーラが私を見て問う。
「私に? ありがとう、お砂糖は二つよ」
「座って」
急いでジゼェーラの対面に座る。まごまごしていると、ジゼェーラの気が変わりそうな気がした。
ジゼェーラは砂糖を入れたカップを私に寄越し、自分のカップにも砂糖を入れている。そして嬉しそうに掻き混ぜながらカップの中を覗きこむ。
(ジゼェーラにも砂糖のダンスが見えるのだわ)
くるくる回りながら溶ける砂糖は、紅茶と手を取り合って、抱き合いながらダンスする。その様子は見える人と見えない人がいて、私は見えるけれど、母には見えない。父の血筋のおかげ、と母は言っていた。やはり私とこの子は姉妹なのだ。
私は目の前に座るジゼェーラをまじまじと見た。
プラチナに輝く髪に深い緑色の瞳、顔立ちは一昨日、目の当たりにした校長、私たちの父親ビルセゼルトによく似ている。兄グリンバゼルトともよく似ている。きっとこの子は誰もが振り向くような美人になる。母親似の私は足元にも及ばないだろう。だけど……
ジゼェーラは紅茶を一口飲んではニッコリとし、ときどき不安そうに私を盗み見る。私が微笑むと嬉しそうな顔をして微笑みを返してくる。カップが空になると再び満たし、砂糖を入れてかき混ぜながら覗きこむ。そしてまた、一口ずつ口に含んではニッコリし、を繰り返す。
変だ。変わっている。可笑しい。どの言葉も当てはまると私は思った。することが幼過ぎる。ひょっとして、まさか? どこか足りない? あ、でも……
建物の外で私を初めて見た時、ジゼェーラの瞳には確かに知性が見えた。私をじっくり観察し、問題ない、と言い放った。私は圧倒され、黙って彼女を見詰めるしかなかった。今、思えばあれは街人が持てる圧ではなかった。その彼女の知性に欠陥があるとは思えない。それに魔導力についてもそうだ。彼女からは力を感じないが、確か噂では力は封印されている。
ひょっとしたら、力が封印されると、他者には感じられなくなるのではないか? その辺りの知識が私には不足していた。これも図書館で調べようと思った。
それよりも気になるのはジゼェーラの言葉、「違うのは女」「罰しに来た」の二つだ。これは本人に聞くしかないと思う。図書館で調べても出ない。
「ねぇ……」
と声を掛けるとジゼェーラが私を見た。少し警戒しているように見える。
「さっき、私のことをあなたと違って女、と言わなかった?」
ジゼェーラが小首をかしげる。
「ほら、建物の外で。人間の子どもだ、って」
「……あなたを女と思ったのは間違いだった?」
不思議そうな顔をしてジゼェーラが答えた。
「ううん、私は女よ。あなたもでしょ?」
するとまた小首を傾げる。そして
「私は……男でも女でもない」
と、言い切った。
「もちろん、いずれどちらか選ぶことになるけれど。それまでじっくり考えて、納得いく方を選べばいいと言われた」
「そ……それは誰に?」
まさか父では? 父であって欲しくない。
「カタツムリの、ズムズムだったかな? 名は忘れてしまった」
「カ・タ・ツ・ム・リ?」
「うん、カタツムリ。あぁ、ジムズムだ。名はジムズム」
あの、それ、何か勘違いしていませんか? カタツムリか、ジゼェーラか、どっちかが。
それにしてもジゼェーラはカタツムリとも意思疎通が可能とは。いや、可能なのか? まさかジゼェーラの妄想とか?
「ジゼェーラは人間以外とは、どれくらいの生き物とお話しできるの?」
「うん?」
カップに口を付けたまま、上目使いでジゼェーラが私を見る。
「あなたは、人間以外と話せない?」
「私は小鳥とお話しできるだけ。哺乳類とは
「へぇ。なんで?」
「なんで、って、普通は人間としか話せなくて、ときどき私のように、小鳥や猫とかと話せる魔女がいて、あとはみんな、親に習ったり、魔導士学校で学んで話せるようになるのよ」
「不便だね」
不便、なのか。
「私はいつの間にか話せるようになっていたし、今のところ話せない相手はいなかった。この森の中の生き物、植物も含めて、と話せる。あと、風と光も時々話しかけてくる。夜は光の寝言が五月蝿くっていけない」
光の寝言……聞いてみたい気もするが、なぜか肯定してはいけないような気がする。ジゼェーラは、まともなのか?
驚きすぎてもう一つの疑問を忘れるところだった。
「いつも罰を受けているの?」
ジゼェーラはまた小首を傾げる。
「いつもではないけれど、何かあると罰せられる」
「何かって? 例えば?」
「嫌いな物を残したり、ソースで服を汚したり、部屋にパン屑が落ちていたり、枕に抜け毛があったり。刺繍をしたときは、針で指を刺してしまって、怪我をしたと怒られた」
「それで? どんな罰を受けるの?」
「音も光も風もない闇に閉じ込められる。そこには上も下もなく、時間も判らない。とても恐ろしい」
恐ろしくって泣き続け、いつの間にか気を失う。その内また気が付いて、再び泣き続ける。その繰り返しだ。罰すると世話係が決めたら、罰は必ずそれだ。泣いて謝っても許してくれない。
「そんな……犯した罪より罰が重すぎる。むしろ、ジゼェーラ、あなたは罰せられるようなことは何もしていない」
なんてこと? あまりに酷い。本当にジゼェーラはそんな生活をしているの? 思わず涙が滲む。この子は私の妹なのに。
「そう、校長も同じことを言った。私を罰した世話係たちの間違えだと言った」
「校長? ビルセゼルト?」
「そう、ビルセゼルト。おまえは何も罪を犯していない。真っ直ぐなままだ、と。いろいろ学ばなくてはならないこともあるが、おまえはおまえのままで良いと。あの男は穏やかで優しい声でそう言った」
「あの男、って、あなたのお父さんなのでしょう?」
「私の父親ということ? ビルセゼルトが私の父? 聞いた事はないけれど、そう言われればそうかと思う」
「そんな……」
「校長は、もう罰したりしないと約束した。一昨日のことだ。外で見た時は迷子だと思ったが、私の部屋で見知らぬ魔女、つまりあなたを見て、迷子ではなく私が目的と思った。ビルセゼルトに知られないように、こっそり私を罰しに来たのかと警戒した。でも違った」
丁度お茶が欲しいと思っていた。一昨日ビルセゼルトは私のカップに砂糖を入れてくれた。私はそれが嬉しかった。疑ったお詫びに、あなたのお茶に砂糖を入れてあげれば喜んでくれると思った。
「で、なぜあなたは泣いている? 頬に触れてその涙を私が拭いてもいい?」
「ジゼェーラ……」
「これも一昨日ビルセゼルトから学んだ。ビルセゼルトはハンカチで拭ってくれたけど、私はハンカチを持っていない。あるのかもしれないけれど、どこにあるか判らない。ハンカチでなくては嫌? 私は拭って貰って嬉しかったけれど、あなたは嬉しくない?」
私は何も言えず、ただ首を横に振った。
「やはりハンカチを探そう。タオルではだめなのだろうか? タオルならしまってある場所を知っている。ちゃんと拭かないと肌が荒れるとビルセゼルトが言っていた」
立ち上がる気配に、
「タオルでいいのよ」
やっとのことで私はそう言った。ジゼェーラが何かごそごそしている間、私は泣き続けていた。切なかった。
私は心のどこかで、私よりもジゼェーラは大事にされているだろうと思っていた。正式な妻との間にできた子なのだ。大事にされないはずはないと疑うことなく思っていた。
だが、母親から引き離され、父親の許でもなく、学校に預けられて、どう大事にされているのかと不思議だった。ひょっとしたら、特別に魔女、魔導士としての教育を受けているのかとも考えた。
でも違った。確かに衣類はどれも上等な物、身に着けている装飾品も然り、でも、私の物も遜色ない。装飾品の中には私とお揃いの物もある。
お父様からの贈り物よ、と母が喜んだ三連のネックレスは使われている石こそ違っているものの、同じ仕様だ。きっとジゼェーラが付けているのも父が選んだに違いない。
そのネックレスを、私は母が「父から」と偽って私に寄越したのだと思っていた。魔女は嘘が吐けない。「父から与えられた金で買った」を大きく省いたのだと、そう思い込んでいた。
母がジゼェーラにネックレスを贈るとは思えない。もちろん、偶然がないとは言わない。だが、こんな偶然があるものだろうか? 私のネックレスも父が私のために選んだのだ。父は、私とジゼェーラに、少なくとも経済的な分け隔てをしないよう気を使っている。
ジゼェーラは世話係に虐められていた。それを父が知ったのは、やっと二日前のこと。もう虐められることはないにしても、ジゼェーラはどれほど我慢してきたことだろう。こんなに近くにいるのに、父はジゼェーラを訪れることもない、と小鳥たちは歌っていた。捨てられた、と言っていた。
ジゼェーラは私と違って、父の正式な妻が産んだのだから、父がジゼェーラと会うのに何の問題もないはずなのに、なぜ父はジゼェーラに会おうとしないのだろう。
ジゼェーラに酷い事をした世話係を父は認めなかった。間違っていると言った。もう、ジゼェーラが罰せられることはない、と言った。きっと私同様、世話係に憤りを感じているに違いない。ジゼェーラを大切に思っていない訳じゃないと思った。なのに、なぜ、こんな近くに足を運ばないのだろう。
一昨日は五年ぶりだと小鳥たちが言っていた。その訪れは七年ぶりだと言っていた。十二年の間にたった二回。少なすぎると思うのは私だけではないはずだ。
しかもジゼェーラは父を自分の父親と知らないなんて。小鳥たちは知っていた。ビルセゼルトの娘と言っていた。
判らないことだらけで、悲しいことだらけで、しかもその悲しさをジゼェーラ自身が気づいていない、それが一番悲しかった。
ジゼェーラ、私の妹。あなたはもっと愛されていい。愛されるべきだ。
確かに私も父の愛情を受けずに育った。けれど私には母がいて兄がいて、二人は私を愛してくれている。そして私も二人を愛している。
ジゼェーラ、愛しいのが小鳥や動物たちだなんて、悲しいことなのだ。それすら知らないあなた。私が教えてあげる。愛の素晴らしさ。愛することの素晴らしさ。家族の温かさを。
どこまでできるか判らない。魔導士学校は四年で卒業する。その間、私はジゼェーラの傍にいよう。
ぽろぽろと涙を流す私を、ジゼェーラが心配そうにのぞき込む。ふわふわのタオルで私の涙を拭っていく。
「好きよ、ジゼェーラ」
私はそっと呟いた。するとジゼェーラはやっぱり小首を傾げた。
「私の名前はシャインルリハギ。シャーンって呼んで」
ジゼェーラは頷いて
「私の名前をあなたは知っている。でも、呼ぶのはジゼルがいい」
と真っ直ぐ私を見て言った。
深い緑色の瞳。奥のほうで何かが揺れた気がした。
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