第3話 魔石

【魔石】



 うん、何度も言わなくてもわかってるから、人の頭に勝手に文字を浮かべないでくれるかしら。影の薄い新米教師をトイレに釘付けにして何が面白いのよ。まったく。




 トイレから戻ったわたしはゴミ袋を3枚持って寝室に戻る。もちろん、ゴミ袋はわたしのアレ用ではなく、異臭の元凶である箱を入れるためだ。


 幸い窓を開け放っていたため、部屋に異臭は充満していない。鏡面台に近寄る前に新鮮な空気を肺いっぱいに溜め込む。肺活量の無さには自信があるわたし。息を止めたら、無駄なことはせず一気に箱に詰め寄ると、3重にしたゴミ袋の中に異臭の元凶を入れ込んで入念に口を縛る。それで何とか異臭の元を断つことに成功した。


 だが、いくら臭いからと言って気になるものは気になる。さっき頭の中に浮かんだ文字【魔石】。わたしの知識に従って理解していいものなら、魔石って言ったらファンダジー世界のアイテムだ。換金用アイテムだったり、錬金術や魔道具で魔力供給元として利用されるもの。


 もし、そんなものが現実世界に実際にあるとかだったら、驚きを通り越してちょっと笑える。だって学校で絶対に教えない領域のことだもん。むしろ、「なに夢みたいなこと言ってるんだ。そんなもん読む暇あったら勉強しろ」ってのが定番のセリフだ。それが逆転するとか、やっぱ笑える。


 ま、気になるものはしょうがない。ということで、3重の袋越しに上手く箱を開けて中から【魔石】を取り出す。さあ、こい、頭に浮かべ、【魔石】。


 ……うん、浮かばない。なぜだ? 袋越しだからか? いや、もしかすると逆か? さっき浮かんだ文字が気のせいなのか。そりゃそうか、何も浮かばないのが本来なのだ。


 つまりこれはただの赤い石、もしくは宝石。もしもよ、もしもルビーとかだったら『成金王』に直行案件になる。


 こうなるともう開けるしかない。超慎重派のわたしも流石にルビーの輝きに対しては躊躇なくその看板を放り投げる覚悟はある。


 勇気を出して袋の蓋を少しだけ開ける。ねっとり漂う異臭を耐え抜いて何とか魔石だけを袋から取り出すことに成功。だが如何せん臭い。臭すぎる。ほんと何だこの石。



【魔石】



 あ、浮かんだ。やっぱりルビーじゃなかったか。でも、既に袋から出してしまった。さすがに今日はもうこれ以上袋を開ける気にはなれない。しょうがないから、とりあえずベランダにでも置く事にする。でもこの石、本当にルビーじゃないんだよね?



【魔石】



 やっぱ違うか。う、異臭と文字でまた生温いものが…。


 ベランダに石を置いてトイレに駆け込む。落ち着いたところでバケツにお湯と洗濯洗剤を入れベランダに戻り、石をバケツに放り込む。これでただの石だったらもう笑うしかない。



【魔石】



 うん、わかってるからいちいち頭の中に文字を浮かでないで。


 洗濯洗剤の爽やかな香りと生々しい異臭が混ざり合う。洗剤の香りが異臭を打ち負かしていく。だが打ち負かされる寸前、異臭が最後の悪あがきを敢行。洗剤の香りと混じって、とんでもない悪臭を撒き散らす。ほんと、この石は…



【魔石】



 時をわきまえず頭に浮かぶ文字を恨みながらわたしはトイレに舞い戻った。






 はあ、何とか悪臭はなくなったわね。ほんと、この石は…



【魔石】



 だからわかってるって。いちいち人の頭の中に、勝手に文字を浮かべないでって。まったく。


 目の前の赤い石。執拗に自分が【魔石】だと自己主張してくる。ここへ来て本当はルビーだったなんてことはないだろうか。


 異臭のなくなった赤い石を見る。



【魔石】



 わたしの微かな期待を踏み潰してくる文字。いったい何なんだ、ほんと。


 でも、凄く綺麗だ。大きさは親指の先程。もしこれがルビーだとしたら物凄い金額なんじゃないか。…ねえ、石、本当はルビーなんでしょ? そうなんでしょ?



【魔石】

 ルビーという名の宝石ではない。



 う、今度は「自分はルビーではない」と追加で主張してきた。なんだ? 浮かぶ文字は追加されるのか。だったら、質問を変えてみようか。


 魔石は価値があるんでしょ?



【魔石】

 使用方法により価値は変化する。現状にて無価値。



 なに、どういう意味? 使用方法って? 石の使用方法って? 投げて武器にでもするの?



【魔石】

 投擲への使用。相手に軽度の打撲を与える。



 軽度の打撲……小石扱いか。じゃ、投げるんじゃないのね。じゃあ売却用とか?



【魔石】

 価値を知る者は正しい価値をつける。



 うん、それは当たり前。価値を知ってて正しい価値をつけなかったらそれは悪徳商法という。


 あ、そうだ。じゃあ、『成金王』の店長さんにお願いしようかしら。あの出来るイケメンなら正しい価値をつけてくれるかも。


 未だ異臭を放ち続けているであろうジュエリーボックスをゴミ袋に入れたまま、魔石と自称して止まない赤い石を持ってわたしは駅前の「成金王」に向かった。

 




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