しわす。

アルゴン。

第1話

自宅にあるPC横の卓上カレンダーを1枚めくる。

今年の最後の1ページ。もう12月だ。


毎年この時期になると、繰り返し思い返すエピソードがある。

40歳間近、中年と呼ばれるような歳になっても、これは変わらない。


高校1年生。当時、地元で有数の進学校に運よく滑り込んだ私は、生まれて初めての本格的な挫折を味わっていた。中学生までは正に井の中の蛙といった感じで、自分より優れている同級生など会ったことが無かった。しかし、平均年収が多く子供の教育に熱心な家庭が多くいる私鉄沿線の子供たちが数多く通っている進学先で、一転して私は劣等生になってしまったのだ。

そこで性格の悪い坊ちゃんにでも出会って、見返すために奮起して勉学に励めばよかったのだが、周りの友人は皆おおらかで性格が良かった。金持ち喧嘩せず。よく言ったものだ。


私はぐれた。けれども根が善人の小市民。バイクを盗んで走り出すこともせず、むしろ町内会のゴミ拾いに参加するのは義務であると考えるような模範的な学生であった。


我が家には不文律として毎年続いていたルールがあった。

それは、重要な決定権については普段はろくに発言をせずに存在感の全くない父が持っていて、うるさ型の母でも必ず従っていたこと。また、マヨネーズは目のくりっとした赤ん坊のマスコットのほうではなく、全卵を使ったやつ以外は認めないといことなどである。

そして、その中のひとつに毎年年越しの蕎麦は父親がてんぷらを揚げて、母親がそばを茹でて家族全員で食べるといったものがあった。


私には姉がいる。この人は私とは全く似ておらず、実に社交的でルールに囚われない先進的な考えを持った女性だったのだが、その姉ですら結婚して新しい家庭を築くまでは毎年年越しそばを家族と一緒に食べていた。(まぁ、彼女は年越しそばを食べた後に、家の外で待たせていたボーイフレンドの車で初詣に出かけていたのだが…)


話は戻る。


ぐれていた私は、高校一年生の大晦日、何か無性に親に逆らってみたくなったのだ。

そしていろいろ考えた挙句、思いついたのが年越しそばのボイコットである。


非常にくだらない。

私の人間性の低さが如実に表れた結果だと言えるだろう。


当時の私は、居もしない『年越しを一緒に過ごすくらい親しい友人』をでっちあげ、反抗しているはずなのに、両親に承諾を得てから『架空の友人と一緒に年越しをするために』晩御飯の後に家を出た。


今では詳しく思い出せないが、私は自転車に乗って中学時代の友人たちと会うことがないだろう少し遠くの神社へ行って時間を過ごしたように思う。

自分の中では初めての反抗だったので、何もなしていないのに何か達成感のようなものを感じていたように思える。初日の出を見た後に帰宅した私を待っていたのは、初詣に出かけた後の家族のいない伽藍堂とした家と、ダイニングテーブルの上に置かれたインスタントのそばであった。


どこのコンビニにもとりあえずは置いてある緑色のたぬきのやつである。

そして、横には母の流麗な字で書置きがあった。

『体が冷えていると思うので、これを食べて温まってください』と。


その書置きを読んで、内容を理解した瞬間。私は何故か母の深い愛を感じると共に、自分の存在のちっぽけさを今までの人生の中で一番に深く感じた。勉学で高校の同級生の足元にも及ばなかったとき以上に。スポーツ観戦でプロの絶技を間近に見たときに感じた生き物としての格の違いよりも衝撃をもって。


至極あっさりと、私はぐれるのを止めた。


勉学は進学校を無事卒業出来る程度に頑張り、ご近所では模範的な孝行息子としてみられる程度に家族を助け、結婚する相手には会えていないが無難に生きている。


たぶん、今年の大晦日の日にも一人暮らしのアパートを出て、母親の茹でた年越しそばを食べるために実家へと向かうのだろう。


帰省の途中、インスタントの緑のたぬきを買っていったら母親はなんとコメントするだろう?そんないたずらをしてみようかしら?そんなことを考えながら30歳台最後の年が暮れようとしている。


波風は無いが、私は人生に満足している。

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しわす。 アルゴン。 @argon0602

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