皇紀1965

ワニ肉加工場

第1話:FLASH BACK

1:田上沙希 

                           神戸市 雑居ビル『秋津』1965年7月7日


 蒸せ返る様な暑さ。窓の外から聞こえるドヤ街の喧騒。ブラウン管に映し出されるヴェトナムの惨劇。

 事務所然としたプレハブの一室で、一人の女が合成皮革のソファーに身を埋めている。

 田上沙希───括れた灰色のピンストライプスーツ。銑鉄のように黒く強靭な髪。無造作なショートヘア。どぎつい目付き。ズートスーツの上からでも、はっきりと分かる隆起した筋肉。


  田上はデスクにその逞しい脚を乗せて、レッド・マンを噛む。

テレビの画面が切り替わり、ニュースが始まる。ハンサムなイタリー野郎が、英語で語り始める。字幕はキリル文字と日本語の二つだった。


「戦後20周年を祝う記念式典が開かれました。式典には多くの人々が参列し、ニクソン大統領とベリヤ書記長の両国のトップが壇上に立ち、スピーチを行いました。


 ニクソン大統領は

『太平洋戦争後の日本は両国の平和維持に欠かせない重要な緩衝地帯として機能しており、その重要性は計り知れないものである。』

と述べ、


 ベリヤ書記長は

『日本にて実施している部分的社会主義型市場経済の実験は、非常に良好な結果を示しており、我々の経済停滞を打破しうるものであると認識する。国際管理下に置かれた日本で恒久的平和を実現することは、国際連合の最大の義務である。』

と述べました。


また、ヴェトナム戦争についての言及はありませんでした。

続いてのニュースです。20年式典を狙うと予告した、国際テロ組織『全日本黎明連合』の構成メンバーが逮捕された件について…」


 田上はテレビの音量を落とした。天井を見上げ、回転するセーリングファンを見つめた。それは、記憶の四式戦のプロペラとダブって見える。もしくは、自身の頭上を掠めて飛んだイリューシンのプロペラに。

 次々とよび起こされる満州での記憶。泥。黄砂。捲し立てられる広東語。痩せこけた浮浪者のような大地。統一戦線の仕掛けた竹製の爆弾。血塗れの手斧と己が叩き割った赤軍のアカい頭蓋。

  その全てが、眼前で回るセーリングファンと共に堂々巡りを繰り返す。


 満州で黄と白両方のアカ共と殺し合って、はや20年が経った。親父達が屯田兵の真似事をしたが為に入り込んだ地獄は、肉体と精神の両方に刻まれている。

再び視線をテレビに戻すと、ヘロ・コーラのCMが流れていた。

 笑い合う、カートゥーンと手塚治虫のキャラクター達。あからさまなコラボキャンペーン。日米友好を謳う単純明快な広告。


「アカより米帝をとれ」と、そう言っている。


 そして、アトムと黒いネズミのあいつが肩を並べて合唱し、CMは終わった。


次の番組が始まる。ファンファーレが鳴り響く。顰め面しい太字で書かれた“PRAVDA”の文字が浮かぶ。日ソ共同を謳う威勢の良い文句。あからさまに過ぎるプロパガンダ。アホにしか通じないお粗末な代物。

  正直なところ、広告産業には米帝に一日の長がある。はなから勝負になっていない。


 テレビを消し、時計を見る。19時44分を指している。丁度良い頃合い。

 ソファから立ち上がり、ハンガーに掛けていたホルスターを取る。仕事道具を確認する。TT-33── 7.62x25mmトカレフ弾。頭蓋を叩き割るのにぴったりの重量感。ノモンハンでNKVDのクソから剥ぎ取った戦利品。

ジャケットの下にホルスターを装着し、弾薬パウチを腰に巻く。鉛管で作った棍棒をベルトに挿す。

車の鍵を取り、玄関の戸に手を掛けたところで、電話が鳴った。勘弁してくれ。


 デスクまで歩み寄り、けたたましく鳴り響く受話器を取った。


「田上沙希。用件は?」


「今すぐ、Zipangに行け。」


受話器越しの金切り声。声の主——モウ・スミス。働き口のカジノのオーナーの秘書。


「シフトは八時半からだろ?一杯、引っ掛けてから行こうと思っていたんだが。」


「急げ。ミッキーが怒り狂ってる。」


モウは叫んだ。


「始業時刻に遅れたことはないし、これからもない。」


「いや、あんたじゃない。ウチのカジノが糞共にファックされた。ガイの応援に行け。」


隠しきれない怒りが滲み出ている。


「誰に?」


「アカ共かもしれんし、全黎軍かもしれん。近頃は、白人も黄色い奴も黒ん坊も混ざってて何処の所属なのかはっきりしない。」


「当然だ。あんたらが、そうなるようにしたんだからな。」


「嫌味か?残念ながら、トルーマンの票を買ってやったのは俺らじゃない。黙って、仕事をしろ。ジャップ。」


 私は卑屈に笑ってやった。


「嫌味じゃない、唯の事実確認さ。鷲鼻野郎。」


「もういい、早くしろ。じゃなきゃ、責任を取ってもらうことになる。」


「シフト前の奴にそれはないだろ。」


「ご愁傷様だな。ミッキー直々のご指名だ。」


 モウはそう言い捨てた。受話器を叩きつける音がして、電話は切れた。

 

 果てしない面倒ごとの匂いがした。




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