応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント


  • 編集済

    幸せの部屋への応援コメント

     おひさしぶりです。
     すみません、本当はもっと早く読んで感想を送らせてもらいたかったのですが、年末年始を中心に私生活がゴタゴタしたのに加え、身勝手ながら僕自身も小説を書き進めたいという欲に駆られまして、どなたの小説もあまりちゃんと読めていない状況でした。

     本作の感想の前に申し上げておきたいのですが、『終点・猫の国』へのコメントにご丁寧な返信を下さり、ありがとうございました。
     僕はカクヨム作品のコメントを書き始めると長文になることがよくあるのですが、それに対して、「そんなに深読みされちゃいましたか」みたいな引き気味の返信を頂くこともたまにあります。曰く、何となく書いただけでそこまで深く考えてなかった、とおっしゃるのですが、僕に言わせるとそれはあまり大した問題ではありません。
     長い話にはなりますが、僕はカクヨムを始めてからというもの、Web小説を読むとき、作品全体に反映されている書き手さんの人間観のようなものが気になるようになりました。この場合の人間観とは、「人間ってこういう生き物だよね」、「こういうことがあると嬉しいよね」、「こういうことがあるとつらいよね」といった人間に対する見方のことです。
     こういった人間観は、書き手さんご自身が無自覚の内にも、作品に反映されるもののように思います。人間という存在(あるいは他の生きとし生けるもの)に対して敬意(リスペクト)や慈しみを持っている方々の作品は読んでいてこちらまで救われるような気持ちになりますし、人間について深い洞察があった上で書かれている小説なら、仮に筋書きが単純であっても感情移入したり想像を広げたりしやすく、物語としての深み、読み応えを感じます。
     もちろん、人間観は人それぞれ、それぞれの方々が自然に培っていくということで全く構わないのですが、僕のような偏狭な人間としては、作品を読みながら「この書き手さんは毎日を丁寧に生きてるんだろうなぁ」とか、逆に「この人、きっとリアルでも他人のこと見下しながら生きてるんだろうなぁ」とか思って、好感を持ったり嫌悪感を抱いたりするわけですね。
     で、話を戻しますと、僕が今までに読ませていただいた印象では、高梨さんの作品って、軽く読んで「あー、はいはい」では片付けたくない感じがするんですよね。僕自身のことを棚上げして率直に申し上げると、たしかに文体や筋書き自体に万人が認めるような派手さや破天荒さは少ないような気がするのですが、作品全体を貫く精神性のようなものにえもいわれぬ魅力があるというか、たぶん高梨さんの人間観が透けて見えていてそれが良い(少なくとも僕には刺さる)んだと思います。
     特に『三ヶ嶋のイヤホン』は本当に感服しました。もし大衆文学などの一般受けする作品を書かれるような作家さんであればおそらくもっと文字数や描写を費やして派手にするんじゃないかといった物足りなさが(失礼ながら)一見するとあります。ですが、三ヶ嶋さんの立場を考えながら読み返したときに何の齟齬も見当たらず、むしろ最初読んだときは軽い描写、不自然な挙動だと思った箇所も、文章から読み取れる範囲で解釈を掘り下げていけば腑に落ちるということが次々に起こってくるんですよね。僕は別に読書家ではないので偉そうに言っても仕方ないですが、意識してやったなら相当丁寧な作り込みですし、意識せずにやったなら奇跡的なセンスです。どちらにせよ、そういう読み応えのある作品、興味を引かれずにはいられない作品を書けるのは、高梨さんの人間観があってこそだと思います。
     『終点・猫の国』にしてもそうです。既に応援コメントに書いたので繰り返しは避けますが、単に「主人公は疲れた社会人だ」、「主人公は電車で会社に通っている」という設定だけでは、(失礼かもしれませんが)薄っぺらい話にしかならないんです。ですが、高梨さんが意識されたにせよ意識されていないにせよ、この作品には、会社で働く人間、電車で通勤する人間がどんな苦労、疲労感、憂鬱感を抱えているかという点にきちんとした洞察があり、簡素に見える文体の中にも主人公の人間を深読みできる可能性が残されています(一部の異世界転生ものと違って、ブラック企業勤めの社畜だと自称しながら精神的に余裕のある様子を見せるなどのヘマをしていません)。だからこそ、この後の展開を見ても主人公に感情移入できるわけで、このことが読後感の強さを支えているのです。

     本作『幸せの部屋』もまた、高梨さんの人間観というか、世界観、あるいはもっと単純に言えばセンスが光る良作です。
     キャッチコピーは「もし天国と呼べるところがあるのなら、こうであってほしい――。」なんですが、もうこの時点で、最後のダッシュ(――)で余韻を残すセンスがすごいわけですよ。普通そこでダッシュを付けるかね、という。でも、そうなんですよ、タグに「切ない」という言葉が入っているように、本作は切ない話ですから、そこに余韻があるのが大正解なんです。少なくとも僕の感覚では、大正解だと思います。
     冒頭、「床も壁も天井も、何もかもが真っ白な部屋に私はいる。家具や家電などは一切置いていない、何もない部屋」と書いてあり、この時点で主人公は部屋にひとりきりです。おそらく、凡庸な人というか普通の感覚であれば、天国という場所には他にも人がいるとか、天使様が迎えに来るという想像をするところですが、本作の主人公はひとりきりです。そして、自称社畜がトラックに轢かれたときと違って、世界観の解説をする女神など作品中には登場せず、主人公は自分ひとりしかいない場で床に手を置きます。そうなんですよ、ここに天使様や女神様がついてきて「さあ、床に触ってあなたの苦悩を癒しなさい」なんて言うようじゃダメなんです。なぜなら、この部屋に来る前に主人公が経験した苦悩はあくまで主人公自身のものだからです。主人公がひとりで、他の誰のことも気にしない場所で過去と向き合うということに意味があるのです(これを書いた高梨さん本人に作品の描写のことを熱く語るのは釈迦に説法という感じですが、僕はそういう作品だと受け取りました)。
     本文からの引用ですが、
    「少しずつ、心が軽くなっていくのが分かる。少しずつ、痛みが薄れていくのが分かる」
    「指先から床へ私の記憶が流れ出すたびに、私は自分を思い出す。私に何があったのかを理解する。しかしその記憶は、一瞬だけ鮮やかな色合いと香ばしい匂いを放つと、次の瞬間にはまるで他人事のような、たいして興味のない映画を見ているような、そういう感覚へと置き換わっていった」
     この描写も優れたセンスが発揮されています。「天国に来たらその瞬間に何もかも忘れて、何もかもどうでも良くなった」では、「猫の国」ではあっても「天国」にはなりません。苦痛を伴う記憶は、単に消せばそれで解決するのではなくて、それを客観視して、自分の中で受け流せるようになり、しかもそれを確認するプロセスがあって初めて、自分が自分でありながら過去を克服することができるのです。
     こういった状況があった上で、本文、
    「いつの間にか私は涙を流していた。苦しみや痛み、ましてや恐怖心を思い出したからではない。/最後まで『逃げる』ことを選択してしまった、私の情けなさに出た涙だ。でも、それはどうしようもなかったことだ。私には逃げるだけの力しか残っていなかった。それしか私には選択肢がなかったのだ」
     天国に入ったから全部楽になるわけじゃなく、主人公は自分の生き方を振り返った上で涙を流します。自殺を選ぶしかないほど疲弊していた主人公が涙を流せるところまで回復できたことこそがこの「部屋」の救いであり、この描写をきちんと入れたのが高梨さんのセンスの良さです。

     ただ、本作を批判するわけではありませんが、本作で描かれる苦悩からの解放が「(つらい記憶を)忘れる」ということに深く依拠しているのは確かで、それはすごく悲観的な人生観であり、高梨さん自身の言葉を借りれば「切ない」ことだと、僕なんかは思うんですね。本作の骨格としては「自殺するくらい悲劇的な人生を送った人にも救済が与えられた」と読める一方、読みようによっては、「救済は現世にはない。死こそが救済」だとか、「つらいことがあっても時間が忘れさせてくれるのを待つしかない」という話にも読めます。最終的に主人公が幼児退行してしまうのがこの絶望感を強めていて、筆者のような小心者としては「もっと他に救済はないんだろうか……」と思ってしまうところです。
     もちろん、本作の主人公が自ら命を絶った人物で、一般的に言って苦悩がその人自身にしか分からないものである以上、本作で安易な解決方法が提示されないのは納得のいく話です。しかし、『終点・猫の国』と同様に気になるのは、この主人公はおそらく生前孤独だったのではないかという点です。実際のところ現在の日本にはどことなく孤独感を抱えながら生きている人が多いような印象がありますが、この孤独感が癒えれば(仮にそれが可能になったなら)、それもまた主人公(のような人々)にとっては救いになるのではないかと思ったりします。当然ながら、人間が持つ孤独感を癒すことは、つらい記憶を忘れること以上に難しいわけですが。

     長文失礼しました。
     改めて申し上げますが、本作『幸せの部屋』も、読み応えのある素敵な作品でした。
     もしこのコメントがあまりも的外れだとか、意味不明だとか、ネタバレがひどいとか、長文すぎて他の読者の皆さんの迷惑になりそうだということであれば、遠慮なく削除してやってください。