永遠の祝福をあなたにも

音茶

終わらぬ祈り

 迷いの森の中、ポツリと教会は佇んでいた。その教会には、神に選ばれし人間が、いずれたどり着くという。ここに一人暮らすシスターが、今日も目を覚ます。


 「……っ」

喉元に手をやり、顔を歪める。教会の空気は、毒に侵されていた。黄色く変色したシーツから、ギシリと体を起こすと、埃が辺りに舞う。軽くむせつつ、枕元の古びた水瓶を抱え、足早に教会の出口へと向かう。水瓶は、少女が抱えるには大きすぎるようにも思われたが、シスターは軽々と持ち上げていた。

 教会を出ると、辺り一面毒の沼地であった。手近な毒溜まりに近づき、覗き込む。淀んだ暗い紫をした毒は、時に泡を生みつつ、鈍くぬらぬらとシスターの姿を写し出す。修道服を纏った少女。ボサボサとうねる長い黒髪が、細いながらも筋肉質な肢体を包んでいた。碧の瞳に光はなく、薄い唇はひび割れていた。

「随分と醜くなったものね」

呟きつつ、水瓶に毒を汲む。その時、毒の泡がパチリ弾けた。右手の甲に飛沫が飛ぶ、皮膚が、溶けた。シスターは、ジュワジュワと音を立てる手を、ちらと見やるに留め、教会へ戻った。

 教会は石で造られていた。靴音を響かせ、まっすぐ進んでいく。進む先に十字架は無い。この教会には、シスターの寝床、そして大釜だけがあった。教会正面奥で、存在感を放つ大釜。シスターが、すっぽりと収まってしまいそうなほどに、大きい。ここにトクトクと毒を注ぎ、空になった水瓶を脇に置く。大釜の前に跪坐き、そっと手を組んだ。その右手に、傷跡は無い。


 「……天にまします 我らが神よ いま ひとたび 命の息吹を……」

シスターの黒髪がなびく。教会中の毒の瘴気が、釜に吸い込まれていくのだ。じっと目を閉じているシスター。釜の水面が揺れた。泡が生まれ、大きくなり、その量が増え、ゴポゴポと音を立て始めた――――



 「やっほーい!復活だぜぃ!」


 釜からスライムが飛び出した。青くプルプルとした体は、透き通り、モンスターとは思えぬ美しさである。シスターが祈りの手をほどき、深呼吸する。

「ふぅ。やっと、まともに息ができるわ。毎日瘴気の浄化が必要なんて、ホント面倒よね」

モンスターは、瘴気を糧に、復活を遂げる。シスターの祈りとともに。

「その代わり、死なない体を得たんだ、良かったじゃねーか。な?」

と、プルリ。シスターはため息をひとつ。水瓶を手に、寝床の方へ歩きつつ、返す。

「死ねない、のよ。沼地からも出られないし。全く、知ってるくせに」

ぼすっとベッドに腰掛け、枕元に水瓶を戻す。隣にピョンとスライムが飛び乗った。口の役割を果たすであろう穴を横に広げ、機嫌良さそうにしている。

「それより、なぁシスター。今日は復活の儀式、遅かったんじゃねぇの。寝坊?」

「そんなとこ。おかげで瘴気が濃くって、えぇ、もう寝坊はしないわ」

喉をさする。朝吸い込んだ毒が、まだそこに居座っている。じきに消えるだろうが、シスターにも痛覚はある。軽く咳払いをした。

「おいらもその方が助かるよ。早く勇者を倒しに行きたいからなっ」

スライムがミヨンミヨンと伸び縮み。武者震い、だろうか。

「その割に、まだあたしと話してたい風ね。聞くわよ」

「さっすがシスター。今度の勇者が面白くってさ、素材集めにご執心なんだ。モンスター殺しまくっててさ。おいらも、折角作ったプルプルゼリー全部盗られちまった」

「なるほどね。どうりで……」

シスターの目線の先、大釜から次々とモンスターが飛び出している。スライム、ゴブリン、グール、ゴーレム、ドラゴン。種族は様々、皆、勇者に殺された者達だ。びちゃびちゃと足音を立てながら、競うように教会を後にしてゆく。彼らの通った跡を見ると、青のゼリー状のものがきらめいている。

「あれ、お仲間?」

「のろまなんだよな、あいつ。ほへーってしてたら潰されたんだろ」

のんびりとした口調。とろりとろける体をそのままに、リラックスしている。

「さーて、おいらもそろそろ、いこうかなぁ」

ベッドからちゅるりと滑り落ちた。着地の衝撃が、その体の一部をぴちゃりと飛び散らせる。服に飛んできたゼリーをつまみ取り、スライムに投げ返しつつ、シスターが返す。

「そ。また明日ね」

「ひどいなぁ。今日もおいらが死ぬたぁ限らないぜ!」

スライムは、仲間の残骸の上をぴちゃぴちゃ跳ねながら、教会を出て行った。


 静けさが戻る。大釜は、一通りモンスターを出し尽くしたようで、水面には波ひとつない。教会には、シスターとスライムの成れの果てのみが残された。モンスターは、その命が尽きる時、死体を残さず、ただ蒸発する。素材を残していく場合もあるが、稀だ。高く売れたり、レア装備の材料になったりするが、

「今のあたしにとっては、ただのゴミね」

ギシリ、ベッドから立ち上がる。ぐいと伸びをし、水瓶を手に、釜の方へ歩き出す。

「沼に捨てるか……」

ゼリーを手で掬う。水瓶へ。床にこびりつくゼリーも、指でこそげる。水瓶へ。


「慣れた手つきだな」

くぐもった男性の声が響いた。シスターが手を止める。声のする方、釜の方へ視線を移す。釜の中に、黒光りする鎧を纏った騎士がいた。ガシャリ。重厚な兜に守られた己の首を抱え、釜を出て、近づいてくる。

「あら、久しぶりね、デュラハン。お馬さんは一緒じゃないの?」

相対する。

「あいつは逃げ延びたんだろう。私は先に死んでしまったものでな。……あぁ、丁度迎えに来てくれたところのようだ」

教会の外から、馬の鳴き声が聞こえた。主人に返事でもしたのだろうか。

「まさかあんたが殺られるとはね。魔王戦前の中ボスでしょ、どうしたのよ」

腕を組むシスター。表情に呆れが浮かぶ。

「随分と凝った装備をしていてな。お前と負けず劣らずってところだ。正直歯が立たなかった」

低く笑う、兜が愉快そうに揺れ、音を立てる。

「負けたってのに、楽しそうね」

シスターの瞳が、静かに揺れる。

「モンスターと勇者は戦う宿命だ。そして、モンスターは戦いを楽しんでいる。勇者を恨んだりはしない」

シスターに歩み寄る。ガシャリ。己の首を差し出した。受け取れ、と。数瞬の後、シスターが受け取り、兜の奥に光る瞳を見つめる。

「お前はどうだ?恨むか?」

腕の中、彼の首の重さを感じる。ずしりと、重かった。

「……いいえ。何回モンスターに殺されたか、分からないけど。あたしが向かっていったから、応戦されたってだけ。恨む道理は無いって知ったわ。あたしが恨むべくは、死なずの呪いをかけやがった、神って奴よ」

一呼吸。

「でも。神も、恨み続けるには、長すぎた」

「そうか」


 沈黙。重たい空気が流れ、沈む。


 だが、この沈黙はすぐに破られた。ガシャリ、と兜が笑う。

「本当に、長かったな、シスター。償いはもう終わりらしいぞ」

シスターが首を傾げる。

「もうすぐ死ねるんだ。ほら、聞こえるか?」

言われ、耳を澄ます。重たく、液体が跳ねる音。教会の外、どさりと何かが倒れる音。悲痛な馬の声。

「特別良い鞍を付けてやっていたんだ。良い防具の素材になる」

シスターが碧の目を見開いた。ゆっくりと頷き、教会の入り口へ体を向け、口角を上げる。



「歓迎するわ。新しい神父様。あなたに神の呪いがあらんことを」

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