たぬきと過ごす大晦日
弱腰ペンギン
たぬきと過ごす大晦日
「あー、寒い」
狭い監視所の中にある、少し大きめのストーブの上からヤカンを掴む。
今年も、年越しは緑のたぬきだ。
警備員の仕事を始めて、早5年。
独り身の俺はいつも大みそかにシフトを入れている。
決して街を行くカップルにイラついたわけではない。
大晦日にアツアツな時間を過ごす奴らを思い出すのも嫌だから、というわけじゃない。
違うからな。
「お疲れ様でーす」
「おーう。今帰り?」
「そっすー」
「……お前、これから彼女――」
「お疲れ様でーす」
交代でシフトを上がった同僚が、食い気味で答えて帰っていきやがった。
ッフ。しょせん奴は二年目の新人よ。まだまだ警備員としては未熟……。
後で絶対ネタにしてやる。
「おっと」
スマホのアラームが鳴った。そばが出来たようだ。
規定では3分となっているが、俺は約1分半で開けている。
麺の硬さが好みだ、というわけじゃない。
かき回すとわかるんだが、麺が非常に硬くて食べづらい。こう、ばらけてくれない。
これから柔らかくなるよ! というタイミングで開けるので、箸が刺さる。
以前、この状態でジャバジャバしてしまい、大惨事を引き起こしたことがある。後ですごい怒られた。
てんぷらが固いのは利点なんだけどな。
いや、サクサクの状態で食べたいわけじゃない。別にそれは要らない。どけやすいのだ。
おい、誰だ。最初から避けておけばいいだろうとか言ったやつ。それは邪道だろう。
「さてさて」
はがしたフタを裏返しにし、そこにてんぷらを乗せる。なかなかバラけない麺をほぐしたら、付属の七味を入れる。
この作業を考えると、どうしても3分待ってからでは駄目だ。
伸びてコシが無くなる……カップ麺にコシを求めるなという同僚の声は無視するとして。
単に「伸びる前に食べ始められるように」短い時間で開けるだけだ。
なら2分にすればいいじゃないかともいわれた。そうすると、てんぷらが折れるのだ。
俺は麺に直接かけたい。てんぷらに乗せたくはない。
そのためには、通常だとてんぷらの横から七味をサーっと入れることになる。しかし一塊になった七味を飲んだ時にやめようと決めた。
それを同僚に言ったら「混ぜればいいじゃないっすかー」だそうだ。
うるさい。混ぜたんだよ。潜っちゃったんだよ、そのまま!
飲んだ時、塊になった七味をのどに直撃させたことない奴のセリフだ、それは!
ということでこのスタイルに落ち着いた。
おい、誰だ。最初から避けておけばいいだろうとか言った奴。
「いただきます」
警備室の小さな机には、水と緑のたぬき。後は薬味の袋。
外を見れば雪が降り始めている。道理で寒いはずだ。
ここにテレビは持ち込めないから、スマホを眺めるくらいしかできない。
だが、ゲームをしたり動画を見ること等は禁止されている。当然だ。警備にならないから。
多少は許されるが、あんまりひどいと注意される。最悪クビになる。
「監視員を監視するカメラってどうよ……」
天井のカメラが、こちらにレンズを向けている。
大みそかのおっさんを撮り続けるカメラってのも大変だよなぁ。
部屋の時計を見ればそろそろ新年を迎えるころだ。
元嫁も無事に浮気相手とハッピーなニューのイヤーを迎えることだろう。
これだからてんぷらを最初から避けておく奴は。
「今年はろくなことが無かったなぁ」
2年前に別れた元嫁から『彼氏が出来ました』とメールが届いたのが8か月前。
結婚しましたが4か月前。
子供が出来ましたがつい2日まえだ。
「別れたっつのに、嫌がらせかよ」
いや、たぶん何も考えてない。そういう奴だった。
塩を入れた容器に『佐藤』とラベルを張ったり、CO2と書いた容器に塩を入れたり。
じゃあ砂糖は何処だと尋ねたら、封を切ってすらいなかった。
おかげで我が家の調味料入れは『佐藤(塩)』『CO2(塩)』『ソルト(塩)』『ケズルト(塩)』『シュガー&ソルト(塩)』となった。全部塩だった。
嫁は、
『これぞまさしく塩対応!』
とドヤ顔だった。ケズルトってなんだ。
「あぁ、余計なこと思い出しちまった」
年を越す前に食べ始めよう。
箸で麺をすくいあげる。立ち上る湯気と、出汁の香りがたまらない。
ほのかに香る七味が食欲をそそる。
麺を口に運ぼうとして大事なことに気が付いた。てんぷら乗せてなかった。
……まぁいいや。後にしよう。
麺は「早めに開けた弊害その1」である「微妙に柔らかさが統一されてない」という状態ではあるが、少し硬さの残った麺が好みなので問題ない。
出汁と一緒に麺をすする。
「はぁー」
これだ。これなのだ。
手打ちのそば。おいしいだろう。おいしいカップ麺、あるでしょう。
でも俺にはこれなんだ。
実家では保存食代わりになっていた。賞味期限前になると「食べてしまえ」と言われておやつの替わりになっていたな。
いわゆる思い出の味というやつだろう。
他にも食べたことはある。しかし、大晦日に食べるのはこれと、体がそう覚えてしまっている。
……思い出と大晦日が結びつかないが。
これ違うな。ただの「カップそばならコレ」って奴だな。
まぁいいか。うまいから。
そっと、乗せ忘れたかき揚げを入れ、少しずつ湿らせる。出汁を吸ったところで食べるのだ。
緑のたぬきを食べ終えるころには日付も変わっていた。世間は今頃「ハッピーニューイヤー」なんだろう。こっちはこれからが本番だ。
「ご馳走様でした」
俺は空になった容器たちを片付けると、仕事に取り掛かる。
時刻は深夜0時10分をまわったところ。
予定の時間は5分後。少しのんびりしすぎたかもしれない。そう思った時だった。
『……ら……応答……ください』
無線に声が入った。
「こちら狸橋検問所。所族が聞き取れませんでした。もう一度お願いします」
『こちらレッドフォックステイルズのバスです』
監視所の外、少し遠くにある門の向こうから、車の明かりが見えた。
大型バスの光だ。
近くなったことで無線の電波が良くなったのだろう。声がはっきりと聞こえるようになった。
「チーム名ではなく、所族をお願いします」
『あ、すみません。北キツネ県の赤狐族です』
「ありがとうございます。予定通りですね。今、門を開けます」
スイッチを操作すると、ガコンという重い音が響く。
ゆっくりと門が開く。バスの光が近づいてくる。
「そのままゆっくりと直進してください。監視所でパスを渡しますので、スタジアムの入り口で見せてください」
『了解』
監視所の詰め所は、大きな門の少し上の位置にある。
大型バスとはいえ、門を上から見下ろす位置にある監視所まで届くところにドアは無い。っていうかそんな車は無い。そのための監視所だ。
なので受け渡し口というのがある。
俺は階段を下り、受け渡し口の窓を開けた。
大型バスの窓から、気弱そうな狐族の青年が顔をのぞかせていた。
「すんません。初めてなもんで」
「気にすんな。お前さんとこのチームは初参加だね?」
「はい」
「怪我だけはすんなよ。今年一年棒に振っちまうぞ?」
「ラグビーチームにそれ言います?」
「はは。それもそうだな。気を付けて」
「ありがとうございます」
俺はパスを渡すと車両を見送った。
バスは橋の終着点に向かっていく。乗っているのは、湖の真ん中にある超ビッグスタジアム『オリエントスタジアム』で、これからラグビーの試合をする選手たちだ。
一年を通して開催されるラグビーリーグが、毎年元旦にスタートする。
各地から狸族と狐族のチームが、湖の両端にある『狸橋』と『フォックスブリッジ』の検問所を通過し、スタジアムに集結する。
まぁ検問と言っても、事前に申請された所族とチーム名を照らし合わせてパスを渡すだけだが。
「おー寒い」
受け渡し口の窓を閉めると上に戻る。暖かいストーブの元へ。
バインダーに挟まれた紙。そこに書かれている所族とチーム名を眺め、大きく息を吐く。
「今年は、狐族を応援するか」
元嫁の今旦那が狸族の選手だった。
不謹慎だが、
「頑張れレッドフォックステイルズ。あいつをしばいて一年を棒に振らせちまえ!」
そう願わずにはいられなかった。
たぬきと過ごす大晦日 弱腰ペンギン @kuwentorow
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