Felice
梨子ぴん
Felice
俺のペンネームは杉友キアラ。本名は杉元秋良(すぎもと あきら)だから、ペンネームはただのアナグラムだ。一年だけ勤めた会社を辞めて貯金を切り崩しながら、今さらだけど漫画家を目指している。
人からすれば「馬鹿だろ」って思われるかもしれないけど、以前働いていた会社での日々にくらべれば、毎日が充実していて楽しい。
下書き、ネーム、ペン入れ、ベタ塗り、トーン、仕上げといった漫画の制作作業をし、バイトの交通整理で旗をひたすら振っている日々だけど。
でも今日は、俺がある出版社の漫画部門で大賞を受賞した。そしたら、担当編集である夏野さんが流行りのイタリア料理店に連れて行ってくれることになった。楽しみだ。
「キアラさん、本当におめでとうございます! 今回はいける! って思ったんですよね~」
ふふん、と誇らしげに胸を張る夏野さん。俺も結構嬉しい。夏野さんは俺が高校生の頃に知り合ったから、かれこれ六、七年の付き合いになる。
「まあ、俺ってば天才ですし? 当然というか」
「キアラさん、頑張ってましたもんね」
俺の不遜な物言いも、夏野さんはあっさり流す。夏野さんは心が広い。というか、俺の扱いに慣れた。
「今日は私の奢りですよ! 高すぎるのはダメですけど、好きなもの食べていいですからね」
「それは好きなものを食べれないのでは……」
というか、そんな良い店なら、俺のTシャツにジーパンという恰好はまずいんじゃないか。帽子は好きだから、結構値の張る良いやつ被ってるけど。
「あっ、店着きましたよ~」
夏野さんが指さした先は、白壁に赤い屋根のお洒落な店だった。立て看板には、メニューが書かれている。値段を見ると、千円から五千円程度といったところだ。
「店名何読むんですかね」
「Felice……、“フェリーチェ”ですよ。イタリア語で“幸せ”って意味です。この店、リーズナブルなんですけどめちゃくちゃ美味しいって評判なんですよ! あと、シェフが超イケメンらしいです」
「俺のお祝いじゃなくて、イケメンが目的ですよね」
「奢るんだからいいじゃないですか~」
本当か? この人結構適当なところあるからな。心配になってきた。
俺が財布の中身を確認しようとすると、店員に席へと案内された。
店内に入ってすぐ、レンガ造りのピザ窯があった。キッチンが客席から見えるタイプの店らしい。
思っていたよりもカジュアルで、木がメインの造りになっている。温かみのある雰囲気だ。漫画作りの資料としていいかも。
俺がきょろきょろと目線を動かしていると、目の前にメニュー表があった。いつの間にか店員もいなくなっていた。
「ほら、メニューだけ先に決めちゃいましょう。観察はその後ゆっくりすればいいです」
「あ、すみません」
俺はキャラメルマキアートのバゲット、生ハムときのこのチーズクリームパスタ、ティラミスを注文することにした。
「じゃあ私は、オマール海老のバゲット、マルゲリータ、パンナコッタにしよ」
夏野さんは店員に声をかけ、俺の分も一緒に注文してくれた。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
鼻腔をくすぐる良い匂いだ。お腹がぎゅるぎゅると鳴る。
テーブルの上には、注文した品々が並ぶ。俺はその中の一品であるバゲットを掴み、一口大に手でちぎって口に放り込んだ。
「うまっ!」
「おいしいですね~」
俺が頼んだバゲットはキャラメルマキアート味で、口の中で甘さがじゅわりと広がる。バゲットはサクサクとしていて、中はふわふわだ。
次に、俺はすぐにパスタを口に運んだ。これもめちゃくちゃうまい。生ハム特有の塩っ気と、チーズクリームソースがパスタによく絡んでいる。
俺たちははしゃぎながら、食事を進めた。
「見てください、キアラさん。このピッツァ、チーズがとろとろです。最高」
「俺のパスタも濃厚でうまいっすよ」
ふと、視線を感じたのでキッチンの方を向くと超イケメンと目が合った。軽く会釈をされる。
横で黄色い歓声が聞こえた。
「キアラさん! あの人ですよ、噂のイケメンシェフ!」
「へ~」
確かに鼻筋が通っていて、目は切れ長の二重。スタイルも抜群に良い。身長何センチあるんだよ。というか、足長くね? モデルかよ。
すると、その件のシェフが俺達の方へと近寄って来た。
「こんばんは」
「あ、はい」
「こんばんは!」
夏野さんはいつもより声が高い。面食いの夏野さんのことだから、一目惚れでもしたのだろうか。
「どうでした? 僕の料理、楽しんでいただけましたか?」
「めちゃくちゃうまかったです」
「最高でした」
最後にまだデザートが残ってるけど、間違いなく美味しいだろう。それくらい、この料理はうまかった。
「ふふ、そう言っていただけて光栄です。お二人は恋人なんですか」
「違います」
「違いますよっ」
「あはは! そんな強く否定しなくてもいいじゃないですか」
「キアラさんとだけは御免です」
「なっ」
さすがに俺も、そこまで強く拒否されると傷つくというか。いや、わかるけどね。俺まだ女の子とちゃんとお付き合いしたことないし……でもそんな言う?
「キアラって変わった名前ですね」
「あ~~……、芸名、みたいな?」
俺はちょっと恥ずかしいので誤魔化しながら笑っていると、真面目な顔をした夏野さんが言った。
「ペンネームですよ。杉友キアラです。これからきっと、彼は良い漫画家になると思いますよ」
「ちょっ、夏野さん」
「杉友キアラ……? もしかして、『航海』って作品を書かれていましたか」
「よく知ってますね!?」
「はい、漫画好きなので。僕、あなたのファンです! 嬉しいなあ~! 僕……ああ、いや俺の名前は榊春人(さかき はると)って言います」
そう言って、榊さんは手を伸ばしてきた。とりあえず俺は、差し出された手を握った。榊さんはすっごいニコニコしながら俺の手を力強く握りしめてくる。って、痛い! 痛いってば!
「榊さん、手が痛いです」
「あっ、すみません。ちょっと感動しちゃって」
「ははは……」
俺のファンって人に初めて会ったから驚いたけど、実はめちゃくちゃ嬉しい。頬、緩んでないかな。
「キアラさん良かったですね、ファンですよ。しかもイケメン」
「イケメンはどうでもいいです」
どちらかというと、女の子の視線を全部掻っ攫っていくイケメンは敵だ。でも、俺のファンってことなら関係ない。
「キアラさん、良かったら俺と連絡先交換してくれませんか?」
「えっ」
「ダメでしょうか」
榊さんはまるでしょぼくれた大型犬みたいだった。俺、こういうの断りづらいんだよ! これがイケメンの特権ってやつならずるくないか。
「……いいですよ」
「やった!」
榊さんはポケットからスマホを取り出して、俺もスマホを手に取る。
「ほんとに嬉しいです。まさか、憧れの人とお話しできるなんて」
「いや~~、そこまで言われると照れるというか」
「はい。だから今後ともよろしくお願いしますね」
相変わらず爽やかな榊さんの笑顔に、俺は何故かぞわっとしてしまった。何でだろうな。
それから数カ月が経った頃、何故か榊さんこと春人は俺の家にいる。
「秋良さん、ご飯できましたよ」
「お~」
「美味しいですか」
「うまい」
今日の昼飯はハンバーグだ。噛めば噛むほど、肉汁が口の中に溢れる。デミグラスソースも味わい深く、ハンバーグとの相性がバッチリだ。箸がよく進む。
「っていうかお前、何で俺ん家で飯作ってんの」
「今更すぎません? 俺、誰かのために飯作るの好きなんですよ」
会ったばかりの頃のことだった。俺が〆切に追われて死にかけて、飯をろくに食ってなかった時に、春人から連絡が来て、飯を作ってもらったのだった。
ちなみに、名前の呼び方や敬語の有無もその時決めた。俺はペンネーム以外だったらどんな呼び方でも良かったけど、春人は下の名前で呼んで欲しいと言ってきたので、お互いに「春人」「秋良さん」と呼ぶことになった。
敬語については、俺が二十四歳、春人が二十二歳ということを知ったので、春人はそのまま俺に敬語を使ってくる。俺は面倒だから敬語を外した。
そして、それをきっかけに、今じゃほぼ毎日飯を作ってもらっている状態だ。お前は俺の嫁か?
しかも飯だけじゃなくて、家事全般もしてくれている。優秀すぎてちょっと怖いくらいだ。
「俺、このままだともっと駄目人間になる気がする」
「あはは、いいですねそれ」
「よくないだろ!」
笑いながら食卓を囲むのは楽しいのだと、春人に教えてもらった。他愛もないことを話しながら、人と時間を共有するのって、悪くないな。
俺にも友人はいるけど、最近は全然会えてないし、やっぱり寂しい気持ちがどこかにあった。それを埋めてくれたのは、春人なのかもしれない。
「ご馳走様でした」
「じゃあ皿洗っとくので、水に浸けておいてください」
「いいよ。たまには俺にもちゃんと家事をさせてくれ」
春人からの皿を受け取って、水に浸ける。俺は蛇口を捻って水を出し、皿をさっと軽くすすいだ。
「なあ、春人。何で、俺と仲良くしようと思ったんだ?」
「それは、貴方が俺の恩人だからですよ」
「恩人? 俺が?」
「俺、秋良さんが描いた漫画、『航海』を読んだことあるって言ったでしょ」
「ああ」
「ちょうどその時、俺は進路に悩んでて。俺はその漫画に助けられたんですよ」
「へえ~~……」
やばい、嬉しいけどめちゃくちゃ恥ずかしい。顔が熱くなっていくのを感じる。だって、こんな率直に俺の漫画褒めてくれるのって、嬉しいけどむず痒い。
「『航海』の中で、主人公が言う台詞が好きなんです。“人生は長いのだから、好きなことをやった方が良いのは当然だ。でも、それだけじゃ進まない。それが人生だ”って」
「わ~~!!!! もういい、わかった!」
「そんな照れなくても」
「実際に口に出されるときついんだよ!」
「……あと実は俺達って、フェリーチェで会う前にファミレスで会ってるんですよ」
「まじ?」
「はい。ファミレスで漫画を描いている秋良さんを見ました。身近な人がこんなすごい漫画を描いているだなんて、俺すごく尊敬しちゃって」
春人は笑った。俺も、つられて笑ってしまう。俺の漫画が、ここまで人に影響を与えているだなんて、思いもしなかった。俺、これからももっと漫画を頑張ろう。そしてまた、春人みたいに俺の漫画で元気になってくれる人ができたらいいな。
春人との夜は、緩やかに優しく過ぎていった。
春人が来なくなった。今まではほぼ毎日来てたのに、ぱったりと音沙汰がなくなってしまった。
LINEをしても、既読にならない。いつもだったら、すぐに既読になって返信してくれるのに。
俺は不安になった。せっかくできたと思っていた友人だったけど、平凡な俺に飽きてしまったのかもしれない。
女の子に地味でつまらない男って言われたことあるし。
「俺、何かしたっけな」
必死に今までを振り返っても、思い当たる節がない。
あれ。でも、最近の春人ってちょっと咳き込んでいなかったか? 季節の変わり目だし、もしかして、風邪を引いて苦しい思いをしているんじゃないだろうか。
思い切って、俺は春人に電話した。
3コール後、春人の掠れた声が聞こえた。
「……秋良さん?」
「春人! お前、どうしたんだよ」
「あ~、ちょっと体調崩しちゃって。すみません、ご飯作ってあげれなくて」
「別にそれはいいんだよ。お前、今家にいるのか」
「? ええ、はい」
「家、教えろよ。今から行くから」
「えっ。あ、いや、悪いですよ」
「いいから」
「……はい」
そういえば俺、春人に来てもらってばっかりで、春人の家に全然行ったことないや。友達なのにな。
春人は住所を言って、俺はそこに急いで向かった。
春人の家は俺が思っていたよりも近く、歩いて十五分のところにあった。めちゃくちゃ近所じゃん。
でも、俺が住んでるアパートと違って、春人の家は高層マンションだった。家賃、俺のとこの倍以上はしてそう。
俺は急いで、春人に教えてもらった番号を入力してからエントランスに入り、エレベーターで春人の部屋の階を押す。確か、32階の307号室だったはずだ。
エレベーターが開き、春人の部屋を探す。あった!
俺がインターホンを押すと、「どうぞ」という声が返ってきた。
玄関のドアノブに手をかけると、普通に開いた。どうやら、開けて待っていてくれていたらしい。
「秋良さん、本当に来てくれたんですね」
ベッドで布団にくるまった春人がいた。顔が赤く、息も上がっている。額には、冷えピタが貼られていた。
「来るときに色々買ってきたから。ゼリーでいいか? スプーンとか箸はあの引き出しの中か?」
「はい」
「わかった」
俺はいかにも高級そうな棚の引き出しからスプーンを取り出し、ゼリーの蓋を捲った。
スプーンでゼリーを救い、なんとか起き上がった春人の口元に持って行った。
春人は呆けた顔をしていた。
「えっと」
「ほら、あーんだ。ちょっとでも何か食べないと」
「……秋良さんって、下に兄弟います?」
「ああ、弟が二人。妹が一人だ」
「あ~~、なるほど。そういうことですか。びっくりした」
春人は大人しく、俺の差し出したゼリーを食べる。それを何回か繰り返していると、ゼリーもなくなった。
「春人、結構汗かいてるな」
「まあ熱出てますしね」
「ちょっと台所借りるな」
俺は持ってきたタオルを洗って絞る。春人が寂しそうな顔をしていたので、タオルを持って、すぐに春人の下へと駆け寄った。
「じゃあ、脱いでくれ」
「いいんですか?」
「いいよ、気にするな。俺が脱がそうか」
「大丈夫です」
春人は何故か嬉しそうだった。やっぱり、体調を崩している時に一人は辛いよな。
春人は脱ぎ終わると、顔を近づけてきた。柔らかい感触があったかと思うと、ちゅっ、と軽い音が鳴った。
「は?」
「めちゃくちゃ嬉しい。秋良さんからお誘いしてくれるなんて」
「!?」
もしかして俺、今キスされた? え、いや何でこのタイミング? ていうか、俺ら付き合ってもなくない? ぐるぐる考えが浮かんでは消えていく。
「あは。可愛い」
もう一回、と春人が言って俺に近付こうとしたとき、俺は手で春人の口を塞いだ。
「あれ」
「キ、キスなんて冗談でもするな! あと、俺はお前の体を拭きたいだけだよ!」
「……」
春人は大人しくなった。その隙に、俺は春人の体を濡らしたタオルで拭いていく。これで、汗は拭きとれたし、少しは寝やすくなっただろう。
「秋良さん」
「どうした」
「今日は一緒に寝てくれる?」
「いいよ」
春人がベッドの端に寄って空いたスペースに、俺は寝ころんだ。肩が触れると、めちゃくちゃ熱かった。春人、俺が思っていたよりも熱が出てるな。
「さっきのキスなんですけど」
「……」
「冗談じゃないですからね」
「え」
「俺、秋良さんのことが好きだからキスしたんですよ」
「いやいや、俺のことを好きになる理由が分からない。俺はお前と違って平凡だし」
「だって秋良さん、可愛いですから。俺の料理、いつも美味しそうに食べてくれるし。でも辛いものが苦手で、甘いのが大好きなところとか。何より話していて楽しいんですよ。俺も、素が出せるっていうか」
「春人、お前相当疲れてるな」
「もう一回キスしていいですか?」
「駄目だ」
「俺が元気だったら良かったのにな」
「元気だったらどうなるんだ」
「押し倒してます」
「……」
もしかして俺のこの状況は、結構やばいのかもしれない。春人は心配だけど、俺はこの家を早く出た方がいい。じゃないと、何されるのかわからない。
すると、いつのまにか手を握られていた。しかも恋人繋ぎだ。あと力が強くて振りほどけそうにない。まずい。
「今日は何もしませんから、一緒にいてください」
そう言って強請る声は、いつもより不安の色が滲み出ていて。思わず俺は、一緒にいるよと返してしまったのだった。
射し込む朝陽が眩しくて、目が覚めた。横を見ると、誰もいなかった。夢だったのかな。
「秋良さん、おはようございます。ご飯できてますよ」
「うおっ」
急に声をかけられて俺は驚く。春人の笑いをこらえている様子にむっとしながらも、体調は戻っているようで安心した。
「熱はどうだ?」
「下がりました。平温ですね」
「良かった」
俺は胸を撫で下ろした。じゃあ、と言って部屋から出ようとしたところ、春人に呼び止められる。
「せっかくですから、朝ご飯食べて行ってくださいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます」
朝ごはんはトーストに卵焼きとウィンナー、牛乳だった。パンの香ばしい匂いがする。そういえば、昨日は必死だったから気付かなかったけど、この部屋めちゃくちゃ綺麗だな。モデルルームみたいだ。
俺が珍しく喋らないでいると、春人が口を開いた。
「昨日のことなんですけど」
「ああ」
「俺と付き合ってくれませんか?」
俺は思わず飲んでいた牛乳を噴きそうになる。危ないところだった。何で、人が忘れようとしていたことを掘り返してくるんだ。
「有耶無耶にしたくなかったんで。急に付き合うのが無理っていうのなら、デートしませんか?」
「デート? お前と?」
「はい。昨日も今日も、元々お休みだったので。まあ、単に遊園地に行くだけなんですけどね」
「遊園地かあ。あんまり行ったことないな」
遊園地で遊ぶってほとんどしたことがないし、作画資料の参考になるかも。俺はデートと漫画を天秤にかける。当然、漫画の方に天秤が傾いた。
「朝ごはん食べたら行きましょうね」
「わかった」
流されている気がしなくもないけど、俺は春人と遊園地に行くことに決めた。
エレクトリックな音楽に、愉快で可愛いキャスト達。響く絶叫、楽しそうな人々。これぞ遊園地って感じだ。
「秋良さん、何から乗りましょうか」
「俺、あのジェットコースターがいいな。後ろ向きで走るらしいよ」
俺はわくわくして、すぐに列に並んだ。何となく春人が楽しそうだったので、俺が指摘すると、春人は笑った。
「秋良さんが楽しそうなので嬉しいんですよ。来て良かったなって」
「そっか」
「あとほら」
春人が耳の側まで来て、優しく息をかける。くすぐったい。
「デート、ですしね」
甘い、とびきりの笑顔が俺に向けられる。ふと周りを見渡すと、やけに注目されていることに気が付いた。なるほど。春人はモデル級のイケメンだから、視線を集めちゃうってわけか。困る。
「あんまり人目に付かないところに行こうな……」
「積極的ですね」
「違う」
春人と喋っているうちに、順番が回って来た。俺達は前の方に乗ることになった。
キャストのお姉さんが、春人を見たときに極上の微笑みをしていたことに羨ましさを感じながら、スタートした。
最初はゆっくりと、次第に早くなっていって、何も分からない状態から真っ逆さまに落ちる。俺は悲鳴を上げながら、思う存分ジェットコースターを楽しんだ。
ひたすら絶叫系を楽しんだ後は、お昼ご飯にしようという話になった。
どうやらドイツをテーマにした場所らしく、ビールやぐるぐる巻きのソーセージ、ケバブが目玉らしい。
俺達はケバブとソーセージ、プレッツェル(ハートのような結び目をしたパン)を注文して、席に座って食べる。
ソーセージは独自のスパイスが効いていてうまいし、ケバブも普段食べることがないから面白い。プレッツェルは甘くて美味しい。頼んで良かった。
「相変わらず美味しそうに食べますね」
「だってうまいよ」
「そうですね。……俺のとどっちが美味しいですか?」
「そりゃお前だろ」
「良かった」
綺麗に全部平らげて、返却口に食器を返す。よし、後は参考資料のために写真を撮ったり、お土産を探そう。俺はいつになくはしゃいでいて、春人も楽しそうだった。
ただ、俺が写真を撮りまくっていると、春人は楽しめないんじゃないかと思ったが、別に構わないと返された。
俺がせっせと写真を撮っていると、ふと春人の姿が見えなくなった。トイレにでも行ってるのか、と引き続き写真撮影に勤しもうとしたときに、ある光景が飛び込んできた。
春人が、女の人に話しかけられている。いわゆる、逆ナンというやつか。
「あっ、秋良さん」
春人が手を振る。俺は知らないフリをしようかと思ったけど、後が面倒くさくなるような気がして、春人に駆け寄った。
「春人、お前フラフラするなよ」
「焼きもちですか? 嬉しいです」
「人の話聞いてた?」
「じゃあ、すみません。お姉さん、俺達これから二人でデートなので」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。助かりました」
「それじゃ」
春人が穏やかに立ち去ったので、俺もそれに倣う。あの短時間の間にナンパされるって、どんだけモテるんだよ、こいつは。
俺がモヤモヤしていると、春人が申し訳なさそうに言う。
「秋良さん、さっきはすみません。道を聞かれたので答えていたら長くなりました」
「いいよ。別に……、えっ、道?」
「はい。近くにキャストさんがいなくて、俺に声を掛けたみたいですよ」
「あっそ!」
俺、めちゃくちゃ勘違いしてたじゃん! 俺といるのにナンパされて女の子にデレデレしてるんだと思ってモヤモヤしてたのが馬鹿みたいだろ!
え、モヤモヤ? 何で? 単純に、春人が女の子から好かれているのが羨ましいだけだよな。だって、そういう理由じゃなきゃこれって。
「秋良さん?」
「うわっ、何だよ」
「いえ、何だか上の空っぽかったので心配になって」
「別にいいだろ! ほら、土産物見て回ろう」
俺は無理矢理、春人を引っ張って土産物屋へと入る。この遊園地のお土産はどれも可愛い。思い出に残すなら、あえて缶のお菓子を買ってもいい。ぬいぐるみとかもありだ。
「どれにしようか悩むな」
「これなんてどうです?」
春人が持ってきたのは、ここの遊園地のマスコットキャラクターのキーホルダーだった。確かにこれなら思い出にもなるし、鍵とかに付けて目印になる。
「そのキーホルダーにするわ」
「じゃあ俺とおそろいですね!」
「……やっぱやめようかな」
「そんな酷いこと言わないでくださいよ。俺だって、思い出が欲しいんですから」
「冗談だって。そんな悲しそうな顔するなよ」
結局、俺はキーホルダーとクッキー、春人はキーホルダーとぬいぐるみを買っていた。
外に出ると、もう陽が落ちかけて、辺りは橙色に染まっていた。綺麗な夕焼けだ。
「そうだ、秋良さん。最後だし、観覧車に乗りませんか?」
「いいな」
俺達は観覧車を目指して、ゆっくりと歩いた。やっぱり、遊園地の最後は観覧車がいいよな。観覧車に乗るなんて、何年ぶりだろう。
何てことのない話をしていると観覧車に着いたので、何人か待ってから乗り込んだ。
「夕陽、めちゃくちゃ綺麗ですね」
「ああ」
高いところから見る遊園地も面白いな。エリアごとに建物の様相が違うのがよくわかる。
ああ、今日は色んな楽しいことがあった。珍しい飯を食べたり、普段は乗らない絶叫系にも乗った。春人と見る景色は、きらきらして、でも落ち着く。
「なあ、春人」
春人は夕焼けに照らされて赤かった。でも多分、俺はもっと赤い。
「俺、春人のこと好きだ」
「え」
「他の奴に春人を奪られたくない。春人の隣は、俺がいい」
今日まで何か月間か一緒に過ごしてきて、俺は春人の隣にいるのが当たり前だと思い始めていた。でも、現実はそうじゃない。春人は別の人と結婚して家庭を築くかもしれない。春人が幸せならそれでいい、と思っていた。でも、それだけでは嫌なのだ。
「いいんですか?」
春人の声は震えていた。目には涙が溜まっている。それが、ぽろりと落ちた。
「俺、手放す自信ないです。多分、もっと秋良さんのことを欲しがると思いますよ。それに、秋良さんが思うほど俺はかっこよくないです」
「いいよ、俺も春人のことが好きだから。それに、春人が実は怖がりなことも知ってる。ホラー、苦手だもんな」
「はい……」
春人はぼろぼろ泣いてたけど、笑ってた。今まで見た笑顔の中で、一番可愛いと思った。俺は、春人を抱き締めて、額にキスをする。
「秋良さん、大好きです」
そう言って、春人は俺の首筋にキスをした。
その後、俺達は観覧車が降りるまでずっと、今日の晩御飯は何が良い、どのアトラクションが楽しかったかという他愛のない、でもとても楽しい話をしたのだった。
「秋良さーん、起きてください。朝ですよ」
「あと五分だけ寝かせて……」
「駄目です。そう言って俺が出た後、ずっと寝てたでしょ」
「何で知ってるんだよ」
「内緒です」
俺はベッドから起き上がり、椅子に座る。正直に言うと、体がめちゃくちゃだるい。それもこれも、全部春人のせいだ。春人とのセックスはとても気持ち良いけど、めちゃくちゃ長い。ほぼ夜通し行われる。
俺がこんな疲労困憊なのに、春人ときたらすごく元気だ。どことなく、肌のツヤさえ良い気がする。
「春人、お前元気すぎるだろ」
「俺、秋良さんとシた次の日って、めちゃくちゃ調子良いんですよね! 毎日しましょう」
「無理に決まってんだろ。腰が死ぬ」
「え~、秋良さんだって気持ち良さそうじゃないですか」
「この味噌汁うまいな」
「秋良さん!」
俺は机の上に並べられていた味噌汁を飲む。体に染みわたるうまさだ。今日は出汁巻き卵に、焼き魚にご飯、味噌汁だから和食なんだな。
「春人もそろそろ時間だろ。行ってこいよ」
「はい、行ってきます」
春人と触れるだけの軽いキスをする。頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。やっぱり春人って、どこか犬っぽいんだよな。まあ俺、犬好きだしいっか。
「あ、ドライヤーのコンセント抜いてませんでした」
「いいよ。俺が抜いとくから」
春人は慌ただしく、玄関へと走っていった。俺は、その背中を見送る。
春人と暮らし始めたのは、付き合ってから一カ月が経った頃だ。ほぼ毎日春人は俺の家に来て、ほとんど一緒に住んでいるようなものだったから、それならもういっそ同棲した方が良くないかという話になり、今に至る。
それぞれの家とは違う、二人の家を持ったというわけだ。
ちなみに付き合った当初、敬語はどうするのかという話になったのだが、春人は敬語で慣れているからこのままで良いということになった。なお、セックス中はたまに敬語が抜けるので、実はドキドキしているのは秘密だ。バレたら、とんでもないことになる気がする。
俺は出汁巻き卵を食べながら、ぼんやりと今日の計画を考える。
実は、昨日漫画家デビューが決まったのだ。連載を雑誌に載せるということなのだが、春人はまだ知らない。報告したら、どんな顔をするか楽しみだ。あいつは、俺の第一のファンでもあるのだから。
今日は、春人の店「Felice(フェリーチェ)」に行こう。そして、とっておきのサプライズをするんだ。「結婚してください」って。
俺は未来に胸を弾ませながら、口の中にご飯をかき込んだ。
Felice 梨子ぴん @riko_pin
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