古河への道

豊嶋軍の夜襲により混乱する軍勢を立て直すために川越の本陣を放棄した足利成氏は、100人程の兵に守られ、大楽寺(現、慈眼院、埼玉県比企郡川島町角泉付近)にて軍の立て直しを図るべく伊賀者に命じ周囲の状況を探らせていた。


「申し上げます。 川越のお味方は総崩れとなり、武蔵の国人衆は所領へ、常陸、下野の国人衆は古河に向かい敗走をしておりまする。 また岩槻城より太田資忠が打って出た模様、敗走するお味方を攻め、更には、周辺の農民などによる落ち武者狩りが始まった様子にて…」


「権六! 入間川を渡り、そこで兵を整えておる者は居ないと申すか?」


「恐れながら…、恐らく風魔衆が公方様ご自刃との流言を流しており、夜襲による混乱により流言を信じ込み…」


「なれば余がこの場に留まっても立て直すことは出来ぬと言う事だな…、権六! 古河まで余は戻れると思うか?」


「某が命に代えてお守り致しまする。 ただ…」


「ただ? なんじゃ申してみよ!」


言い淀む権六に先を話すよう成氏が命じると、意を決した権六が口を開いた。


権六の見立てでは、古河まで成氏一人を無事に護衛する事は可能だが、100人近い兵を連れて古河へ向かえば途中で豊嶋に味方する国人衆や、今回の合戦では成氏に味方していた国人衆が、成氏の首を獲り家の存続を図ろうとする恐れがある事を伝える。


瞑目し権六の話を聞いていた成氏が、川越より逃げる兵に紛れ込み古河まで引くのはと問いかけるが、権六は、身なりの良い武者が敗走する味方に近づけば敵と間違えられる可能性が高く、また、追撃をしている豊嶋、太田軍に狙われる可能性があることを説明すると、成氏は大きくため息をつく。


「あと少し…、あと少しで関東を一つに纏められたというに…。 最早余が古河に戻っても此度の負けで国人衆達の心は余から離れるであろう…」


成氏が悲観した表情でそう呟くと、従って来た家臣たちが地に膝をつきうな垂れる。


「申し上げます! 公方様に目通りを願い出ている者が参っておるのですが…、そ、その…」


「余に目通りだと? 誰じゃ?」


「二代目、風魔小太郎と名乗る若者と望月彩芽と名乗る女子にて…」


目通りを願い出ている者の名を聞き、権六が身構え周囲を警戒する素振りを見せると、その姿に異変を感じ取った成氏の家臣も太刀に手をかけ周囲を見回す。


「権六の見知った者か?」


「恐れながら、二代目風魔小太郎なる者は知りませぬが、望月彩芽なる者は元伊賀者で風魔衆の中で重きをなしている者にございまする。 そのような者がここに来たという事は、既にこの場に公方様がおわすことが豊嶋に…」


「であるか…、なれば今更あがいても致し方あるまい。 会おうぞ! 通せ!!」


「な、なりませぬ! 公方様のお命を狙うやも…」


「構わぬ、既に豊島には居場所が知られておるのであろう。 余の首を獲る気があれば既に余の首は胴から離れておろう。 許す、そのまま通せ!」


成氏の言葉に、権六を始め家臣たちが異を唱えるが、成氏は武者に討たれ死ぬか、落ち武者狩りに遭って死ぬか、乱破に討たれ死ぬかに大して違いは無いといい、目通りを願い出ている2人を通すように命じる。


暫くすると、戦場に似つかわしくない派手な着物を来た妖艶な女性と、まだ幼さが抜けきらない若者が成氏の前に現れる。


「成氏様におかれましてはご機嫌麗しく。 風魔衆の望月彩芽と申します」


「某、二代目、風魔小太郎と申しまする」


「機嫌が良さそうに見えるか? まあよい、余が古河公方、足利成氏である。 わざわざここに参った用は何だ? 豊嶋宗泰の首を持参したか?」


「お戯れを、我が主、豊嶋武蔵守宗泰様より公方様を古河へ無事にお送りするよう申し付かっておりまする。 恐れ入りますがご同道頂けますでしょうか?」


「これは面白い事を申す、余の首を獲りに来たの間違えであろう!」


「おそれながら、宗泰様が成氏様の首を欲していれば、川越よりこの地に至るまでにお命を頂戴しておりまする。 なれど宗泰様はそのような命を出さず、逆に我ら風魔衆へ成氏様を無事に古河へお送りせよとお命じになられました。 それ故、これより風魔衆が公方様を無事に古河までお送りさせていただきまする」


「豊嶋宗泰は何を企んでおる! 余を無事に古河へ送り届ければ再度兵を率い武蔵に攻め入るとは思わぬのか?」


「私には分かりませぬが、我が主である豊嶋宗泰様は、公方様との会談を望んでいると申しておりましたが…」


訝しむ成氏だが、望月彩芽の言葉を聞き、自身が豊嶋の手に落ちれば、鎌倉公方である足利政知が首を求める事が予測され、何故か宗泰が、それを回避するためにわざと古河へ逃がそうとしているのだと己の中で結論付ける。


「会談の目的は…、いや、其の方らには知らされておるまいな…」


「宗泰様よりお聞きしました限りではございますが、関東の静謐の為と」


「今後の静謐か…、まあ良い! どうせ今更逃げ隠れは出来ぬのだ! その方らに任せる」


そう言うと成氏は家臣達に風魔衆への手出しを禁じ、指示に従うよう命じると、床几から立ち上がり、引かれてきた馬に跨り風魔衆の案内で古河を目指す。


「其の方、二代目風魔小太郎と申したな! 随分と若いが、風魔衆で重きをなしておるのか?」


「某は未だ未熟者にございますれば、今はまだ…。 本来なら二代目などと名乗るのは憚れますが主命にてそう名乗っておりまする」


「左様か…。 若い内から名の重みを背負わすとは、豊嶋宗泰という男は相当手荒な育て方をする…。 して風魔小太郎とやら、落ち武者狩り、余に見切りを付けた国人衆をどう切り抜けるつもりだ?」


成氏の問いに二代目風魔小太郎と名乗った 望月弥一郎は、既に風魔衆が古河に至るまでに所領を持つ国人衆に対し、配下が手出しをすれば、豊嶋の兵が押し寄せて、数日のうちに一族郎党撫で斬りにすると、脅迫めいた内容を伝えており、城や館の門を固く閉じ、引き籠っており、落ち武者狩りをしようと集まっていた農民達には岩槻方面に向かえば、弱り切った落ち武者が沢山いると吹き込んで岩槻方面に向かわせた事を伝える。


一方、豊嶋軍の夜襲による混乱の最中、成氏自刃との流言により戦意を失い逃げ出し、入間川を渡りきった所で、急使を装った風魔衆が偽報を伝える。


岩槻城の太田軍に加え、葛西城から打って出た太田軍が、岩槻城の抑えの軍に攻めかかった事で、お味方が押されており援軍を求めている…と。


入間川を渡った将兵はその報を聞き、この場に留まり続けた場合、岩槻城の味方が敗走をしたら、岩槻城から来る太田、豊嶋軍と奇襲をした豊嶋軍に挟撃されることになると、国人衆達の多くが兵を整える間もなく、即座に所領へ向けて退却を開始していた。


武蔵に所領のある国人衆は、自身の所領に向かい、下野、常陸の国人衆は古河を目指してひたすら走る。


脱落する足軽雑兵には目もくれず馬を駆る、下野、常陸の国人衆の多くは栗橋城まで行けば安全と先を急ぐが、途中、久喜周辺で兵を分散し潜んでいた豊島軍、太田軍に襲われその数を減らしていく。


そしてやっとの思いで久喜、幸手を抜けて、あとは川を渡れば栗橋城というところまでたどり着いた者達は、栗橋城の者より渡河を手助けせよと命じられたという商人達が用意した200艘近い荷駄船に乗りこみ対岸を目指す。


多くの者が城門の辺りより煙の上がる栗橋城を目にし、落城したのか? っと訝しみ船頭に問いかけると船頭たちは豊嶋の兵の奇襲を受けたようだと答え、城兵は消火に当たっていると答える。

実際の所、城兵は門に火が放たれた為、延焼を防ぐ為に消火に走り回っており、残った兵も豊嶋軍の奇襲に備え、川の方まで気が回っておらず、船は近隣の商人達が誰かに命じられて味方を助けに来たと思い込んでいた。


その為、最初は訝しんでいた将兵もこれで命が助かると、安堵の表情を浮かべながら船に乗り込んでいた。


ヒュン!! ヒュン!! ヒュン!!


船を出し、しばらくすると、薄暗い闇の中、風を切る音が聞こえたと思った刹那、荷駄船に乗り川を渡っていた武者に矢が突き刺さる。


「て、敵襲〜!!」


誰が言ったのかは分からないが、敵襲を告げる叫び声が聞こえた直後、上流から豊嶋の旗を立てた小早船が、荷駄船に襲い掛かる。


小早船は一気に川を下り、商人の船とのすれ違いざまに武者と思しきもののみを狙い矢を放ち、船が離れると散発的に矢を乱射し、船首を上流に向けて川を遡り、再度、渡河途中の船に襲い掛かる事を繰り替えす。


商人が用意したという荷駄船には、木楯など用意されていなかった事で、すれ違いざまに小早船から射られる矢に身なりの良い者、武者と思しき者が次々と矢で射抜かれる。


岸でその光景を見た兵たちは始めは驚き、恐慌状態になりかけたが、誰かが言った、襲ってくる船の数は50程で矢の数も大した数ではないとの声で冷静さを取り戻し、小早船に向かい届かないと分かりつつも石を投げていた。


何十、何百往復したのか、荷駄船の活躍で川越から逃げてきた兵達の多くが川を渡り栗橋城を経て海水城へ向かっていくが、その多くが足軽、雑兵であり襲われた者の多くが武者であった事に気づいた者はごく僅かだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る