出陣の命

1485年4月10日


川越城を囲む足利成氏の元へ最初に和議の使者として向かった斉藤勝康が帰って来てから20日程経ったが、その10日の間、斉藤勝康は5回程成氏の元に使者として赴き、都度、話にならぬと言われ追い返されて来た。


「宗泰様、最早、古河公方を始め、多くの者が呆れ果て、(我らを前に怖気づいて動けないのならこちらから兵を率いて向かっても良いのだぞ)などと言い出す者もおりました。 見た限り、成氏軍の兵達は最早勝ったも同然と言う雰囲気があり、昼間でも鎧を着ていない者までおりました」


「そうか…。 平身低頭して和議を結ぼうと何度も使者を送ったことで、大軍に恐れをなしたと思われたか」


「平身低頭しているのは某で、宗泰様の書かれる書状の中身は平身低頭しておりませぬが…」


「そうとも言うな、だが書状では多少なりとも強気に出て虚勢を張ってるように見せねばなるまい。 何より勝康が命を張ったおかげで時を稼ぐ事が出来た故、成氏が雇った伊賀者の数を減らせたうえ、風魔衆も多く成氏の軍に潜り込んだのだ。 そしてなにより、各地から酒と肴を江戸、品川湊に運び込む事が出来た。 後は時を待つのみ」


「恐れながら、某は策を存じておりまする故お聞きいたしまするが、本当に事が上手く運びましょうか?」


斉藤勝康だけでなく、俺が立てた策を知っている一部の者達全員が思っている。

本当に策が成功するのか? と。


なぜなら日野の陣の前を流れる多摩川の対岸には長尾景春が守る砦があり、豊嶋軍の動きを監視しており、兵を動かせば直ぐに川越に知らされるようになっており、多摩川を渡河し砦を攻めている間に兵を差し向けられてもおかしくないからだ。


「策は成功する。 はずだ…。 既に上杉朝昌うえすぎ ともまさの籠る七沢城(神奈川県厚木市七沢付近)を囲んでいる矢野兵庫が、城の包囲を副将の山口高忠に任せ、密かに500の兵を率いて伊奈城(東京都あきる野市伊奈付近)に入城し、息を潜めておる。 それに主だった者が籠っている城には、いつでも出陣できるよう密かに準備をさせているのだ。 後は時を待つのみ」


「時でございまするか。 してその時とは?」


「間もなくとしか分からぬ。 とりあえず勝康は5日後、成氏の元に再度和議の使者として向かってくれ。 此度の書状だが条件はほぼ変わらぬ強気だが、他の内容は平身低頭して遜った書状にする故、勝康も再度、平身低頭して遜って来てくれ」


「承知致しました。 この勝康、一世一代の平身低頭をして参りまする」


そう言うと、勝康は部屋を出て行ったが、一世一代の平身低頭って、どんな平身低頭なんだろう。

一度見てみたいな…。


そして5日後、4月15日の夕方、やり切ったような表情で斉藤勝康が帰って来たが、勝康いわく、全力で平身低頭し遜ったが成氏の出す条件は変わらずで、川越の本陣に集まった諸将の多くは嘲笑していたとの事だった。


報告を聞き終えると、風魔衆の風間元重、望月彩芽、服部孫六を呼び、そして小姓として側に控えて居る望月弥一郎を同席させて各自に指示を出す。


風間元重には配下を、滝野城、岡城、葛西城、国府台城に籠る一門衆へ兵を出す日と時間を伝え、当日先導するように。


服部孫六には、忍城、岩槻城へ、そして既に内応している国人衆の元へ配下を向かわせて当日一気に城から打って出るようにとの指示を伝えさせる。


望月彩芽には、一旦江戸湊に向かい、予定日前日の昼間に、大量の酒と肴を川越に運ぶよう商人達に指示を出し、その指揮を執るように。


望月弥一郎には、配下の風魔衆に加え、常陸から戻った音羽半兵衛率いる兵500を連れて日野の陣から川越まで続く道の各所にある陣屋を、豊嶋軍が日野の陣を出陣すると同時に、一気に制圧し川越へ出陣の報が伝わらないようにする事に加え、川越に陣を張る成氏軍に向かおうとする人間を討ち取るように命じた。


今回の策で一番重要であり、失敗の許されない任務である以上、本来であれば風間元重や伊賀出身の手練れに命じるのだが、風魔衆の主だった者達から弥一郎に命じて欲しいとの事で、望月弥一郎に任せる事になった。

まあ音羽半兵衛も居るので俺的には問題は無いのだが、どうやら風魔衆の次期棟梁として失敗の出来ない任を死ぬ気で成し遂げさせることで、本人に更なる自覚を持たせるのが目的らしい。


そして3日が過ぎた、4月18日の朝、風間元重、望月彩芽、服部孫六、望月弥一郎から準備が整ったとの報告を受け、日野の陣に居る主だった家臣を広間に集めて策を伝え出陣をする事を伝える。


集まった者達は策を聞き、一様に驚き、そして目の前にある長尾景春の守る砦がある以上、成功はしないと口を揃えて反対をする。


確かに…。

対岸にある砦を無視することは出来ないし、渡河をしてる間に急使を川越に送られれば豊嶋軍の動きが直ぐにバレる。

仮に抑えの兵を残して進軍をしたとしても、景春が砦から打って出て抑えの兵を打ち破れば、川越に向かう豊嶋軍の後方から攻められる。


全く、誰だよ! 日野の陣の目の前に砦を築き、長尾景春に守らせるとか成氏に進言したの…。


うん、吉良成高だ…。

そして吉良成高に指示を出したのは…、俺だ…。


今迄密かに仕込みをおこなっていたのを知っているのは、一握りの家臣と風魔衆の主だった者のみであり、仕込みをしていた事を知らない家臣は、策を聞いても確実に失敗をすると、俺を必死に諫めようとしている。


「皆の心配はわかっている。 ただ、この日野にて無為に陣を張り、成氏の動向を伺っていた訳ではない。 敵を騙すには味方からと言う訳ではないが、密かに仕込みをおこなっておった。 だが謀を張り巡らすにあたり、皆には伏せておった」


「それは我らの中に成氏に内通する者がおるかもしれぬと言う事にございまするか?」


「いや、ここにおる者にそのような者は居ないと信じている。 だが策を張り巡らし、成氏に我らが大軍を前にして攻めるに攻められず日野に留まっていると思わせ油断させるには、皆に普段通りに振舞って貰う事で、策を確実なものとする為だったのだ。 皆にはすまぬと思っておる」


「我らが何も知らされず、普段通りに振舞っていたのも策の内であったと言う事にございまするな」


若い家臣は、謀を知らされていなかった事に対し、自分達が信用されていなかったのかと疑念を口にする中、最古参の家臣ともいえる武石信康が、策を知らせない事自体が策だったと、大仰に納得したかのような言葉を口にした。


「そうなる。 策を知れば、策を漏らさぬよう細心の注意を払う。 だが、細心の注意を払おうとすればするほど、肩に力が入り、周囲から違和感を覚えられる。 故に秘しておったのだ。 だが策は成った! 後は成氏の首を獲るのみ。 日が沈み次第出陣をする。 対岸の敵に悟られぬよう見張りの者を除き兵達を密かに休ませよ!!」


「「おおぉぅ!!!」」


一部はまだ半信半疑のような顔をしているが、出陣と言う言葉を聞くと、一様に引き締まった武者の顔になる。


いや…、だから密かに策を張り巡らせてたんだから、日が暮れるまでは普段通りの顔で居て欲しいんだが…、って無理か。

なんせ真っ向からぶつかったら数で圧倒されるから動くに動けない日々だったし鬱憤が溜まってたんだろうな。


風魔衆に命じて監視を強化させて、多摩川を渡ろうとする人間を始末させよう…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る