勝者と敗者

■川越城 太田道真


先程まで本丸の広間にて奇襲の混乱に乗じ城へ入った風魔衆より、近隣の状況と情勢の報告を受けた後、道真は自室に戻り、密かに呼び出した風魔衆より宗泰から道真のみに伝えるよう言われた今後の策を聞いていた。


「では、宗泰殿は城を囲む成氏殿の軍に居る伊賀者を狩り、下野、常陸の国人衆に調略を仕掛けると言う事か?」


「左様お伝えせよと申し付かった次第。 それに加え、堺や博多だけでなく、西国より米や穀物、酒などを買い集め、安く商人に卸す事で、成氏軍に安値で兵糧や酒を売らせております。 また斉藤勝康様を使い…」


「委細承知した。 なればワシのする事は城内の士気を保ち続ける事、それにしても斉藤勝康が良く引き受けたものだ…。 下手をしたらその場で首を刎ねられるかもしれぬと言うに…」


「それにつきまして、斉藤勝康様は首を刎ねられる事は無いと、2つ返事で引き受けたと聞いておりまする」


「大した自信じゃな。 あ奴も無為に京の公家を相手にしていたのでは無いと言う事か。 分かった、下がって休むが良い」


「ははっ!」


風魔衆が部屋を出ると、残った道真は目を瞑ると、宗泰から聞かされた今後の方針を再度頭の中で纏めながら大きく息を吐く。


「さて、これからが正念場という所か。 ワシが川越城を守っているからこそ何とかなる策と言ったところだ。 死んでいった者達の為にもこの合戦は負けられぬな…」



■川越 足利成氏本陣


「どういう事じゃ!! 多数の兜首を合わせ113もの首級を挙げたと言うに、城に籠っておる名だたる者の首が1つもないではないか!」


酒宴を開き、油断していると見せかけることで、奇襲を誘い、仕掛けて来た敵を討ち取る事で敵の戦意を砕く。

城から打って出た兵が400程と小勢ではあったが、113もの首級を挙げ、その内約60余りは兜首だと聞かされた成氏は、道真に従い川越城に籠っている近隣の国人衆の首、1つや2つぐらいあるだろうと思い、策が成功したと聞かされた際、伝令に「見事な働き、誠に天晴である! 兜首を挙げた者には手厚く褒美を与えると戻って伝えよ!」と言ったものの、いざ首実検をおこなうと、兜首の多くが名も知らぬ者であり、名が知れても道真に長年仕えていたので多少なりと名が知れている下級武士、それも隠居し家督を子や孫が既に継いでいる者達の首であったのだ。


名の知れた武士の首を挙げた者を褒め、過大な褒美を与える事で味方の士気を上げるだけでなく、夜明けに川越城に籠る兵達に聞こえるよう、城門前で討ち取った者の名を叫ばせて、城に籠る道真を始めとした国人衆や兵達の士気を挫こうと目論んでいたが、どの兜首も老年の者の首であり、多くが名も知れぬ者の首であった事で、その目論見が外れ、過大な褒賞を与え、味方の士気を上げるだけに留まっていた。


「恐れながら申し上げます。 恐らく太田道真殿は罠があるのを見抜いていたのではないかと…」


「見抜いていたなら何故城から打って出た! むざむざ兵を失うのを分からぬ訳があるまい! にもかかわらずこれはどういう事ぞ!!」


立派な鎧兜を付けた武者を多数討ち取ったと聞き、喜んだ成氏は、即座に主だった諸将を本陣に集め、いざ首実検をしようと武蔵の国人衆に首を改めさせたら、名も知らぬ者と言われた事で、集まった諸将も白けた感じのなかでの首実検となり、成氏自身が先走ったと言う格好になった感じとなり、諸将が本陣を後にすると、重臣である簗田成助やなだしげすけを問いただしていた。


「恐らく、城に籠る兵の士気を上げる為、年老いた者に良い鎧を着せて名のある武者に見せかける事で、我らをぬか喜びさせ士気を落とし、また城に籠る兵達には老兵が命をなげうって戦ったと知らしめることで城方の結束を強める為では無いかと…」


「なれば我らは策を弄しておきながら、道真の策に嵌ったと言う事か! もうよい! 多くの兜首を討ち取り、さらに討ち取った者には過大な褒美が与えられたと味方の兵達に触れ回れ! せめて味方の士気だけは上げねば、我らは笑いものぞ!」


「ははっ!!」


怒り心頭の成氏がそう言い残しその場を去り、平伏していた簗田成助は頭を上げると、その場で思案を始める。


本当に道真の策に嵌ったのか?

それとも名乗り出る者がおらず苦肉の策として年老いた者に奇襲をさせたのか…、と…。



■駿河国 駿河館


本来であれば今川家の当主が座るべき上座には、尾張、遠江守護である斯波義寛しば よしひろが当然のように座り、伊勢盛時いせもりとき小鹿範満おしか のりみつが不満を顔に出さぬよう取り繕いながら下座に座している。


「恐れながら、兵を退くとは如何なる事にございましょう。 三浦が援軍に来たとはいえ兵の数では我らが勝っておりまする。 ここは一気に押し出し豊嶋、三浦を駿河、伊豆から追い出す好機、それをみすみす見逃すと申されまするか?」


「範満、其方は好機と申すが、三浦が伊豆に兵を入れてから駿東郡どころか富士郡まで豊嶋、三浦に押し戻されておろう。 甲斐の武田も兵を出すとの事だが一向に兵を出す気配はないではないか! ここは一旦和議を結び、態勢を整えた後、駿河から豊嶋と三浦を追い出すのが良いと申しておるのだ。 そもそも豊嶋を駿河に引き込んだのは其方であろうが」


「某も斯波様のお言葉に同意致しまするが、兵を退かれるのは困りまする。 和議が成った後、一月ほどは駿河に兵を留め置いて頂きたく」


「盛時殿! 和議に同意とはどういう事ぞ! 其方が斯波様に援軍を頼んだ故、共に豊嶋を駿河から追い出そうと言い出したのであろう! それを多少押されているぐらいで和議を結ぶなど認められる訳がなかろう!」


「範満、一旦和議を結び仕切り直すのだ。 間もなく田植えが始まる。 これ以上合戦が長引けば駿河、遠江が疲弊するだけぞ!! それに豊嶋の海賊衆が遠江の沿岸部を荒しておる。 伊勢の海賊衆を雇おうにも津島湊の商人共が湊を守ろうと海賊衆を雇ったせいで、伊勢の海賊衆共は皆出払っているから豊嶋の海賊征伐は出来ぬとぬかしおったのだ! これ以上駿河に構っておれぬ」


駿河館の主殿にて、兵を退くと言い出した斯波義寛と、それに同調する伊勢盛時に対し、合戦の継続を主張する小鹿範満が必死の形相で斯波義寛に翻意を促そうと熱弁を振るっている。


そもそも斯波義寛は伊勢盛時の口車に乗り、今川龍王丸の後見にと頼まれた事で、今後、駿河に影響力を持てると思い兵を出しただけであり、三浦軍が援軍として伊豆に現れた時点で合戦に消極的になっている。

そして何よりも、遠江の沿岸部が豊嶋の海賊衆に荒されており、家臣や国人衆から駿河から急ぎ兵を退く遠江沿岸部の守りを固めるべきとの声を無視できなくなっていたのだ。


「なればどの様な条件で和議を結ぶと?」


「それは其方らが考える事であろう。 いずれにせよワシは兵を退く。 早々に和議を結ぶのが良かろう」


「斯波様におかれましては、和議が成った後、1月は駿河に兵を留めて頂きたく、重ねてお願い申し上げまする」


「盛時、それは出来ぬ! 其方も遠江の状況は聞き及んでおろう、本来であれば今すぐにでも兵を退くのを其方達の為に伸ばしておるのだ。 豊嶋、三浦に駿東郡、富士郡の割譲を条件に和議を結ぶほかあるまい」


斯波義寛はそう言うと、立ち上がり部屋を出ようとするが、納得のいかない小鹿範満がなおも食い下がろうとするも、「くどい!!」と一喝されるとそれ以上何も言えず、斯波義寛の後姿を恨めしそうに睨んでいる。


「範満殿、ここは一旦、斯波様の申されるように豊嶋と和議を結ぶほかあるまい。 斯波様の兵が遠江に戻れば豊嶋、三浦軍がこの駿河館まで攻め寄せて来よう。 和議を結び、農繁期の間に富士郡、駿東郡の国人衆を調略し、農繁期が終われば再度斯波様に援軍を出して頂き、富士郡と駿東郡を取り戻すのが最良であろう」


「盛時殿達はそれでも良かろうが、富士郡、駿東郡を失えば…、いや、最早和議を結ぶしかあるまい。 和議の事は盛時殿に任せる。 富士川を境として和議の話を進められよ」


そう言うと、床を踏み鳴らしながら部屋を出て行く小鹿範満の背を見送る伊勢盛時の顔がニヤリと歪む。


龍王丸を擁する伊勢盛時の勢力は遠江寄りであり、富士郡と駿東郡を豊嶋に割譲しても痛くも痒くもない。

それどころか小鹿範満の勢力が削がれる事で、龍王丸派に鞍替えをする国人衆も出て来るだろうと読んでいた。


翌日、伊勢盛時は駿河館を僅かな供回りと共に出発し、その日のうちに蒲原城(静岡県静岡市清水区蒲原付近)を本陣とする太田道灌、三浦高時の元へ向かい、富士川を境とした富士郡、駿東郡の割譲を条件に和議を結ぶ事に成功させた。


もっとも、この今川方の都合の良い和議を即時受け入れた理由は、斯波義寛の軍に紛れ込ませた風魔衆より、まもなく斯波は兵を退くくとの情報があった事で、これ以上兵を進め力で駿河を制圧するより、若干時はかかるが、和議が纏まり豊嶋、三浦軍が退けば再度家督争いが勃発し、伊勢、小鹿共に疲弊するであろうとの道灌の読みがあった。


和議を結んだ道灌は、翌日には三浦時高と共に蒲原城を後にし善得寺城(静岡県富士市今泉付近)に入城した。


当然の如く主の居ない城となった蒲原城を接収しようとすべく伊勢盛時と小鹿範満が先を競うように兵を出したが、僅差で小鹿範満の家臣が先に入城した事で、小鹿範満が城を得た。


小鹿範満は家臣の小幡満秀を城代として派遣し豊嶋の動きを監視するよう命じたが、元々蒲原城を無理に得ようと思っていなかった伊勢盛時は、小鹿に先を越されたとの報を聞き、如何にして小鹿と豊嶋を争わせようかと思案に暮れていた。


「あのように豊嶋と境が接している近くの城など得て喜んでおるとは…、自ら足枷を付けるようなもの…。 後は如何にして豊嶋に小鹿を討たせるか…」

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