罠と忠臣

■川越城 太田道真


日が暮れ辺りが闇に包まれた頃、川越城の大手門の前に、壮年の、いや、この時代においては老年と言うべき武者60人程が笑顔浮かべながら盃を交わしていた。


「皆の者、名乗りを挙げてくれた事、この道真、心より感謝致す。 本来であれば老い先短いワシが先陣を切るべきだが、城を守る大将として、おいそれとこの首は成氏殿には渡す訳にはゆかぬ故、共に行く事が出来ぬ事、心苦しく思うておる」


集まった武者に対し、道真が頭を下げると、その場に居る者達が慌てて声を上げる。


「殿、頭をお上げくだされ。 某など死に遅れて齢60を超えたおかげで曾孫を抱く事も出来申した。 この六平太、飢饉に喘ぎ村から逃げて行き倒れていた、何処の馬の骨とも知れぬ某を拾って頂き早40余年、走野清信という名を頂戴し一端の武士にして頂き申した。 ここに居る方々も皆同様、逝き遅れた我らに最後の花道を作って頂き感謝しておりまする。」


集まった者達を代表して走野清信と名乗った者が口を開くと、それに続き男たちが道真へ対し口々に感謝の言葉を口にする。


「皆の言葉、この道真嬉しく思う。 ここに集まった皆は長年に渡ってワシと共に戦場を渡り歩き、苦楽を共にした戦友と思うておる。 その戦友に死ねと言うは心苦しいが、皆の命、この合戦に勝つ為の礎として…」


「それ以上は申されますな。 この歳になり床でなく戦場で華々しく散れるは武士の本望にございまする。 我らは一足先に、先に逝った者達に此度の武功話をしておりますので、殿はごゆるりとお越しくだされ」


「左様、照様のお子を抱き上げてから…、いや、そのお子の子を抱き上げてからお越しくだされ」


「照の子なればまだしも、その子の子を抱くまでなど、もはや物の怪ではないか」


「なんの、後数年もすれば照様にもお子が出来ましょう。 なればその子の子を抱き上げた自慢話をお聞かせくだされ」


男たちの中から、次々に声が上がり、集まった者達がどっと沸く。


道真が集めたのは、川越城に籠る兵の中でも、古くから道真に仕えていた者に加えて、家臣の郎党、等で年老いた者達だ。


川越城から城を囲む成氏軍の様子を見ていると、出入りする商人の数が日に日に増え、一部の陣では酒盛りが行われ、2日程前に大量の荷が届けられたとの報を聞き、恐らく入間川の水運を使い、江戸、品川湊から酒や肴等を買い入れて、兵達に酒を振舞うことで長陣の憂さを晴らすだけでなく、その機に乗じて奇襲を仕掛けた城方の兵を、油断していると見せかけて返り討ちにして士気を上げようとしている、と道真は読んでいた。


本来であれば、敢えて成氏軍の思惑通りに奇襲を仕掛け罠に嵌るなど愚の骨頂であるが、道真は敢えて罠に嵌り、城の士気が落ちていると思わせることで、この先、同様に兵達に酒を振舞い酒宴を開いても罠を恐れて城から打って出られないと思わせる事が出来ると思っていた。


そしてもう1つ、奇襲に乗じて城に居る風魔衆を宗泰の元に走らせ川越城は問題ない事を伝え、恐らく成氏軍の中に潜んでいる風魔衆を城に引き入れる事で宗泰と互いの状況を把握出来ればと考え、敢えて奇襲を仕掛ける事にした。


だが罠に嵌るという事は味方に死傷者が出る事でもある。

声を掛ければ命を賭してでも武功を挙げようとする若武者が大勢名乗りを挙げるだろうが、罠と分かっている死地に、先の長い若武者を送り込むのは躊躇われた。

そこで声を掛けたのが、老年の域に達した者達だったのだ。


大手門前に集まった武者達の役目は、奇襲を仕掛け罠に嵌った際、堂々と名乗りを挙げて敵を引き付け、付き従う足軽達を城に逃がす時間を稼ぐこと。

その為に打って出た後、罠に嵌ったら討ち取られるまで名乗りを挙げ戦い続ける事になる。


そして武者達は、名のある武者と成氏軍の兵に思わせる為に、城にある見栄えの良い鎧兜、太田家の重臣や川越城に入城している国人衆の鎧兜を集め、身に付けさせ、討ち取られた後も、身ぐるみを剥ごうとする足軽、雑兵が群がり追撃の足も鈍らせ、その隙に兵達を退却させる手はずになっている。


城の外では、雑兵達にまで酒が行き渡ったのか、徐々に騒がしくなりだしている。

櫓の上からは、鎧を脱ぎ、踊っている者も遠目に見て取れるが、大手門に続く道には木盾が並べられ、篝火が焚かれているが、その後ろには陣幕が幾つも張られ、中で火を囲んで動かない人影のようなものが陣幕に影を落として居る。


「見え透いた罠だ、恐らく陣幕の中に兵はおるまい。 さしずめ藁を人の形のようにした物が置かれているだけであろうな」


「ではその見え透いた罠へ盛大に嵌りに行き、陣幕の中にある藁の首を獲ってまいりまする」


「すまぬ、この道真、皆の者の忠義、忘れはせぬ。 皆の命、無駄にはせぬ。 この合戦、必ず敵を打ち破ってみせようぞ」


「草葉の陰からではございますが、しかと見届けさせて頂きまする。 それにしてもこのような立派な鎧兜、大将になった気分でございますな。 最後の花道にこのようなお役目を頂け望外の喜びにございまする。 然らばこれにて御免!」


そう言うと、兵達は極力静かに門の片方を開き敵陣に向け駆け出していく。

門を飛び出した武者達は無言で走り出し、並べられた木盾を蹴り倒し、陣幕を太刀で切り裂くと大声で名乗りを挙げる。


「我こそは走野日向守清信なり!! 太田道真様に替わり成氏殿の首を貰い受けに参った! 皆の者かかれ~!!!」


本来ならば城から打って出た一団が攻めかかった時点で見張りの兵が敵襲を知らせる為に声を張り上げ、鳴り物を鳴らすのだが、その見張りは一団を見ると即座に逃げ出して行く。


先陣を切って敵陣に斬り込んだ走野清信が、思い付きで受領名を入れた名乗りを挙ると、それに続く武者達も次々に名乗りを挙げながら次々と陣幕を切り裂き突き進む。


奇襲を仕掛けた一団は、足軽達が無事に逃げられるよう、先頭に武者30、中に足軽300、後ろに武者30の配置、囲まれたら後ろの30が血路を開き足軽を逃がし、その後は力尽きるまでその場に留まり戦う事になっている。


予想通り、明るい陣幕の中には人に似せた藁束が火を囲んで置かれており、それを無視し突き進むと、暗い陣幕の中に隠れていた兵達が次々と喊声を上げながら飛び出してくる。


「罠だ!!! 引け~!! 引け~~!! バラければ格好の餌食ぞ! 固まって城へ引け~!!」


「逃がすな!! 敵は少数ぞ!! 包み込め!! 一人たりとも生かして返すな!」


川越城から打って出た武者達は言葉とは裏腹に、互いに距離を取り太刀や長巻を振り回しながら大声で名乗りを挙げ、足軽達は固まって城へ向かって駆け出していく。


退路を断とうと回り込もうとした成氏軍の兵達は、逃げる足軽を追おうとするも、目の前に立派な鎧兜の武者が名乗りを挙げると、兜首を獲ろうと矛先を変えて武者に襲い掛る。


「何をしている!! 敵が逃げるぞ! 囲んで討ち取れ!!」


将が大声で兵達を指揮し、包囲をしようと声を張り上げるも、殆どが農民等で構成されている成氏軍の足軽雑兵は兜首を目の前に、将の命を無視して名乗りを挙げ続ける武者に群がっていくことで、川越城から打って出た足軽達は完全に包囲される前に血路を開いて城へ逃げ込んでいく。


「はぁ、はぁ、はぁ、この分であれば足軽衆は上手く城へ戻れたであろうな」


「ゴホッ…、そうでないと困る。 だが道真様が立てた策だ、きっと多くの者が城へ戻れるであろうぞ」


そこら中から「兜首を討ち取った!!」等と声が上がる中、幾重にも成氏軍の足軽雑兵に囲まれた2人の武者が肩で呼吸をしながら互いに背を合わせ満足そうな笑みを浮かべる。


「長生きはする者だな…。 これ程悔いのない人生を送れるとは思ってもみなんだ」


「全くだ、最早思い残す事は無い! あの世で酒を酌み交わそうぞ」


「そうだな、皆と共に討ち取った敵の数を肴に酒を飲もうぞ! さらばじゃ! 我こそは太田道真が家臣、走野日向守清信なり、我が首獲って手柄にしたい命知らずはかかってまいれ!!!!」


渾身の力で絞り出した声が戦場に響き渡り、そして喧噪にかき消されていく。


「走野日向守清信、上岩瀬村の五助が討ち取った~~~!!!」


走野清信が討ち取られ、勝ち名乗りを櫓の上で聞いた道真は、戦場に手を合わせると、櫓を降り、本丸へ戻っていく。


「其の方らの死を決して無駄にせぬ…」


道真の言葉は城外で勝利に沸き上がり勝鬨を上げる成氏軍の歓声にかき消されて近習の者も聞き取れなかったが、戦いを見ていた者達は一様に固い決意を目に宿していた。

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