勝利の報

幸手原の合戦の後、夜通しかけて首を利根川の水で洗い清めて名を記した木札を付ける作業を行い、また足軽や農兵などの死体から鼻を削ぎ落し洗い清め、近隣から集めた長持に納めて荷車に積み込み、首の無い死体、鼻の削ぎ終わった死体は用意した穴に安置し塚を作る。

利根川に近すぎる場所に塚を作ると増水の際に流されてしまうので、少し離れた高台に塚を築き、近くの寺に使者を送り供養を依頼する。


一部の兵を除き夜通し作業をした結果、翌朝には作業が終わり、昨晩は休ませていた者に首と削いだ鼻の入った長持を積んだ荷車を引かせ、平井城(群馬県藤岡市)へ運ばせる。

運ぶ者は太田家が太田道灌と弟の資忠、成田家が一門の成田重長、豊嶋家が参陣を命じて無いのに合戦後に兵を率いて到着した滝野川守胤が各200人程の兵を率いてあたる。

それにしても滝野川守胤、来るなら来るで良いんだけど遅いというか、間が悪いような良いような…。


合戦に間に合わなかった為、手柄は無いが、平井城へ首と鼻を輸送するという仕事と同時に、俺の代理として使者の役目もあるから、誰にしようか悩んでいた俺からしたら一門衆なので迷わず命じる事が出来たので結果的には良かったと言える。


首と鼻の輸送は時間との勝負の為、強行軍で平井城へ向かう事になる。

小氷河期と言われる時代でも8月末はそれなりに暑く、時間が経てば腐敗が進み腐臭を放ちだす。

なので時間との勝負なのだ。


因みに名の分かった首は457個、不明の首が348個、削いだ鼻が8471個だった。

全ての荷車には高札を掲げ討つ取った名のある首の数、不明の首の数、鼻の数を書き、すれ違う者が目を引くようにしている。


尚、道中の乱暴狼藉は当然禁止だが、すれ違う人には口頭でも足利成氏の大軍を小勢で打ち破り首の数、削いだ鼻の数を大々的に伝えながら進むよう命じてある。

何故なら3家合計で800人となる為、すれ違う行商人や農民達に1~2人隊列から離れて戦果を伝え、その後後を追っても輸送人員には余裕があるので、すれ違う人には極力声をかけて戦果を伝えても支障は無いからだ。


首と鼻が平井城に輸送されている頃、平井城の主殿にて上杉顕定と上杉定正、そして長尾景春が戦勝報告を受けている。

援軍を出す気は無かったが、栗原城の様子を伺う為に物見だけは出しており、その者が合戦を見届けた後、利根川を夜通しかけて船で遡上し、朝には平井城へ情報を持ち帰り報告をしていた。


「成氏の軍20000を9000で撃退し、大勝利か! 成氏め、今頃は古河に戻り寝所の中で縮こまっておろうな」

「確かに、よもや20000の兵を率いて大敗を喫すとは思ってもみなかったであろう。これで成氏も暫く大人しくなる、景春殿、今なら下野・常陸・下総・上総の国人衆を調略し味方を増やせるのではないか?」


上杉顕定が大勝を祝い成氏を笑い、上杉定正が今回の大敗によって国人衆への求心力が失われるので調略を仕掛けるべきと笑いながら口にしている。


「恐れながら申し上げまするが、成氏の軍を打ち破ったは良いですが、些か勝ち過ぎております。 これだけの大勝を収めた以上、豊嶋、太田、成田の3家に相応の恩賞を出さねばなりませぬが、相応の土地がございませぬぞ」

大勝の報に気を良くしていた顕定と定正が怪訝な顔をしながら景春を見る。


「景春、此度ワシは援軍の命を出しておらぬ。よって3家が勝手にした合戦、なれば褒美を出す謂れはないではないか。関東管領として感状の1枚でも与えればよかろう!」

「左様、景春殿、勝手に行った合戦で関東管領である上杉顕定様より感状を与えられたとなれば、3家とも喜ぶであろうぞ」


「恐れながら、ただ撃退しただけなら感状を与えればよろしいかと思いますが、先程申し上げた通り勝ち過ぎております。 報告によれば討ち取った者は数千に及ぶとの事、感状を与えるだけでは他の国人衆までもが顕定様のお心を疑いましょう」

「何を申す!! 関東管領であるワシ直々の感状では褒美にならぬと申すか!!」

「顕定様の言う通りでござる。関東管領直々の感状なれば末代までの誉れとなろう」


何も分かっていない…。俺が乱を起こした際なぜ関東管領側が劣勢に陥ったのか、なぜワシに多くの国人衆が呼応したのか、何故父である長尾景信の勢力が大きくなったのか。顕定と定正は関東管領という名に国人衆が従っていると思い込んでいるようだが、恐らく父の後家宰となった長尾忠景は理由を顕定に説明せず、家宰の座を利用し己の利を優先したのだろう。

景春は内心で舌打ちし、顕定と定正に説明を始める。


「お二方は思い違いをされておりますので説明をさせて頂きまする。 国人衆が関東管領である顕定に従うのは偏に古河公方との戦いで功を挙げ褒美を頂き、また所領を増やすが為でございます。 褒美、所領が得られないと知れば、国人衆はこぞって古河公方に鞍替えを致します。 何故某が乱を起こした時に多くの国人衆が味方したのかお考え下され。 家宰であった父が軍功を纏め褒美の采配していた為、当家との繋がりが強く、某に味方すれば褒美が貰え、または所領が増えると思ったからでございます」


「何を言っている。ワシに従った国人衆もおったではないか! それも偏に関東管領家に忠節を尽くす為であろう。 それに豊嶋はワシに臣従を誓っておる、現に川越城に援軍を出せと命じれば素直に従い、当主自ら出陣せよと命じれば当主である宗泰は出陣をしたぞ、それは関東管領であるワシに忠誠を誓っている証であろう。 なれば関東管領が直々に感状を与えれば末代までの家宝とするであろう」


「確かに我が扇谷上杉家の家宰だった道灌との確執が原因で争い領地を奪いはしたが、その後は顕定様に従い功を挙げておるではないか」


「恐れながら豊嶋は顕定様に臣従しておりませぬ。終始某と連絡を密に取っており申した。川越にてあった合戦も根古屋城攻めを逆手にとり豊嶋宗泰が仕組んだもの。川越城へ向かった坂戸の国人衆は某に従うのを良しとせず、密かに顕定様へ内応申し出ていた者達にござる。 そればかりか沢山城、七沢城に火の手が上がり、慌てた上杉朝昌殿が引き返すのを追撃し、矢野兵庫に沢山城を奪い一帯を所領とするよう勧めたのも豊嶋宗泰。燃えた沢山城の修繕費として某を通して矢野兵庫に1000貫文を送っており、顕定様に臣従していたとは言えませぬ。 それに成田正等は終始某に同心しておりました。その者達が感状1枚で納得されると?」


「な、何を申す! 豊嶋宗泰はワシに臣従すると使者に申しておったのだぞ!!」

「左様、使者にはそう申しても実際は某と繋がっておりました。 臣従するとの誓紙を宗泰は出したのでしょうか? 我が父、景信が生前申しておりました。万が一にも虎千代と争うな。底が知れない童だと…」


「底が知れぬ童だと? 景信は頻繁に石神井に行っていたと言うではないか! 孫可愛さで目が曇っておったのだろう。 それよりも豊嶋じゃ!! おのれ、豊嶋宗泰!! ワシを謀っておったとは!! なれば褒美など必要ない!! 即座に兵を集め成敗し、関東管領であるワシを謀った報いを受けさせようぞ!!」

「左様、道灌に濡れ衣を着せ、道灌と同心した国人衆の所領を奪いし罪、川越、根古屋城攻めにおける裏切りの報いを受けさせましょうぞ!!」

顕定が激怒し、それに追従するように定正が顕定を煽る。


「お待ちくだされ。某と和議を結んだ時の条件をお忘れですか? 豊嶋に味方する訳ではござりませぬが、和議の条件として、相模、武蔵、上野国の国人衆達の所領は和議成立時点の物とする。乱に加わった者を罪には問わないとなっておりまする。 それは上野、武蔵、相模の国人衆の全てが知る所にて、もし豊嶋を乱の際に裏切っていた事を口実に攻めれば多くの国人衆が動揺し、某に味方していた者が豊嶋に呼応し、最悪再度乱が起きますぞ!」

「なれば如何せよと言うのだ!!」


「此度の合戦は客将と言えど顕定様の兵を預かった道灌を救援に行き、そこで起きた合戦でございます。 そして顕定様は援軍を出す事も、国人衆に援軍を出すように指示も出しませんでした。恐らくあのままでは道灌は城を枕に討ち死にしていたと思われまする。 そうなっておれば援軍を出さず見殺しにした関東管領家の威信が揺らぎ、国人衆の中にも成氏に近づこうとする者が出ていたはず。それを防いだ事は認めねばなりませぬ。 故に此度は顕定様から援軍に向かうよう命じる使者が到着する前に出陣し、足利成氏軍を大いに打ち破り、道灌を救援したとして過大な褒美を与えるべきかと」


景春の言葉を聞き、顕定様は顔を真っ赤にし、拳は固く握られ血が流れている。

それを見た景春は、若くして関東管領になり政を家宰や重臣に任せていた為、自分が家臣に命じれば全て思いのままになると思いこんでいるであろう顕定に再度内心で呆れていた。


ワシの父や重臣が関東管領としての育て方を間違えたのでこうなったのかと…。

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