三浦時高の来訪

1478年6月、関東管領上杉顕定の命で川越城へ武石信康を大将として1000人の兵を向かわせたが、出陣してから10日程経った頃、再度顕定からの使者がやって来た。


使者は前回と同じで斉藤勝康だが今回は詰問の使者としてやって来たと言い、どうせロクでも無いであろう内容が書かれていると思われる書状を広げ読み上げる。

要は、命令通り川越城に援軍を出したのは良いが、何故当主自ら出陣をしないのか? 当主が出陣出来ぬならしかるべき一門の者を援軍として派遣するべきではないか。 関東管領からの出陣要請に家臣を派遣するとはどういう了見か?

という内容だ。

俺としては誰が率いて援軍に向かえとは言われていないから、援軍出したんだから率いているのが誰だっていいだろう!

って思うがどうやら関東管領からの命令なんだから当主が率いて当たり前といった感じらしい。

まったくくだらない…。


「それで宗泰殿、顕定様は書状に書かれていたように大層お怒りである。 何故宗泰殿が兵を率いて川越城に向かわなかったのかお聞かせ頂きたい。 返答次第では顕定様自ら裁きを下すとの事、心して答えられよ」

「そうですね、まず顕定様の書状には川越城へ援軍を送るようにとしか書かれておりませんでした。 それは斉藤殿もご存じのはず。 故に信頼する家臣を大将にし援軍を出しました。 それに加え以前より相模の三浦時高殿が7月にこの江戸城に参られるとの事、某が援軍として川越城に向かえば時高殿との約束を反故にする事になりまする」


「ではしかるべき一門を大将とすれば良いであろう。 何故家臣なのだ?」

「豊嶋家の一門衆は現在それぞれの領地に住む民の為、治水や開墾、堤の建設、道の整備など多忙としております。 その者を派遣するという事は民の暮らしを二の次とすることになるので、我が家臣を派遣した次第。 時高殿が帰られたら100人の供回りと共に川越城に向かおうと思っておりましたが、顕定様は今すぐ某に川越城へ向かえと?」


「本来であれば宗泰殿が兵を率い川越城へ向かっているべきところである。 今すぐにでも川越城に向かうのが筋と言うもの、急ぎ川越城へ向かうべきであろう!」

「では関東管領様から相模守護である三浦時高殿との約束を反故にして川越城に向かえと命があった為、江戸にお越し頂いてもお会いできないので川越城までお越しくださいと書状を書かねばなりませぬな。 時高殿との約束があると知っても今すぐ川越城へ向かえとの関東管領様の命ですから…」


少し大袈裟に言い過ぎた感はあったが効果は覿面だったようで、使者として来た斉藤勝康が一瞬たじろぎ、言葉に詰まっている。

「では某は時高殿に関東管領様の命で約束を反故にしてでも川越城へ向かえとの命を受けた旨を書状にしたためねばなりませぬので、これにて失礼いたします。 書状をしたため送り次第供回りの者を100人程連れ川越城に向かうと関東管領である顕定様にお伝えくだされ」


そう言い立ち上がり場を辞そうとすると、慌てた様子で斉藤勝康が俺を引き止めた。

「ま、待たれよ宗泰殿、相模守護の三浦時高殿との約束があるのであればそれを反故にしろとは顕定様も申さぬはず。 時高殿がお帰りになった後、川越城へ向うがよろしかろう。 某からも顕定様にそう申し上げる故、ご理解頂けるはず。 三浦時高殿とお会いになった後、川越城に参陣されよ」

「よろしいのですか? 顕定様は今すぐにでもと申しているとの事でしたが、後で命に背いたなどと言われ裁かれるのでは?」


流石に相模守護である三浦時高との約束を反故にしろと使者の権限では言えないようで、かなりしどろもどろになりつつも斉藤勝康は顕定に時高が面会に来るので当主自ら出陣出来ず、帰った後で川越城へ向かうと伝えると言い、世間話もそこそこに帰って行った。

いくら関東管領であっても平時ならともかく長尾景春が反乱を起こしそれが収まるどころか戦乱が酷くなっている状況で味方である三浦家の機嫌を損ねる事はしたくないようだ。

実際、豊嶋家が昨年太田道灌と江古田原沼袋で合戦をしている前後に兵を出し相模の景春方の城を幾つも落とし三浦家の所領とし現在は本拠地の三浦半島のみならず勢力を北は多摩川、西は相模川の辺りまでを手中に収めて勢力が拡大している。

機嫌を損ねでもして景春に味方しないにしても、今後、兵を出し渋る可能性があるからだ。


使者を見送り、時高を迎える準備を進めていると、7月になってすぐに三浦時高が江戸城にやって来た。

予想通り船で来たんだけど、大型の船を10隻率いての来訪だ。


現在江戸城の城下に湊を作る為、埋立ての最中ではあるが、満潮時なら船を着けられる桟橋は出来ているのでそこに船を着け今は荷下ろしをしている。

何で荷物がそんなに多いの?


湊まで出迎えに来た俺がそう疑問に思うぐらい荷物が次々と船から降ろされ、その後、時高が船から降りて来た。

「ようこそお越しくださいました。 虎千代改め、豊嶋宗泰でございます」

「ははは、堅苦しい挨拶は良い宗泰殿、それにしても以前会った時は8歳だったな、あれから6年程か、今はワシの嫡男である高虎と同じく14歳か?」


「左様でございます、今年で14になりました」

「そうか、此度は高虎を連れて来ておらぬがいずれ江戸へ宗泰殿に会いに行かせよう。 その際は当主としての心構えでも教えてやってくれ」


本気とも冗談ともつかない言葉に苦笑いをしつつ江戸城へ案内するが、現在拡張中の為、作業をしている者達が慌ただしく行き来していて少し申し訳ない気分になって来た。

品川湊にある元道灌の屋敷で会った方が良かったな…。

そんな俺の気持ちとは裏腹に時高は城下町が城から少し離れた場所に移転しているのは何故か? 拡張中の城を見ながらあれは? これは? と物珍しそうに質問をしている。

今迄の城と違い鉄砲や大型のバリスタ、連弩、投石機等使用する事を前提とした造りになっているし、道灌が建てた江戸城を本丸として、堀を巡らし二の丸、三の丸を作ろうとしてるから物珍しいんだろうな。


その後、主殿に案内し、二重ポット式冷蔵庫で冷やしたお茶と饅頭、最中を出して一服しながら雑談をした後、今回江戸城まで来られた本題に入る。

それにしても夏場なのにキンキンに冷えたお茶が出るとは思ってなかったようで是非とも二重ポット式冷蔵庫が欲しいと懇願されてしまった。

最近は豊嶋家の一門衆などを中心に普及しているので他家に広めないとの条件で今度作って送ると伝えたら大喜びしていた。

夏場の冷たい飲み物や食べ物は正義だもんね。


それに広まっちゃったら広まっちゃったで致し方なしってところだし。

なんせ単純な構造だから売りに出してもすぐコピーされるだろうから売り出してなかっただけだし、この際、三浦家と組んで大量生産して一気に売り出し荒稼ぎするのもアリかと思えて来た。

大量生産した物を一気に売ればコピーされる前にそこそこ金は手に入るだろうし…。


その辺も今日話し合ってみようかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る