その後

江古田原沼袋の合戦から約半年、1477年も後数日で終わる。

今年は京の都で発生していた応仁の乱が終結した年であり、史実であれば豊嶋家が滅んでいた年だ。

だが俺が転生し歴史を変えた為、豊嶋家は存続しているし所領も大幅に拡大した躍進の年となっている。

応仁の乱は史実通りに終結したらしいが、恐らく日野富子が居る以上これからも幕府の混乱が続くはずだ…。


合戦の後、関東管領からの使者をうまく丸め込み介入を防ぐ事に成功し、領有を認められた所領は海岸線沿いに多摩川から入間川(下流域は墨田川)、荒川までの、豊嶋郡(千代田区、中央区、港区、台東区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、荒川区、北区、板橋区、墨田区の南部、練馬区の大部分)、荏原郡(品川区、目黒区、大田区および世田谷区の一部)、新座郡(和光市、朝霞市、新座市、志木市の一部、戸田市の一部、西東京市の一部、練馬区の一部)、多摩郡の一部(中野区、杉並区、所沢市)、足立郡の一部(板橋区の一部、足立区の一部)となり一気に倍以上の領土となった。


農業改革をする前の豊嶋家の石高は68000石ぐらいとネット情報にあったので単純計算で2倍の136000石、貫高では約68000貫に及ぶ、そして合戦後、農政改革責任者の白子朝信が検地を実施し、来年度より農業改革を実施した場合の石高を計算した所、合計で215000石との事だった。

これはまだ開墾など開発に着手していない数字の為、今後開発が進めば更に石高が増加するはずだ。


白子朝信が所領の検地に汗を流している間、俺は一門衆及び家臣、従属する国人衆に豊嶋家においては貫高制を廃止し石高制を導入する旨、所領の転封がある旨を通達した。

貫高制から石高制への移行は特に問題も無かったが、所領の転封に関しては多くの一門衆や国人衆が大泉館に撤回を求めやって来たので、納得して貰うまで懇々と説明をした。

現在の所領に加え今後加増をしていく場合、どうしても与えた土地が飛び地となり領地を守るにせよ、兵を集めるにせよ手間がかかるうえ、飛び地の管理に代官などを置かねばならず所領が増えてもその分必要経費が嵩み無駄が出てしまう事、今後豊嶋家が更に大きくなった場合、国を跨いで所領を与える場合もありその為の布石であることを説明した。

実際に新しい所領での民心の心を掴み領主として土地を納める事が出て来るので今のうちからその練習をすると言った感じである。


説明するにあたって一門衆の誰もが郡を、国を治める事になってもと伝えてもイマイチ実感が湧かないようでピンと来ていなかったが最終的には転封に当たっては加増転封であり領地を整理し飛び地を無くすことで無駄を省き家を豊かにし、土地の係争等が減るという事で大体は納得してくれた。

実はこの領地整理、豊嶋本家としても早めに着手したい事だったりもする。

豊嶋家直轄領が各地に点在しそこに管理者を派遣し毎年貯えを除いた年貢を石神井城まで輸送させているが飛び地が多い為かなり無駄が生じているのが現状だからだ。


各一門衆や家臣、傘下の国人衆には年明け3日に石神井城にて論功行賞を行う旨の通達を出した後、今年を振り返ると江古田原沼袋の合戦だけでなく意外と目まぐるしい年だったと我ながら思う。


合戦後、関東管領からの使者が来訪し、その2ヵ月後には太田道灌、三浦高救の解放、そして合戦から3ヵ月後に扇谷上杉家が仲裁し和議を結ぶ形で大森実頼の解放があり、約定通り太田道灌は出家の上岩槻にて隠居し川越城に太田家の当主となった太田資常が後見の道真と共に入り、三浦家でも太郎が元服し高虎と名を改めて当主となった。 三浦家の実権は父の時高が持っているが親子関係が良好のようだから問題は無いと思う。

出家の上隠居させられた三浦高救は解放された翌月に息子の義同を連れ扇谷上杉家に庇護を求め三浦領から逃亡した。

そして忘れられていた大森実頼は大森家から扇谷上杉家に解放の交渉をして欲しいと要請があったようで扇谷上杉家が中に入り、5000貫文の金を払う事で解放された。

ただ姻戚関係にある三浦家が自家の事ばかりで大森実頼の解放に関する交渉を一切していなかった事で関係が悪化しているらしい。

俺からしたら他家を頼るより前に自分で何とかしろと言いたい所だが、大森実頼の弟である大森定頼を当主に擁立しようとした家臣達が交渉の必要は無いと言い家が混乱しており、実頼派の家臣が上杉定正に豊嶋家との仲裁を頼み解放に至ったと言った感じだ。

因みに元世田谷城主である吉良成高は一族郎党を連れ平井城に居る関東管領上杉顕定の元に身を寄せているらしい。

奪われた所領の返還を願い出ているらしいが、顕定は下手に返還せよなんて言い豊嶋家が反発し景春に味方し反旗を翻されると困る為、成高には景春の討伐が終わるまで沙汰を待つよう言っているとの事だ。

うん、返せと言っても返さないけどね。


そんな訳で捕縛した諸将も全員解放したので現在は江戸城の増改築と江戸城の城下に船を横付出来る湊を作る為の埋立てを、品川湊も同様に船を横付け出来るよう埋立の真っ最中だ。

来年には入間川沿いに堤を作る予定となっている。

これは俗に言う信玄堤と言うような立派な物ではなく予定では高さ2メートル程で決壊しない程度の物を作る予定だ。

理由は簡単で川の対岸は他家の領地で洪水が起きた際に水没しても問題ないので豊嶋領側にだけ堤を築いておけば洪水が起きても水が対岸に流れ込み豊嶋領に流れ込まなければいいからだ。

こっち側に堤があれば洪水になっても対岸に水が流れ込むからあまり高くする必要は無いと思うので高さは2メートル程にし幅を厚くするように指示を出している。

埋立ても堤も台地を削って開発を進めている場所の土や石を利用している為、耕作地が増えることも期待出来る為良い事づくめだ。

豊嶋家の財政以外は…。


うん、財政が厳しいんだよね…。

埋立は商人達からも金を出させているけど開発や堤に関しては豊嶋家から金が出ている。

おかげで俺が貯め込んだ金の殆どがこれから飛んで行くと思われる。

酒蔵と石鹸工場、鉛筆工場、紙漉場、干し椎茸、綿花栽培奨励など交易品の増産をしないとな…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る