留守番

「虎千代様、照様、肩までしっかり浸かってくださいませ」

「いや、肩まで浸かるよりも胸辺りまで浸かってゆっくりしたほうが良いから!! 肩まで長時間浸かってるとのぼせるし、まあ肩こりとか血行を良くするなら肩まで浸かるのも良いけど、心臓とか肺に負担かかるし」


照の輿入れについて来た侍女のお香が湯に浸かりながら不思議そうな顔でこっちを見ている。

いや、不思議そうな顔で見られても…。

確かに肩まで浸かればすぐに身体が温まるけど、胸辺りまで出してゆっくり使った方が良いから!

この時代の女性はブラなんて付けていないから胸が垂れてはいるがそれでも柔らかそうなお香の胸が見えるし…。


「あっ! 照様、潜らないでください!!」


ここは石神井城に作った風呂場、本当ならもっと早く作りたかったんだけど、鍛冶師が忙しくて薪を使った風呂釜作りが後回しになっていたからだ。

小型だったらすぐに出来たんだろうけど、大きめの風呂が良かったのでそれに見合う大きさの風呂釜となると長時間鍛冶師が手を取られるから一応余裕が出来るまで遠慮していたという経緯がある。

とは言え、完成してお披露目をしたら父である泰経も母も気に入ったようで毎日入るようになっている。

この時代の風呂と言うものはサウナのような物で俺はアレを風呂とは認めない!!

なので薪で沸かす風呂を作った。


今迄は沸かしたお湯で身体拭いたり、侍女にお湯をかけてもらいながら髪を洗うとかだったのが大きな風呂に浸かって風呂場で身体を洗い、髪を洗う事も出来るので便利な上、大人が5~6人は入れる大きさもお気に入りのポイントらしい。


ただ年が明けて1471年の1月になってからは風呂を使っているのは俺達と母、そして侍女だけだったりする。

事の発端は昨年末、関東管領上杉顕定が、古河公方こと足利成氏に味方する赤井文六の居城である館林城を攻略すべく、上野、武蔵、相模の国人衆に陣触れを出したため、父である泰経と叔父の泰明、そして多くの一門衆、家臣を引き連れて参陣する為出陣をして留守だからだ。


今回の合戦に俺が付いて行く事は出来なかった、と言うか行きたいとも言ってないので当然のごとく留守番をしている。

とは言え俺の家臣ではあるものの豊嶋家では新参者である風間元重が風魔衆を50人程引き連れて参陣している。

乱波働の腕が鈍らないようにとの事で参陣を許したけど、父に言った時は若干嫌な顔をされた。

どうやら名家であるが故か、乱波などを使わず正々堂々と戦うのが美徳と思っているらしい。


まあ、そんな事もあったが年明け早々、豊嶋領に陣触れを出し、父泰経は400騎を率いて出陣して行った。

400騎と言っても騎馬に乗った武者が400人と言うだけで実際の所は1人の騎馬武者に従う農兵や郎党などが4~5人ぐらい、そして徴兵した農兵が加わっている為、約3500人ぐらいの人数を率いて行った感じだ。

普段であれば200騎ぐらい率いて行くらしいのだが、昨年の収穫量が農業改革の結果、増加傾向にある為、気を良くした父が大動員をかけたらしい。

見栄を張るのも良いけど手伝い合戦で大人数を率いて行かなくても良いのに…。


勿論俺の元には風魔衆を通じて状況が伝わって来るのだが、大きな合戦と言う訳でも無いのに3500人近い兵を率いて行ったので若干他の国人衆からは引かれているらしい。

陣触れを出した上杉顕定と家宰の長尾景信は「豊嶋家の忠節、天晴!」と言っていたらしいけど、扇谷上杉家の当主上杉政真と家宰の太田道灌は苦虫を嚙み潰したよう顔をしていたらしい。


扇谷上杉家は相模の守護であるものの、家宰の太田道灌は武蔵守護代である、そして道灌と豊嶋家は婚姻関係を結んだものの仲が良いとは言えない状況で関東管領の陣触れに応じて大軍を率いて参陣した事が気に入らないらしい。

扇谷上杉家は関東管領の臣下であるが、豊嶋家が管領家に接近するのが面白くないと言うのは当然と言えば当然なんだろうけど。


そして1月末に関東管領軍は余裕で館林城を落とし引き上げた。

豊嶋軍も城攻めに参加したそうで、城攻め前夜、風魔衆が城に忍び込み、城攻めが始まると豊嶋軍の攻め口を守る兵を中から撹乱した事で、先陣をきった赤塚資茂が大した死傷者も出さず城内への一番乗りの戦功をあげたとの事だ。

その後、一角が崩れた事で館林城を守る兵達は総崩れになり城主の赤井文六は城を捨てて逃げ出し古河へむかったらしい。

因みに2月の初旬に帰って来た泰経は関東管領上杉顕定より感状を貰ったと上機嫌だった。

俺としては感状なんて煮ても焼いても食えない物を貰って何が嬉しいのか理解できないが、豊嶋家としては名誉な事らしい。

まあ感状に使われている紙が大泉で作られてる藁半紙ではなくしっかりとした和紙だっただけましと言うべきか…。


その後、豊嶋家内で論功行賞が行われ、一番乗りの戦功をあげた赤塚資茂にはお金100貫文、饅頭一箱、最中一箱、スティックシュガー3g300本入り一袋、一升瓶に入った日本酒、そして大泉で作られた清酒、おつまみのカルパスが与えられ満足そうな顔をしていた。


ていうか、お金と清酒以外俺の箱に毎日補充される物じゃない?

なに勝手に褒美の品にしてるの…。


なんか釈然としないけど褒美の品になるという事が分かっただけでも良しとしよう。

俺が家を継いだ際も褒美の品として与える事が出来るし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る