本国の官僚住宅街のとある一軒家にて
「お」
ばさばさ、と庭から配達人から受け取った新聞を広げる夫が声を上げて立ち止まった。
「貴方、そこでじっとしてられると、朝ご飯が冷めますよ」
私は窓から声をかけた。
子供も、そして最近一緒に住む様になった義妹義弟も既に席について食べ始めているというのに。
「ああごめんごめん。ほら」
夫は読んでいた面を向けて折り畳み、私に渡す。
朝食時の話題ではないのだろう。
かりかりのベーコンを添えた目玉焼き、マッシュドポテト、オレンジジュース、チーズとバター、ジャムを添えたかりかりに焼いた薄切りのパン。今朝のスープはオニオン。
「それでは行ってきます!」
最初に義弟が飛び出した。
私達がこちらに住む様になってから、学校が近いということで下宿しだした。
義妹も同様だった。上の学校に行くということで奨学金を得て、聴講生になっている。
――その奨学金はアイリーンが作ったものだった。
彼女は、男女関係なくより切実に勉強をしたい、という者に対し、返還不要の奨学金を出すことにしていた。
そしてそれに、亡き夫の名をつけている。
「じゃ俺も行ってくるよ」
行ってらっしゃい、と見送った後に、私は一人だけ雇い入れている住み込みのメイドに片付けを任せ、子供を側に置いて新聞を読み始めた。
それから郵便だの電報が来たが、とりあえずは新聞の記事に私は集中した。
例の件の裁判の決着がついた、とある。
伯爵家が中心になって行われた国家転覆の可能性もある思想犯の犯罪として、この件は私達が戻ってからも、しばらく話題になった。
*
私達が本国に戻った時には、既に警察と軍警が、例の三十人を受け取るべく待ち受けていた。
アイリーンはあれから毎日の様に兄に対して自分の記憶にあること、調べたこと、全てをしつこく言い続けたそうだ。
そのせいだろうか、伯爵令息という肩書きを持ちながらも、アイリーンのよく通る声で言い続けられた彼の個人的にやらかしたことは他の二十九人にも、そしてアイリーンの私設部隊の皆にも知れ渡っていた。
結果、彼は妹だけでなく、それを知った全く見知らぬ者、彼からしたら下層階級の者達にまで、見物に来られ、そんなことしたのか、とばかれに奇異な、もしくは軽蔑のまなざしを投げられていった。
そして檻の中から出された時に、彼はこう言い放った。
「見るな! 俺を見るなぁぁぁぁ!」
そしてがっくりと足の力を無くし、その場に顔を隠し、地べたに這いつくばったという。
引きずられて列車から出される時も、見るな見るなと大変な騒ぎだったそうである。
また、確実にある主義に染まって過激派となった者達は、どんな身分であろうと死刑が確定していた。
国家転覆は基本的には計画しただけでも有罪である。そして少しでも活動したならば、極刑は免れ得ない。
伯爵家の係累も、その一部に入っていたので、皆と同様に刑に処せられた。
「でも今は公開ではない」
私はつぶやく。
ほんの二、三十年前だったら、この国でも衆人環視の中で刑は行われただろうが、今はそうもいかない。
ただ、その様子を記者は見てきたらしく、生々しい筆致で処される時の彼等の姿を表現していた。
それは思想はともかく殺人罪が露わになった者達も同様だった。
アイリーンの兄に関しては、直接殺したという案件は無かったが、他の罪状の数が酷かった。
結果、いつ出られるとも知れないことになったらしい。
その前に酷い精神錯乱を起こしていたらしいから、病院送りになったという説もあるが、その辺りまでは新聞は報じていない。
アイリーンの両親は爵位剥奪の上、余罪を徹底的に調べ上げられ、その中に父親が娼婦を行為中に殺してしまったこと、母親の方には妊婦の腹を蹴って結果的に死なせてしまった事実が判明。
そう言えば、とアイリーン自身も子供を産む前に亡くしてしまっていたことを思い出した。
もしや…… と思うところはあったが、そこはそれ以上考えないことにした。
そうしてもおかしくはない母親だった、ということをアイリーンから散々聞いているから。
「けど、何処まで彼女が知っているかしら」
私は子供の髪の撫でながら、彼女とその親について想う。
私の様に、そもそも誰もが食うや食わずの状態だったら、売ること自体必ずしも悪いことではない。
自分のところに居ることで餓死する場合も多い様なところだったから。
そして親の存在を意識から消して生きていく。
それでも何とか後に出会った人々が比較的良い人々だったことで、私は何とか人の親をやれている。
が、それもまたメイドを一人置ける様な経済状態の家であること。
両親が私の様な外国人を受け容れてくれる広い心の持ち主だったからこちらも子育てをするだけの心に余裕ができる訳で――
もしそうでなかったら、と想うと自信は無い。
アイリーンは。
子供を失ったことを嘆き、夫を殺されたことでこれでもかとばかりに自身の才能を駆使し復讐したが。
彼女は果たして、子供が無事生まれていた時、ちゃんと愛することができたかどうかというと。
そこは謎だろう。
そんな彼女だが、最近音沙汰が無い。
戻ってきて以来、時々お茶に呼ばれたものだが。
その時には子供も連れていったものだが。
――そう思っていると。
からんからん。
ドアベルが鳴った。
はい、とメイドがすぐに出る。
奥様、と震え声で私を呼ぶ。
そこには旅支度をしたアイリーンとその義母君が居た。
「まあ! 今日ご出発だなんて知らずに……」
「いいのいいの。ところでお願いがあるのだけど」
「何でしょうか?」
少々嫌な予感がする。
「実はお義母様が砂の王国の遺跡を見たいとおっしゃって。そこで言葉を話せる通訳兼ガイドが欲しくて」
「ちょっと待って下さいそれって」
「ほんの一月くらいよ」
「いや今はですね、私には子供と家庭が」
「お子さんも一緒で」
「駄目ですよ危険なんですから」
「奥様……」
実は、とメイドがため息をつきながら、先ほど来た電報を見せた。夫からだった。
『省からも養成があった。仕方ないから一月程旅行につきあってあげなさい』
ため息をつく夫の表情が目に浮かぶ様だった。
やっとまともな日常が戻ってきたと思ったのに。
メイドはがっくりと肩を落とした私を見てぽん、と肩を叩いた。そして慌てて荷造りを始めた。
「今回だけよ。それにお義母様と一緒ですもの。物騒なことはしないわ」
「……どの口がそう言います?」
大きくため息をつきつつ。
それでも、久しぶりの砂漠の国の風景が浮かんで少しばかり心が浮き立つ自分を思い。
まあいいか、なる様になれ。
私は身繕いをし鞄を持ち立ち上がる。その前に一応ガードルには暗器も仕込み。
「お待たせしました」
今度の旅は、気楽に行きたいものだ。
夫を亡くした男爵夫人、実家のたかり根性の貧乏伯爵家に復讐する 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo
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