Lively Grave Island

故水小辰

Lively Grave Island

 白く透き通った天然の聖堂の中で、彼女は私を待っていた。


 私がこう語ることで、もし君らが彼女を抜けるように白い肌と波打つ黄金色の髪を持った天使とか女神の類だと思ったなら、私は今この場で、それは違うと言っておこう。彼女は、私が取り立てて素晴らしくもない一生の中で思い描いてきたどの使者の姿とも違っていた。

 実のところ、彼女は、私が滑落した墓場にいた先客だった。透明な棺の中で、誰かが見つけてくれるのをずっと待っていたのだ。それがたった独りでこの孤島を訪れ、自分と同じように足を滑らせて終焉を待つのみのしょぼくれた冒険家というのは何とも哀れな話だ。こちらに顔を向けて横向き寝転ぶ彼女は、いつかアジアで見たブッダの死の場面、涅槃ニルヴァーナとやらを思わせる。とはいえ彼女の場合は、悟りの境地というよりも、滑落の衝撃で意識を失い、そのまま氷漬けにされたと言う方が正しいだろう。手足は投げ出され、氷の層の中で圧迫されてとうの昔にひしゃげてしまっている。乾き切った肌は羊皮紙のようにざらつき、目、鼻、口は骨格に沿って落ちくぼんでいる。素朴で暖かそうな皮の服も、触ればぼろぼろと崩れてしまいそうだ。しかし大地を思わせる褐色の肌と黒い三つ編みは驚くほど美しく、変わり果てた姿になってもなおあどけない可愛さを残していた。今にも瞼を開いて二回ほどまばたきをし、こげ茶色の大きな瞳で私をじっと見つめ、彼女の言葉であなたはだれ、と問いかけてきそうだ。


 一方の私はと言えば、片腕をおかしな方向に投げ出して、痛む足を移動させることもできずに背中から落ちた格好のまま、頭上何フィートというところにある穴(これもそのうち氷で塞がれてしまうだろう、ちょうど彼女が閉じ込められたように)を間抜けに見上げるか、隣の先客を横目で見るかしかできないでいた。さぞや滑稽な姿で発見されることだろうと、私は一人苦笑した。聖女のごとき寝姿の彼女と、滑落事故で死にましたと言わんばかりの姿勢の私が並んで見つかるのだ。彼らはこの二体のミイラを見て、一体何と思うだろう?来たる日には同時に見けられるであろう我々について、あれやこれやと並べ立てられる仮説が見られないのは実に残念だ。どうせなら、彼らに何か書き残してやろうか?運が良ければ私の所持品もそのままの形で残るのだ、ジャケットのポケットに入れたノートだって例外ではないはずだ。私は唯一動かせる右手で胸ポケットをまさぐり、旅という旅を記録しているノートのまっさらなページを開いた。腹のポケットにはペンとインクが入っている——だが、顎でノートを押さえながらインクの壺を開けたところで、私はこの楽しい企みを断念せざるを得なかった。氷点下何度というこの氷の世界で、インクがすっかり凍ってしまっていたのだ。


***


 痛みが鈍く薄れるとともに、左腕の感覚がなくなってきた。私は細い割れ目から覗く白く濁った空を見上げてため息をついた。周囲の白さもあって、空と氷の壁との区別がほとんどつかない。


「……まったく、こんなに小さな空は生まれて初めてだ」


 私はそっと呟いた。もちろん、声は氷に吸い込まれて、返ってくる言葉もない。私は少女をちらりと見ると、眠る彼女に語りかけた。


「そうだろう? 君も私も、もっと大きな空を見ながら暮らしていたはずだ」


 顔立ちと服から察するに、彼女は大陸の北の果てに住む先住民だ。自然と共に暮らす彼らは、世界中を旅してまわった私より、はるかに大きな空に抱かれて生きてきた。こんな氷の中に閉じ込められてはさぞ窮屈だろう。


「ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな。こちらから君の住処に踏み込んだというのに、まったく私としたことが……私はジーン。ジーン・エルマーだ。君は? 君のことは何と呼べばいい?」


 私はそう言うと、彼女を改めて観察した。目鼻が落ちくぼんでいるせいで年齢以上に老けて見えるが、せいぜい十二、三歳のはずだ。すっかり厚みを失った唇で、彼女はどんな言葉を紡いだのだろう?大人しかった?おてんばだった?それとも、集落で一番の冒険家?


 きっとそうだ、と私は思った——母親と一緒に家事や手芸に精を出す子どもなら、こんな誰も住んでいない離れ小島に一人で乗り込もうなどとは思わないはずだ。この子はきっと、外の世界を見たかったのだ。自分の集落の外、父親や男たちが狩猟や釣りに行くよりももっと遠くの世界を知りたくて、一人この島にやって来たのだろう。

 この子は生粋の冒険家だ。そう思ったとき、ある単語が頭の中に閃いた。


「ライヴリーと、呼んでもいいかな? 本当は君の本当の名前で呼びたいところなんだけど、今は叶わないようだから……勝手なヤツですまないね。でも少しだけ、私の話に付き合ってくれ。もうすぐそっちで会えるから、その時はたっぷり文句を言うといい」


 当然、ライヴリーからの返事はない。それでも私は、このミイラの少女に語るのをやめなかった。

 私は、私の人生を彼女に語って聞かせた。海を挟んだ小さな島国で生まれ、幼い頃に家族揃ってこの大陸にやって来たこと。十代の半ばで学校をやめ、貿易商の伯父について世界のあちこちを旅してまわったこと。訪れた国のこと。出会った人々のこと。楽しかった話。危険な目に遭った話。ライヴリーたち北の先住民の世話になったときの話。伯父が倒れて航海ができなくなったことを機に、十年ぶりに故郷ニューイングランドに戻ったこと。そこで運命の人と出会ったこと……


「彼女は、エリザベスという名前だった。昔、私の祖国を治めていた人と同じ名前だ。私はもっぱらエリーと呼んでいた。とても立派な女性だったよ。もし君と会っていたら、君のことも気に入っていたと思う。とにかく活動的でね、私について西部からカナダまで旅したものだ。自分から行きたいと言ってついてきたんだから、大したものだよ」


 私はかじかむ手でノートをめくり、一枚の写真を取り出した。そこに写っているのは、私と、エリーと、そして私たちの可愛い一人娘ネリーだ。

 その写真は、エリーの父親が撮らせたものだった。家にとどまることをよしとしなかったエリーだが、実は私には不釣り合いなほどのお嬢様だ。写真の私は、探検用のシャツとパンツを着てごついブーツを履き、髪はぼさぼさで無精ひげまで生えている。対するエリーは小さな水玉ドットが上品な白のドレスを優雅にまとい、艶やかに波打つブルネットは一つにまとめられている。彼女はとても美しかった。ふざけて私の着古したパンツを穿いたときでさえ、その美しさは少しも失われなかった!


「私のボロ服があんなにエリーに似合うなんて思ってもみなかったよ。でも、彼女の性分から言って、ドレスよりパンツの方が合っていたんだろう」


 私は、幸せそうな夫婦の真ん中に座る笑顔の眩しい少女を親指でそっと撫でた。分厚い手袋を通して染み込む冷たさで、手の感覚もなくなってきている。それを紛らわせるかのように、私はライヴリーに向かって話し続けた。


「それから、この子がネリー……ネリー・エルマー、私たちの大切な娘だ。私たち二人ともに似たんだろう、とても元気な子だったよ。家の裏の森を探検するのが大好きだった! 君とも良い友達になったと思うよ、ライヴリー、君はネリーの良いお姉さんになれただろう」


 ネリーのことを思うと、途端に熱いものがせり上がってきた。冷え切った体に、まだこれほどの熱が残っていたとは——いつの間にか、私の両目からは涙が流れていた。頬の上で凍り付く涙の痛さが身に染みる。


「あれはちょうど、エリーのお父上が金鉱に手を出したときだった。カナダでも金が採れるという話が広まって、みんなこぞって北に渡ったんだ。私たち一家も、彼の手伝いでカナダに渡った。でも……でも、私以外、誰も寒さに耐えられなかった。最初にエリーが風邪をこじらせてね。そこから肺炎になって死んでしまった。それからネリーも……エリーの肺炎が移ったんだと医者は言っていた。まだ十にもならない子どもが、熱と咳で夜も眠れずに苦しんでいるんだ。つきっきりで看病したよ。でもある晩、夕食を片付けようとしたら、ネリーがこう言ったんだ。『行かないで、お父さん、ここにいて』って。あのとき、ネリーの言うことを聞いて横に付いてやっていたら……! だが私はすぐ戻ると言って、彼女の部屋を出てしまった。食器を洗って戻ると、彼女はもう息をしていなかった」


 私は感覚のない右手で、目元に凍り付いた涙を払い落とした。


「私はあの子に、もっと色々な世界を見せてやりたかった。エリーにも、私の目にした素晴らしいものを話してやりたかった。三人で世界を旅したかった! あの子もエリーも、あんなところで終わっていいはずがなかった。だのに私だけが生き残って……結局、ゴールドラッシュが終わって皆がアメリカに引き上げても、私はカナダに残り続けた。荷物をまとめてあちこちを放浪したよ。昔世話になったイヌイットの集落にだけ顔を出した。そこで北の孤島に行くと言って、船を貸してもらった。二人がこの世にいないなら、いっそのこと誰もいない世界に行ってしまおうと思ってね……まあ、誰もいないと思った島には君がいたわけだけど」


 割れ目から見える空は、いつの間にか暗くなっている。私は、俄然暗さを増した穴の中でライヴリーに目をやった。透明な棺の中で、彼女の影がぼんやり浮かんで見える。体力が落ちてきたのか、急に眠くなってきた——このまま眠りに落ちれば、もう目覚めることはないだろう。


「ねえ、ライヴリー」


 私は残った意識をかき集めて、ライヴリーに呼びかけた。


「最後に君に会えて私は光栄だ。私は少し休むとするよ……目が覚めたら、今度は君の話をしてくれ。それから、エリーとネリーに会いに行こう。二人を連れて、君の家族を訪れるんだ。いいかい?」


 ライヴリーは何も返さない。私は睡魔に身を任せると、皆の待つ暗闇へと沈んでいった。

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