タヌキの縁、みどりから赤の思い出へ
他山小石
第1話
父が死んだ時、大きな物語が終わったような気がした。
一つ一つの小さな物語は全て灰とともに消えていった。
今、父を記憶しているのは俺を除けば賞状や郵便物のみ。母は認知症を患い記憶の及ばない世界に旅立っている。
幼い頃父が何度も話してくれたタヌキの話があった。
山のように大きな狸の話だ。
幽霊も妖怪も信じてないが化けダヌキはいるぞ、と。
あの山の向こう。そう離れてはいない。
父の話を思い出した俺はキャンプ道具をバイクに積み込み山へ向かった。
風にも温度がある。 風の境目を山が教えてくれる。
トンネルに入れば夏は冷たく冬は暖かい風につつまれる。山はカーブを曲がるごとに姿も表情も変える。秋の山は様々な季節の風を封じ込めている。
「親の意見となすびの花は千に一つも無駄はない……か」
なんとなく父の口癖を思い出した。
一人で家にいるとぽっかりとあいた空間を感じる。父がいた母がいた、今は俺しかいない場所。
一人ですごしたくない。
近くに予約不要のキャンプ場をいくつか知っている。そろそろキャンプ場を決めないとテントの用意ができなくなる。
俺は親になることもなく50近くにもなって何をしているのか。
そろそろ夕方になるのに、一体どこまで行くつもりだ?
紅葉には少し早く、緑に包まれた山。少しずつ日は傾いていく。
山を一人行く俺は、化け狸の話を口実に父の思い出をめぐっている。自分を笑った。……笑ったのだ。
「おいおいおいおい」
タヌキだ。
「なんだ、ははは、タヌキ……ははは」
間違いない。
大きな影でできたタヌキが左側の山肌に浮かび上がった。
「ただの影じゃねえか! はは、おいおい!」
山の形が偶然、夕日に照らされタヌキの頭のような陰になっていた、……だけだった。
「わかったわかった、もう勘弁してくれ」
まさか、化けダヌキ。本当に見えるとは。
「正体みたり……、はは」
山の緑から赤に染まっていく風景に浮かぶタヌキのまぬけな頭。ツボにはまってしまった。
二輪を止め、適当な場所に水筒と非常食を取り出す。昼もまだだった。おじさんになると感覚が鈍くなるんだよな。
「化かされた気分だ。だがな、最後まで思い通りになると思うか?」
赤いキツネだ。あえて緑のタヌキではなく。
キャンプといえば凝った料理を作らねばならない、なんてことはない。
コンビニで買ったおにぎりとカップ麺でいいのだ。
冷凍食品にじっくり火を入れて使うのもアリだ。東洋水産はアウトドアの味方だ。
山で湯を沸かさなくても高性能な水筒で熱湯は持参できる。そして、冷たいおにぎりが暖かい出汁とよく馴染む。
赤い夕陽に赤いキツネ、少し伸びた影のタヌキ。
「影なら伸びても問題ない、麺は……、ははオヤジギャグだな」
少しずつ親父に似てきたようだ。
一人になりたかったからキャンプに出かけたのに。
汁は飲み干し、ゴミは持ち帰る。
「……報告だな」
今日は帰ろう。そして語ろう、真相を。仏壇に酒と緑のタヌキを添えて。
バイクのエンジンをかけながら頭は化かされたままだった。
ラーメンツーリングってのはラーツーっていうが、今日はどんつーか。鈍痛、ふふ。またツボった。
タヌキの縁、みどりから赤の思い出へ 他山小石 @tayamasan-desu
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