第9話 マイ・ピュア・レディ-9
クラブ活動がなかったので、野球部のグラウンドへ回ってみた。練習着の一年生がグラウンドの外側から声を上げている。同じクラスの小林や林もその中にいる。ちょうど、自分と同じだ、と思いながら見ていた。快音を発してバットを振っているのは上級生だった。いつも試合に出てる人だ、と思って見ていると、今度は五十嵐がバッターボックスに立った。いつもと同じように凛々しく映える姿も、今は熱中させるほどの魅力を感じない。五十嵐の打った打球は高く外野へ飛んでいく。それも、胸を高鳴らせるほどでもなかった。
―――きっと、一番人気だろう。
疑う余地はなかった。だけど、だから、遠い存在のように思えてしまう。姉は、どう思っているんだろうか。同じクラスの身近な関係で、成績についても何の隔たりもなく語り合えて、気安く応援を頼まれる、そんな五十嵐をどう思っているんだろうか。
加代子は、まだ五十嵐が打席に入っているにもかかわらず、グラウンドを後にして、家に向かった。
家に帰ると、珍しく居間で百合子がテレビを見ていた。おかえり、と声を掛けてくれたその笑顔はいつもと同じだった。
「ただいま」
「早かったのね。クラブは?」
「今日はなかったの」
「そう。あ、お風呂、さっきつけたから、もうすぐ入れるけど、よかったら、先にどうぞ」
「うん、ありがと」
いつもと同じ笑顔の百合子に加代子は、つられて笑顔を返した、つもりだった。けれども、百合子は加代子の様子がいつもと違うことに気づいた。
「どうしたの。何かあったの?」
そう訊かれて、加代子はどぎまぎしてしまった。必要以上に百合子を見ていたようだった。
「ぅん。ん、何でもない」
「そう。何か訊きたいことでもあるの?」
加代子のちょっとした仕草から察した百合子はそう訊ねてきた。加代子は、ついつられて、口を開いた。
「あのね…、こないだの日曜、野球部の応援に来てたでしょ」
「うん」
「それでね、…五十嵐先輩に頼まれたって言ってたじゃない?」
「うん。そうよ」
「五十嵐先輩って、みんなの人気者でね…、お姉ちゃんが、もし仲がいいんだったら、紹介して欲しいっていう子がいるんだけど」
「あぁ、そう。いいわよ。訊いてあげようか?」
「え?」
思いもよらない応えに加代子は戸惑ってしまった。
「五十嵐君、人気あるからね」
「お姉ちゃん…は、興味ないの?」
「あたし?あたしは、別の人のファンなの」
「え?それって…、緑川先輩?」
「んん、違うの。もっと素敵な人」
「でも、でも…五十嵐さんってカッコイイじゃない。五十嵐さんより?」
「うん」
屈託なく頷く百合子に加代子は戸惑ってしまった。
「で…でも、お姉ちゃん、応援頼まれるくらい仲がいいんでしょ」
「あぁ、それはね、あたし、去年からよく応援に行ってたの。初めは、緑川先輩のファンだったから。でも、それから他の人のファンになって、それでやっぱりよく試合を見に行ってたから、五十嵐君も覚えてて、そんなに好きなんだったら今度試合があるから応援に来てよ、って言われたの」
「でも…、野球部のマネージャーも頼まれたんでしょ」
「それは野村君にね。あんまりよく試合見に行ってたから、それならマネージャーにどう、って言われたの。もう二年だったから断ったの」
「そう…なんだ」
「よく知ってるわね。誰に訊いたの?」
「あ、あの…五十嵐先輩に紹介してほしいっていう子」
「ふーん。でも、なんか変ね。どうしてあたしのことそんなに知ってるんだろ」
「きっと、お姉ちゃんが五十嵐先輩の彼女だと思ったのよ」
「え?そうかな?」
「…ん、きっと、そうよ」
「その子に言っておいて。いつでも、紹介してあげる、って」
「うん」
加代子は大きく頷いた。百合子もにっこり笑んでいる。いつもと何も変わらない。でも、何かが変わっている。加代子は自分の部屋に入ってふとそんな風に感じた。
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