さあ、これでやっと「穴」の話に戻ることが出来る。それを見つけたのは、この部屋で暮らし始めてから四日目のこと。


 引っ越し当初はなにかと気忙しく、運び込んだ段ボールは荷ほどきもされず、部屋の一隅に積まれたままになっていた。アルバイトを決め(私設博物館の受付。ひどく奇妙な場所だけど、時給は悪くない)、こまごまとした日用品を購入し、商店街をひととおり探索したところで、やっと部屋の整理に手を付け始めた。キッチンに置いたカラーボックスにお気に入りの食器を並べる。それから、商店街にあったアジア雑貨の店で買ってきたラグを日焼けした畳の上に敷き、家から持ち込んだ文庫本を窓際の棚に置いた。これだけで、ずいぶんと部屋らしくなった。「わたしの部屋」って感じがする。


 さらにわたしはホームセンターで購入したハンガーパイプを押入の上の段に渡すことにした。押入はふすま二枚分の幅があって、それが隣の部屋との境にもなっている。直接壁で隔てるより、いくらかでも防音の効果があるはず。実際、この日までわたしは隣の住人が立てる音を耳にしたことがなかった。引っ越しのときの挨拶で、わたしはすでに隣の住人がポール・マクレーン似の大学生であることを知っていた。確かに、大音響でエレクトリックギターを鳴らすようなタイプには見えない。


 ハンガーパイプを渡すために、わたしは押入の中に上半身を差し入れた。説明書を読みながらパイプの長さを調整していく。まずは仮留めし、そこからアジャスタできっちりと固定していく。わたしは力を込めるために、さらに身体を奧へと押し込んだ。そのとき、押入の奥の壁、天井との境近くに小さな穴が開いていることにわたしは気付いた。薄暗い押入の中に差し込む小さな光。わたしはハンガーパイプにつかまりながら、右目を穴に近づけた。眼鏡のフレームが漆喰しっくいの壁に当たり、カツンと小さな音を立てる。わたしは動きを止め、隣室の気配をうかがった。けれど、やはり何の音も聞こえてこない。わたしはもう一度、今度は慎重に顔を近づけ、右の目で穴を覗いた。穴はえんぴつがちょうど収まるぐらいの大きさ。壁は思っていたよりも薄く、視界は広かった。天井近くから部屋を俯瞰ふかんするような眺めになる。


 まず見えたのは、パイプ製のローベッド。ベッドカバーはなく、無印良品で買ってきたようなアースカラーの掛け布団が載っている。その上に脱いだときのままの形でトレーナーとスエットパンツが置かれている。きっとこれが寝間着なのだろう。時刻は午後の4時を回っていたけど、まだ部屋の主は帰ってきていないらしい。調度品は少ない。ベッドはわたしから見て部屋の一番奥の壁に頭を付けるようにして置かれていた。その右隣にスチールパイプを組んでつくられたラックがあって、本や教科書が並んでいる。左隣がフロアデスク。机の上にはノートタイプのパーソナルコンピューターが置かれている。使い込まれて中綿が飛び出している円形の座椅子がその向かいにあって、そのまわりにポテトチップスの袋が3つ転がっている。いわばそのあたりが彼の居住区で、わたしの部屋側のエリアにはあまり物が置かれていない。ハンガースタンドがひとつあって、そこにジャケットやブルゾンがいくつか掛けられているぐらいだ。わたしの部屋以上に日焼けした畳の上には、いろんなものが雑然と散らばっている。コミックのカバーや帯、脱ぎ捨てられたままのTシャツ、封を開けていない郵便物(おそらくカタログか何かのダイレクトメール)、オープンエアタイプのヘッドフォン、それに雑誌がたくさん。目を凝らしてみると(矯正視力で1.0)、その多くが映画関係の雑誌だということが分かる。どうやら隣の住人は映画好きらしい。わたしと気が合うかもしれない。


 そこまで観察したところで、わたしは押入から抜け出した。


 あの穴は明らかに人為的につくられたものだ。何代か前の(あるいは、この春までここにいた人かもしれない)先住人が日々の無聊ぶりょうを慰めようとして、こんな穴をこさえたのだろう。きっとその人は男で、隣の住人は女性だったはずだ。だいたいにおいて男は多かれ少なかれ窃視癖せっしへきを持っているものなのだから。女性の素肌を見たいと思うのは、オスの脳に刻まれた強迫観念のようなもので、もっと充分に進化すれば、すべての男たちの眼にはきっと透視機能が備わるに違いないとわたしは思っている。


 わたしは男性の素肌を見たいという衝動は持ち合わせていないけど、それ以上にやっかいな「好奇心」というものを人よりも多めに抱え込んでいる。わたしの大好きな作家、シオドア・スタージョンの短編に「もうひとりのシーリア」というのがあって、これは女性の部屋を覗き見る男性の話なのだけれど、この主人公の強い好奇心を作者は『観測史上もっとも重症の驚くべき内気さに対する、風変わりな心理的補償だと見ることもできる』と言っている。まさに我が意を得たり。そう、この好奇心は心理的補償なんだって、わたしもつねづね思っていた。部外者でいること、そして同時に観察者でいることがわたしのポジションなのだ。人とは交わらず、遠くからじっと見ている。おそらく本や映画が好きなのも、その心理的作用の表れだろうと思う。手っ取り早く、合法的に他人の生活を覗き見る機会を与えてくれるのが本であり、映画であり、TVなのだから。


 それでも、わたしに葛藤がなかったわけではない。わたしは他人に迷惑を掛けることを極端に嫌っているし、できるだけ法律も守るようにしている(ときおり、信号を赤で渡ることはあるけれど)。この行為に気付かなければ、隣の住人が不快に思うこともないのだろうけど、ならばなんでもしていいかと言えば、それもちょっと違うように思う。


 とにかく、そんなあれやこれやを考えているうちに、フランクの穴(「マルコヴィッチの穴」にならって、わたしはあの穴をこう呼ぶことにした)発見の第1日目はそのまま終わってしまった。

 

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