幸せの壺

伊豆クラゲ

幸せの壺

「なんだい君は? また来たのかい? これで4回目だよ」


 急に何かが聞こえてきた。聞こえたというよりも強引に入ってこられた感覚だったから、それを声と認識するには、少し時間がかかった。

 確かに私の頭の中には、その言葉は残っている。だからといって、言葉の意味を理解できているわけで

 はない。


「来た?」

「4回目?」

 

 何のことを言っているのかさっぱり分からない。それどころか、私は今の今まで意識すらなかった。幸せと同時に居心地の悪さを感じる空間に身を預けていた感覚だけが残っているが、理解が追い付かない。あたりを見回すと真っ白い空間と黒く縦に丸い物体のような物が目にはいった。


「君ねぇ、ここに来ることすら、めずらしいことのに、4回目なんて余程のことだよ。そんなにやり残したことがあるの? よほど恨みを持っている人か、よほど場違いな人間のどちらかだよ。いや、君今までも自殺で、今回も自殺したのか」

 

 私の頭に入ってくる音は、その明らかに異様な黒い物体から発せられていることに気付いた。少しづつ私に近づいてきながら発するその音を私の頭は不なんの抵抗もなく受け入れている。それは空っぽな箱に、乱雑に物を入れても物が入るということを、見させつけられているような感覚だった。


 そのおかげというべきか、そのせいでというべきか分からないが、今の私は恐ろしいほど冷静だった。こんな訳の分からない状況で、わけの分からない物と対面していることを忘れて、最も自分にとって安らげる場所にいるかのような感覚に陥る。私が不気味な居心地の良さを感じていると、また音が聞こえてきた。


「そして、また前と同じ反応か。まさか、記憶もそのままというわけじゃないよね? いや、それは無いな。もしそうだったら何回も同じことを繰り返すような、馬鹿なことはしないよね」

 

 ずっとごちゃごちゃ言っているその物体はもう、目の前にある。一回止まったかと思いきや、再びその物体は私に近づいて来た。


「いや、とんでもない馬鹿の可能性もあるか」

 

 唐突にとんでもなく失礼なことを言われた。


「私はここがどこなのかも分からないし、以前にも来た覚えもない」


 特に意識もせずに勝手に、その言葉は出てきた。それと同時に自分が、声を出せる状況であることも今分かった。これが今私が言えること、分かることの全てだった。何もかもすべてが分からない状態だったが、不思議にも不安や恐怖という感情を一切感じていない自分に違和感を覚える。


 訳の分からない物体に話しかけられて、それに受け答えまでしているのだ。私はこんなにも、度胸のある人間だっただろうか?


「ここに来てまで嘘をつく人なんて、いないから、前の記憶も持っていないし、今回の記憶も持ってきてはいない、というのは本当のようだね。まあ、何回も来ている時点で、とんでもないイレギュラーなのは、変わりないけどね」

 

 またごちゃごちゃ言っている。ぼそぼそ発しているわけではないが、ちゃんと話を聞こうと思うと、聞きづらくてたまらない。それなのに言葉としては頭にきちんと入ってくるのだから、余計に違和感を覚える。


「いい加減教えてくれないと分からないよ。ここはいったいどこで、“私はいったい誰なの?”」

 

 ここに着て一番最初に聞くべきことをようやく問いただせた。発して初めて気づいたが“私はいったい誰なんだ?”

 

 一切の記憶も何もない。名前すら分からない。夢をみているのだろうか? 自分の情報だけが、全て欠落していることに気付いた途端にここまで一切感じてこなかった、不気味な感覚を思い出したかのように感じている。


「ここは幸せを管理する場所だよ。そして君は死んでここに迷い込んできたんだ。4回もね。」

 

 言っていることは理解できたし、なぜだかすぐにその事実を受け入れることが出来た。それは何回も来たことがある場所だからなのか、それとも、元からこんな図太い神経の、持ち主だったからなのだろうか。だが、死んでいるということは、ここは死後の世界ってことになるのだろうか?


「おそらく君が考えていることは外れているよ。ここは死後の世界ではないが、死んだ人しか来ることはできない場所だ。もっともめったに人が迷いこむことなんてないけどね。君にとってはおめでとうではないかもしれないけど、また生まれ変われるよ。君は」

 

 私自身も簡単で端的なことしか言っていないが、こいつもただ事実しか述べていない。事実に基づいた説明がもう少し欲しいところだ。


「なんで、君の考えていることが分かるかだって?それはここに来た人はだいたい最初に同じことを言うからさ。それにここが人間にとって奇怪な場所である認識は持っている。だから、聞かれる前に説明しているのさ。それに君は4回目だからね」

 

 今度は私が考えていることとは全く違うことを、あたかも全部知っていますよ、みたいな態度で話してきた。話がかみ合っているのか、そうじゃないのかも分からない。


 本当は私は声を出しているつもりになっているだけで、一切あいつには聞こえていないんじゃないかとも思った。聞こえていたとしても理解できているのか、そもそもあいつは何なんだ? 一番最初に抱くであろう当たり前の疑問に、今更ながら直面した。


「このまま君を返してもいいんだけど、そうすると君はずっと同じことを繰り返すことになりそうだから、少し話をしようか。なんで君がそんなに毎回毎回死にたがって、そして自殺なんてものを、毎回実行できるのか分からないけど、幸せっていうものを教えてあげるよ。」

 

 今のと同じ私なのか、それとも今までとは別人の私なのかは分からないがどうやら“私”というものは4回も自殺をしているらしい。たしかにそう聞くと、ここと同じくらい私自身もヤバい人間に聞こえてくる。


 まあ、全部身に覚えがないから、本当のことかも分からないんだけどね。こいつの言っていることがどこまで信じていいのか分からないが、現状他に信じることも、ついていく物も、やることもないから、この物体についていきながら、適当に話を聞いてみようか。


 「君は幸せってなんだと思う」

 

 急に動き始めたこいつに、追いついたと同時に尋ねられた。浮かんでくる答えは一つしかなかった。


「辛くないこと」

 

 私にとってまぎれもなくこれが答えだ。私に関する一切の記憶が無いから、なぜだかは分からないが、これだけは自信を持って言えることだった。そんな直観に対する自信を思っている一方で、話しながら真っ白い空間を歩いている、この状況に多少の楽しさを感じている自分がいる。そんな私の返事を聞いてこいつは、なんて答えるのだろうか。


「幸せとは壺なんだよ。大きさも形も材質も、皆違うその人その人が持ってる一個しかない壺なんだよ。だから満足できることにも差があるし、自分じゃ受け入れないようなものでも受け入れられる人がいる。」

 

 やっぱりこいつは私の声が聞こえていないようだ。私の返答は、全くのスルーで初めから用意されている言葉を言っているだけのような感じがしてきた。


「勿論すぐにいっぱいになる人もいれば、一生で一回もいっぱいにならずに終わる人もいる。」


 またもや一方的に話をしている。


「じゃあ、その壺を一杯にするにはどうすればいいの?」


 なんか、一方的に話しているこいつをうざったく感じてきたから、無理やり入り込んでやった。


「だからまずね自分の壺の大きさを知る必要があるんだ。皆これができないから、自分は不幸だと思い込んでしまう人が多いんだよ。だって自分の壺を知れば、どうすれば幸せになれるかなんてわかるでしょ?」


 一応私の声は届いているし、話の脈絡も理解しているようだ。ということは今までのは、わざとだったのか。そうなるとまた、話は変わってくるがおそらく、そのことに対して言及しても、またスルーされるだけだと分かっている。だから何も言わないことにした。


 しかしひとつ分かったことがある。こいつは人間というものを正しく理解していないのだ。人間がよく陥る知識としてだけ知っているから、その全てを理解していると勘違いするのと同じやつだ。


「人間っていうのはそんな簡単な生き物じゃないだよ。こうした方がいいんだろうなってことが、仮に分かっていたとしても、いろんな理由で出来ないことの方が多いものだし…。それにそんなの結果を見なければ分からないことばっかりだよ。結果と予想は違う。予想はできても結果は違うものになることばっかりなんだよ」

 

 今私は人間代表として、今この丸い塊に人間というものを教え込んでいる。


「でも、それって人間が馬鹿だからでしょ?馬鹿で、正しい予測できないからそういう結果を選ばざる負えないだけで、普通はできるよ。自分が何が嫌いで何が好きかを理解するだけの簡単なこと。自分のことなんだから自分が一番分かっていて当然のこと。それが壺を知るということなんだ」


 普通にイラっとする発言だ。ここに来てマイナスな感情を抱いたのは初めてだ。この正論だけを言えば、すべてが正しいみたいな態度は、なんだか身に覚えがあるような感じがする。とはいってもその覚えとは違い高圧的な態度ではないのが救いであるが、人間のことを馬鹿にしていることには変わりはない。


「でもね、ここで注意しなければいけないのはその壺は、常日頃から変化し続けているってことなんだ。ずっと同じ形でいてくれればいいと僕も思っているんだけどね。なかなか難しいんだよね。これが。いっぱい入れすぎると大きくなっちゃう人もいれば、なんかのはずみでめちゃくちゃ、ちっちゃくなっちゃう人もいるんだ。」


 人間の感情なんて、多少のことで浮き沈みすることは、当たり前だ。些細なことで喜んだり、悲しんだりする。それが常日頃行われるのが“人間”なのだ。


 他人と違って当然で皆違う。


 それなのに、皆一緒になりたがり、皆一緒になることを強制させられる。そんな矛盾なものをたくさん抱えているのが“人間”だ。


「普通に生きている人間にとって、そんな壺なんて見えてないんだから、そもそも無いのと同じでしょ。それは人間が馬鹿なんじゃなくて、ただ知らないだけ。知らないことを馬鹿にするのは違うんじゃない?」

 

 わざわざこんなことを、言う必要が無いことも分かっている。こいつが言っていることも理解しているつもりではある。でもなぜだか、猛烈に批判したい気持ちでいっぱいなのだ。本当は自分でも気づいている。これはこいつの言っていることに対して「何か」を感じているのではなく、今は思い出せない自分の奥底にある「何か」にもどかしさを感じているのだ。


「馬鹿にしているわけではないよ。ただ君に幸せについての、説明をしているだけだよ。それにこれは君にとって、特に重要なことだから特別に話をしているんだよ。なんせ、4回もここに来るくらいなんだから、よっぽど君は君自信を大切にしていないってことなんだからね。もっと自覚したほうがいいよ」


 私がいうことに言い返してきたのは、これが初めてだった。今までのような用意された言葉を並べ続けられるときと比べ、こうやって会話が成り立っていのを感じると、こいつの不気味さや不安などが薄くなっていくような気がする。まるで、安心を得ているような感覚だ。


 とはいえ、やはりこいつは、私が生きていた時のことを知っているようだ。それならなぜさっさと教えてくれないのだろうか。私がそこまで不安にしていないから、重要性を感じていないのだろうか?


「話を続けるとね、大きすぎる人はまだいいんだよ。足りない足りないって、思うだけだから。でも時々ね、壺を持っていない人がいるんだ。これには本当にびっくりだよね。だって誰しもが、持っていて当たり前の物なんだよ。というより持っていない方が、おかしいことなんだ。一番最初に見たときはびっくりしたよ。そういう人達は感情というものが壊れているんだ。でも、そういう人ほど、ごくごく普通に生活に溶け込んでいるんだよ。あれは僕たち壺を管理している側じゃないと分かんないよ」


「そうやって説明してもらえればそういう人が、一定数いると言いうことは理解できるよ。その理由を説明しろって言われると難しいけど………」


 あいかわらず、こいつの言う「壺」の話と私の「人間とは」の話を交互に繰り返し続けている状況だ。幸せになる方法を解かれているのに、人間の愚かさを理由にそれを拒否するのはいかにも人間らしい一面だ。できない原因を自分自身に問うのではなく、他の事柄のせいにするのだから。


“私が嫌っていた人間と私自身に、たいした差は無く、する側かされる側かの違いしかなかったんだな”


 ふと、そんなことを思った。

 

 しかし、これはどこから来た記憶だろう?


 こいつと話しているうちに徐々に生きていた時の記憶が戻ってきているのだろうか?それともちょうどいい、どこにでもある平凡な話を妄想しているだけなのだろうか。私の中では様々な思考が飛び交っていたため、多少の時間がたっている感覚だったが、こいつとの話は続いていることに気付いた。


「だって本当に普通なんだ。普通過ぎて普通っていう表現以外が見当たらないくらい普通なんだ。諦めているとかそういうのじゃないんだよ。諦めている人はものすごーく小さいとかしなびているとかだから。あ、たまーに壊れちゃう人もいるんだよ。なんかの具合でね、よくわかんないよね。でも僕たちは管理しているだけだから何にもできなくてさ。慌ててたらなんか急にもとに戻るからびっくりだよ」

 

 人間の心はとても脆い。よくガラスのハートなどと比喩されるが、そんな単純なものではない。全部が均等な厚さで、出来ているのではなく、とても分厚いところもあれば、軽く触れただけで崩れ去ってしまうこともある。そして、どこか一か所でも崩れるようであれば、全てに連鎖してしまう。


 個人差はあるが、いつ修復されるかもわからず、その間は嵐の中に野ざらしにされているかのように、ただただ苦痛に耐え続けなくてはならない。しかし、きっかけさえあれば、それまで以上に頑丈な心が作られることもある。そんな曖昧さと儚さを兼ね備えているのが人間なのだ。


 幸せは永遠には続かないが、不幸は永遠に続く可能性のあるものだ。些細な一個の不幸が、今まであった幸せ全てを崩してしまう。しかし時間が解決してくれたり、それ以上の幸せで塗り替えたりできるから、壺は生成できるのだろう。

 

 驚いた。こいつの言うことに、いちいち反応していたら、私なりの答えにたどりつてしまった。これが、生きていたころの私が、必死になって探していたものかもしれない…

 

 だが、なぜだろう、胸が何かに押しつぶされているような、圧迫感を感じる…



 「人間ってなんでそんなに生きる理由とかを求めるの?」

 

 ある程度の答えが私の中で出たからといってこいつとの話が終わるわけではない。いちいち私が反論するものだから、ついにこいつから私に問いただしてきた。こいつとの会話で、私の中にある、ぐちゃぐちゃしていて、ほとんど形にもなっていないような。


“なにか”がまとまっていくように感じる。


「それはそういった物がなくっちゃ生きていくのが大変だからだよ。だってただ生きていくには人生は長すぎるし、辛いことが多すぎる。」


 そうだ。希望も幸せもない状態で、生きていくというのはとても長く辛いことなんだ。


「生き抜くことに必死でなくても、生きていける世の中になっちゃったから、そんなめんどくさくて、答えのないことを、考えるようになったんだね。だってその辺にいる虫だって、猫だって、動物は皆今日を生き抜くのに、必死なんだよ。生まれてきた理由とか、なんのために生きるだとか、そんなことを考えている余裕はないんだよ。人間って暇なんだね」


「そんなことは無い!確かにそうやって言葉にされると、それが正しい事のように感じるかもしれないけど、人間だって毎日毎日大変な思いをして生きているんだ。それこそ生きているのに死んだような気持ちで生き続けなくちゃいけなかったり…」


 苦しい。とても胸が苦しく感じる。最後の方は体からやっとの思いで、絞り出した声だった。ここの空間に痛覚なんて言うものが存在するとは思えないが、今の私は、満足に息をするのも難しいほどに苦しさを感じている。苦しさと同時に嫌なモヤモヤが、頭の中に湧いてきて充満していく。今すぐにでも押し出したいもののはずが、どこか懐かしさを感じる。生前はその苦しさと共に生き続けてきたであろう。私は、この苦しさはあって当たり前という感覚にすらなってくる。やっぱり、私の生活の一番そばに合ったものは「幸せ」とは遠くかけ離れた「苦しみ」だったようだ。


「でも、怪我や病気で死んじゃうことが日常茶飯事ってことは無いでしょ。病院だっていっぱいあるし。常に死と隣り合わせな生活とは無縁でしょ」


「確かに、そうかもしれないけど、人間は心が死んでも生きていけないんだ。この苦しみは怪我するよりも辛くてずっと傷が残り続けることもある」


 苦しみでいっぱいの私に気付いていないのか、それとも苦しみというものを、認知できていないのかは分からないが、こいつは今の私の様子には一切触れずに、話を続けるようだ。本当だったら今すぐ、この場で倒れ込みたいくらいだ。しかし私はこの苦しみに負けてはいけない。無意識にそう思った。


「人から見えない物だからこそ、蔑ろにされやすく、自分でも気づかないうちに、限界値を超えてしまう」


「そっかぁ。それは人間特有のものだよね。なんで、そんな辛い思いをしながら夢とか希望とかに、すがりながら生きていこうとするの。自分から死を選ぶことが出来るのも人間特有の物じゃないかな」


 それが…それが簡単にできればどれほど楽だろうか。死を選びたくなるほど苦痛を与えられ続けても、自ら死を選ぶその一瞬の恐怖はどんなものよりも


“痛くて”


“怖くて“


“苦しい”


 しかし、一回でもその境界線を越えてしまえば、今までの苦しみを忘れてしまうくらいの安らぎが与えられる。もし、死を選ぶ前にこの安らぎを知ることができるのならば、人間にとって死はより身近なものになってしまうだろう。


 そうだ。そうならないための理由を私は探していたんだ。


「それでも生きていかなくちゃいけない理由を私は“まだ”分からない。だけど夢や希望を持つのは死にたいくらい、辛いことがあったときに踏みとどまれるように、するためだよ。自ら死ぬことを選べるけど、“死んではいけない”ということを本能的に理解しているんだ。だから人間は自分が“生きるための物”をいっぱい抱えてるんだ。持っている物に対して理由をつけて死なないために」


「それが“人間だ”」


 探していたはずの答えを、なぜか私は口にしていた。


「そっかぁ。良かった。やっと君の中で答えが見つかったんだね。自覚できていなかったのか、自覚したくなかったのかは、もうどうでもいいことだ。でもこれでも、もうここに来る必要も無くなったね」


 唖然としたと同時に色んなことを思い出した。私がここに来た原因。そして思い出したくないことまで。こいつは会話の中でずっとヒントをくれていたのだとようやく気付いた。おそらく私もそれを、心のどかでは理解はしていたのだが、認めるということは簡単なことじゃない。だから壺に蓋をして閉じ込めていたのだ。誰かにこじ開けられ、無理やり与えられたものでは無く、ヒントを出しながらこいつは私自身に開けさせたのだ。


 4回も自分から命を絶っている人間がこんなにも熱く人間について語るとは実に滑稽で笑えてくるが、それももう遅い。私は死んでいるのだから、やり直すことはできずに終わる。でも、こんなに弱い私が最後の最後で答えにたどり着いたのだ。それだけで十分すぎるだろう。


 私は今まで生きてきた中で感じたことの無い、達成感というものを味わっている。3回も人生をやり直し4回目ですら、同じ過ちで終えた人間が、初めてやり遂げたことがこれとは、心底かわいそうな、人生だったのだとうかがえる。せっかくたどり着いた答えなのだから、誰かに自慢気に話したかったが、それは叶わないことは分かっている。


「実は今回君は死んではいないんだ。正確に言うと“死ぬ予定だった”だけど君は頑張って最後の最後で踏みとどまった。だから元に戻ることはできるよ。よく、あの苦しみを耐え抜いたね。普通なら耐えきれない苦痛だけど、4回もの人生の中で苦しみに耐性ができたのかもね。まあ、君がこのまま終わらせたいっていうのなら、このまま死ぬこともできるけど。どうする?」


 この苦しみは、現実世界で私が感じている苦しみだったようだ。確かに今回は飛び降り自殺だった。だからこの胸が押しつぶされるような痛みなのか。


 まさか、もう一度やり直す機会が与えられるとは思いもしなかった。


 答えは決まっている。おそらくこいつの中でも、答えが出ているのだろう。でも今までの会話と同じように。あえてきちんと私の口から言わせたがっていることも分かる。

「私は戻るよ!戻って次こそは生き抜いてやる!」


 ここに来てからの最大声量で叫んだ。


 この言葉に一切の躊躇は無く一切の遠慮もなかった。


「じゃあ行ってきな。今の君なら大丈夫。もう戻ってくるんじゃないよ」


 初めてこいつに背中を押された。


 今までの私がどんな存在でどんなことをやってきたかは分からない。だけど感じてきたことや、後悔、諦めの気持ちは、思い出したらきりがないほど出てくる。


 でもこれからの私は同じ過ちは犯さない。

 今度は絶対に幸せになってやる!

 周りが嫉妬するくらい幸せになってやる!

 私はどんな物にも、どんな人にも負けない!


 そう決心したと同時に、こっちの私は消えるように意識を失った………



 彼女は本来いるべき場所に戻ったようだ。こんなおせっかいを焼くことなんてめったにないが、気まぐれともいうべき行動は彼女を変えることが出来、彼女自身もそれを望んでいたからこそ、成り立ったものだ。背中を押したのは確かだが、最後の重要な所は全て彼女の力だった。だからこそ、こんなにもイレギュラーだらけの結果になったのだろう。


「おそらく、まだまだ辛いことや大変なことはあるだろう。勿論、ここに来たことは全部忘れている。だけど今の君なら出来るよ。初めて未来を自分で切り開く感動をしっかり味わって。時には人に頼ることも重要だが、自分の意思を大事に。そして、君の周りにいる人は敵だらけでは無いこともきちんと実感するんだよ。君のことを気にかけて助けてくれる人は絶対にいるからね」

 

 こんなことを言っても彼女には届かないが、導いた責任として、最後は綺麗な形で締めくくってみた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せの壺 伊豆クラゲ @izu-kurage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説