みちびき

伊豆クラゲ

みちびき

 この時代に遺書というものは、どんな形で残せばいいのだろう。


 やはり紙なのだろうか?

 スマホで誰かにメッセージを送る?

 スマホのメモに書いておくのだろうか?


 一人暮らしをしていると余計に悩んでしまうことだ。メッセージだとすぐに、読まれてしまう可能性が高いから、死ぬ側としては送った人への「死の脅迫」と受け取られてしまうかもしれない。


 まあ、送るとしても家族くらいだから、それでもいいのかもしれないが。それに、自分の子どもが死ぬことに対して、何も感じない可能性もある。そうなると、スマホのメモ欄も却下だな。見てもらえる訳がないからだ。やはり無難なのは紙で書いて、家の机の上にでも置いておくことだろうか。周りの人との関係が希薄になっている現代で、自殺してもすぐに気が付いてもらえるか怪しい。


 周りに心配してくれる家族や友人がいればそんなことも無いのかもしれないが、僕にはそんな人たちはいない。両親は恨んでいるわけではないが、別にもう二度と会わなかったとしても一向にかまわない。おそらくお互いにとってその程度の存在だと思う。今まで生きてきた中で、極力人との関りを避けてきたが、まさか死ぬ直前になって、その関りの薄さに悩まされるとは思わなかった。もしかしたら読まれないかもしれない遺書を書くなんて、考えただけでも恥ずかしい。


 唯一の救いは誰からも大して必要とされていないところだろう。だって、極力一人で生きてきたのは、誰も傷つけないためなのだから。誰かと一緒にいれば人知れず誰かを不快にさせたり、傷つけたり、悲しませたりする。人にそんな思いをさせるのも嫌だし、何より自分がそんな思いをしたくなかった。喜びとか、怒りとか感情をぶつけられるのが、とても嫌だった。感情の起伏を抑えるには一人でいるのが一番だからだ。


 空虚の方がよっぽど居心地がよかった。それが寂しいと思ったことは無い、といえば嘘になるが、そのくらいの気の迷いは許してくれてもいいだろう。一人で生きていけるほど、強い人間じゃないのだから。それでも、誰にも迷惑をかけずに今まで生きてきたのだから、褒めて欲しいくらいだ・・・・。

  







 暗い夜道を歩いていたら、遠くで橋のガードレールの外側に人がいるのが見えた。瞬時に自殺を、しようとしている人だと悟った。特に何かを考えたわけではないが、これがとっさの動きというのだろう。僕は走ってその人の元に向かった。幸い周りが暗いということもあり、その人は僕がかなり近い距離にいくまで気が付かなかったようだ。

「・・・!」

 その人が僕に気が付き、目が合った時には僕はその人の腕あたりを掴んでいた。そして、両手で強引にガードレールの内側に倒れ込むように引っ張りこんだ。覆いかぶさるように倒れ込んでしまったが、何とか手をつけたことにより、僕とその人がぶつかることは無かった。


 遠くからでは暗くて、シルエットくらいしか分からなかったが、まだ学生くらいの女の子だった。だからだろう、そんなに大きくない僕でも、人一人を腰下くらいの高さのガードレールから引っ張りこむことが出来た。


 しかし、こんな少女がなぜ、自殺をしようとしていたのだろうか。彼女は唐突のことだったから一瞬は驚いた様子だった。しかし今は、とても自殺寸前だった少女の様子には見えなかった。乱れた服と髪を整えている。錯乱している様子も無く、いたって冷静な面持ちだ。本来であれば異様な雰囲気に包まれるはずだが、そんなものは一切感じられず、彼女はいたって普通のことをしていた、ように感じてしまう。


 鼓動の激しさと息苦しさでふと我に返った。普段運動なんかしない僕にとって、急に走ったことや力いっぱい彼女を引っ張ることは過度な運動に属するのだろう。本当であれば、気を使って僕から話しかけるはずなのだろうが、そんな状態であるため僕ばずっと彼女の方を見つめたまま何も言わず、ただ息を整えていた。


 すると彼女の方から声をかけてきた。


「あなた、よく見ず知らずの人に対してこんなことできますね。私が今どんな思いであそこまで行ったと思っているんですか。恐怖心に打ち勝ち後一歩のところまで来たというのに、私の頑張りを無駄にするんですか?」


 彼女は苦言を呈しているが、今起きたことに驚きを感じていないのか、抑揚のない淡々とした声だ。僕もとっさの行動だったため、何かを考えて飛び出したわけではない。自分の頭ですら何も考えていたかったのだから、彼女の気持ちに配慮する余裕なんか存在するはずもない。


「君にとっては邪魔されたかもしれないが、僕だって同じだ。いつもの通勤帰りの道で目の前の女の子が、自殺なんてされたら、この道を通りづらくなるし、目の前で人が死ぬなんてトラウマ物だよ!?」


 彼女の為を思って救ったのではなくて、自分の気分が悪くなるからとは、自分でもいったい何を言っているのだろうと思った。他にもっと気の利く言い方があっただろうに。


「あなた変な人なんですね。とりあえず、その掴んでいる私の服から手を離して、どいてください」


 彼女は少し敵意を向けながら、僕にそういった。僕はこんなにも焦ってこの子を助けたというのに、当の本人はいたって普通を装われると僕が馬鹿みたいに見られてしまう。


「だめだよ、そしたら君はまた、飛び降りてしまうかもしれないだろう。さっきはとっさのことで動けたけど、今こんなに疲弊している僕じゃ、同じことができないから。だから君がまた変な気を起こしても、大丈夫なように捕まえておくんだよ。」


 僕も意地になって、彼女を掴んだままにすることにした。この子が何を思ってこんなことをしようとしたのかは分からないが、今は必死で混乱を抑えているだけかもしれない。今僕がいなくなったらまた、さっきと同じことをしようとするに違いない。まだ、未来ある若い少女を、一瞬の気の迷いで死なせることはできない。


「あなた、馬鹿なんですね。この状況を知らない人が見たら、あなたが私を襲っているように見えますよ。通報されてもおかしくない状況なのを理解した方がいいですよ。まあ、警察が来たら私も困るので、早く降りてください。」


「っっっ!ごめん」


 さっきまでの心拍数とは、別の意味で心拍数が上がった。


 彼女のことを思って行った行動だったが全く配慮が足りていなかった。彼女はいたって冷静で僕の方が切羽詰まっている状況だ。これではどっちが自殺しようとしていて、どっちが助けた側だか分からない。


「本当にすみませんでした。この状況に夢中になってしまって、あなた自身のことに目がいっていませんでした」


 僕は彼女から手を離しながら、少し距離を取った。自分の意識の外から注意されたことに、焦りを隠せない。おそらく、彼女からしたら、とてもみっともない人間に見えるだろう。もう、子どもじゃないのに。さっきまで強気で喋っていたのに、すっかり立場が逆転してしまった。


「見ず知らずの、人が死のうとしているところによく割り込めますね、よっぽどの正義感をお持ちか、よっぽど無神経のどちらですか。普通は関わりたくないから、見て見ぬふりをしますよ。それなのに馬鹿みたいに突っ込んできて、若い女の子に傷までつけて。」


 そう言われて初めて彼女の腕から血が出ていることに気が付いた。どうやら僕が引き上げて地面に転んだ時に擦ったようだ。しかし、あの状況だったのだから、その程度の傷は許してもらいたいものだ。というより、今死のうとしていた人が擦り傷くらいで文句言うのか。


「いやぁ、つい体が勝手に動いたといいますか、頭で理解する前だったので許してください。」


「そういう行動は自分の為か、大切な人の為に使ってあげてください。こんな見ず知らずの死のうとしている人間に使うなんてもったいないですよ。もしかしたら、あなたも巻き込まれて、一緒に落ちていたかもしれないのに」


「・・・・・」


 さっきから感じていたが、彼女の話は妙にしっくりくる。唐突な出来事の後だからか、それとも目の前に彼女しかいないからなのか。本来であればモヤモヤした気持ちになるはずだが、一切そんなことは無く、妙にすがすがしい気分でもある。彼女が言っていることが正しいことは分かるが、なぜか否定した気持ちにもなる。しかし、心の奥ではそれが正しいことだということも十分に分かっている。今までに、感じたことの無い不思議な感覚だ。


「そんなに人のことを心配できるのに、なんで自分のことは大事にできないの?」


 ちょっとした疑問が口から出てしまった。配慮ができない人間だと思われても自業自得だ。だが、彼女が何を考え何を思って死のうとしていたかが、純粋に気になってしまったのだ。


「自分のことも大切にしてますよ?だから死ぬんです。それに自殺しようとしていた私以上にあなたが危なっかしく見えたから、言ってるまでです」


「自分を大切にしているのに、なんで自殺なんてしようとしてたの?それに、君が自殺しようとしてなかったら僕だってこんなことはしないよ」


 自分でも分かる。僕の言っていることは至極まっとうなことだ。世の中ではこれが、一般的な考えだ。それに僕がした行動はそんなにおかしなものだっただろうか?やったことは少し強引だったかもしれないが、あの状況じゃ仕方がないことだし。まあ、僕の方が焦っていたのは事実かもしれないけど。


「なんで死んではいけないんですか?」


 彼女から発せられ空気が一瞬で冷たくなったのが分かった。


「え?なんでって普通死んだらダメでしょ」


 唐突に彼女から投げかけられた、問いにパッと出た答えはやはりこれだった。普通は死んだらダメなんて、何の答えにもならない回答だ。僕の方が大人なのに気の利いた言葉も出ない、薄い返答しかできない。僕の人間としての浅さを感じざるをえない。


「死にたいと思っている人を、死なせてあげるのも優しさじゃないんですか。本当は死にたくないと思っているのであれば、別ですけど、心の底から死にたいと思っている人は死んだ方が幸せなんですよ」


 死なせてあげる方が幸せ?そんな考え方は思いつきもしなかった。確かに、脳死とか、重度の障害とかを背負った人に対しては、そんな話題も出ることではあるが、普通に生活できている少女がそんな答えにたどり着くことはあるのだろうか。


「さっきあなたは自分を大事にしろって言いましたけど、私は十分に大事にしてきました。辛い事にも充分耐えてきました。充分に耐えてきて、これ以上傷つかないために、もう休ませてあげることにしたんです。死にたいと願っている私にとって死は救済なんです。これって間違ってますか?」


「確かにそういう物の言い方をすると正しく聞こえてしまうけど、それはただ、逃げているだけで、君が死ねば解決することじゃないでしょ!?」


 一瞬の気の迷いで自ら死を選ぶことはダメだ。ましてはまだこれからの若い少女が自分の人生を低く見積もってはダメだ。


「逃げて何が悪いんですか?それは余裕があって、関係の無い立場だから言えることですよ。綺麗ごとです。私が死ねばこれ以上私は辛い思いをしなくていい。これで解決するんです」


「で、でも、君が死んだら家族とか友達はきっと悲しむよ」


 おそらく、このぐらいの歳の子は、死にたいと思っていても、それを自分の周りにいる人には言えないんだ。だから、誰にも打ち解けられない思いが、自分の中で膨れ上がっているだけに違いない。きちんと家族や友人が説得すれば引きとどまってくれる。


「悲しむからどうだっていうんですか?それに死んで悲しいのは死んだ本人じゃなくて残された人だけ。死にたいと思っている人を止める理由は、死のうとしている人以外が原因なんですよ」


“他人が悲しむからなんだ”真正面からそう言い返されると何にも言えなくなってしまう。


 ダメだ。僕では彼女を止めることはできない。僕と彼女とでは向き合ってきた死への想いが違う。


「でも今君は死のうとしておきながら、僕の説得を聞いているよね?それは本当は止めて欲しいってことなんじゃない?」


 ただ、だからといってこの場から去るわけにはいかない。今僕がこの場からいなくなってしまったら確実に彼女はさっきと同じことをするだろう。


「今この場にはあなたしかいません。もし止めて欲しいのならば、もっと人の多いところに行きます。それに人がほとんど通らないから、ここを選んだんです」


 あくまでも僕がここを通ったということは、偶然だったのか。この言い方からして彼女はずっと死ぬ場所を探していたのだろう。


「あなたがなんで、そんなに私を止めようとしているのか分かりませんが、私はもう十分頑張ってきたんです。いろんなことに耐えてきたんです。だからもういいんです。一生分の辛い思いはしました。もう終わりでいいんです。私にとって生きることは辛い事なんです」


「でも君の両親とか友達とかは悲しむんじゃないかな・・・」

 もはや僕の声には力はない。僕ではどうしようもないから、さっきと同じことを言う。“普通は”そうであると思っているから。


「自ら望んで生まれてきたんじゃないんだから、別にいいじゃないですか。それにもし、悲しむとしても一瞬だけですよ。じきに私のことなんて忘れて、いつもの日常に戻りますよ」


 まさにその通りだ。両親への感謝は自分が受けた幸せの量に比例する。彼女がどんな人生を送ってきたかは分からないが、不幸な人生だったのなら、それは両親への憎しみにもつながることだ。彼女の中では周りに対する、感謝も特別な感情も無いのだろう。しかしそれは彼女が悪いのではなくて、周りの環境が悪かったのだと想像がつく。生まれる場所は選べないのだから、彼女の努力だけでは変えられないことがあるのは当然のことだ。


「あなたはなんで生きているんですか。私には死にたい理由がある。だから死ぬんです。死なない理由って死ぬ理由がないからだけですよね。生きる理由って死ぬ理由がないからだけですよね」


 その言葉は今の僕には、あまりにも突き刺さる言葉だった。彼女の話を聞けば聞くほど、自殺に対する抵抗感がなくなり、彼女の言うことは全部正しく聞こえてしまう。


「誰だって、痛い思いや辛い思いは、したくない。消えるように、眠りにつくように死にたい。それなのに今の日本ではそれが許されない。だから苦しい思いをして痛い思いをしてやっと死ねるんです。それを自分の気分が悪いからっていう理由だけで、止められた私の気持ちが分かりますか」


「君の覚悟を邪魔して申し訳なかったとは思ってるよ。だけど、目の前の人がどんな思いで死のうとしているなんて、分からないでしょ?」

 冷静で淡々としていると思っていた彼女も止められたことに対して、怒りは感じているようだ。ここまで死に、きちんと向き合ってきた、彼女でさへも、死の直前は怖いのか。


 今までその思いから目を逸らし、ずっと逃げてきた僕では、到底耐えられるものでは、ないのだろう。



「君は遺書みたいなものは用意したの?」


 これもあくまで参考だ。死を目前にした人間は、どんな準備をするのだろうか。


「よくあるじゃないですか。ずっと嫌いだった人が死に際に、急に優しくなったり、私はこんなにあなたのことを考えていたアピールするやつ。あれほど自己中なことってないですよね」


 彼女の言葉は急に鋭利な棘になった。過去にそれらしき事があったのは、容易に想像できる。それと同時に僕にも思い当たる節がある。というより、誰しもが心当たりがあることだと思う。


「自分が死ぬ間際に自分の行いを清算しているつもりなんでしょうけど、残された側としてはただただ迷惑なだけですもの。もし、ずっと恨んでいたり、嫌っていたらこっちが悪いことをしていた感覚になるじゃないですか」


「確かに、そういう人は多いよね。だけど、目前に死が迫っていれば弱音を吐きたくなる気持ちも、分からなくもないけどね」

 僕が今まで抱いていた、モヤモヤが幻覚だったかのような感覚に陥った。僕は言葉のままに受け取っていたことを、彼女はその言葉の裏まで理解していたのだ。これは今までそういった機会に、多く対面してきたのではなく、それだけ他人の言葉に敏感なのだろう。これは生まれつきのものなのか、それとも彼女の環境がそうさせたのか。どちらにせよ、生きづらい人生を送ってきたのだろう。数分前に会った少女に、僕の数年間の想いを晴らしてもらえると思っていなかった。


「あなたの言う通りだと思います。だけど、だからといって生きてる人に、不快な思いを擦り付けていい理由にはなりません。だから私は何も残さないで死ぬんです」


 彼女の行いは優しさからくるものでは無い。彼女は、自分が大切にされてこなかったことを、十分に理解している。だから最後の当てつけなのだ。無気力で達観している彼女だが、初めて人間らしい、子どもらしい部分を見たかもしれない。


 でも僕は、彼女を可哀そうな目でしか見ることができない。死ぬことでしか、他人に迷惑をかけられないことに。きっとわがままも、言えないような環境だったのだろう。大人にも、周りの人にも頼っても仕方がないと、思わざる負えない環境だったのだろう。


 全くもって共感できなければ、僕も自分勝手に彼女に、正義を振りかざしていたと思う。しかし、理解できてしまうところがあるからこそ、僕は彼女側に引かれている。


「結局死ぬことを止められるのは自分自身しかいないんですよ。誰かに何かを言われたからって、その後の人生が楽になるわけではない。ただ、辛い道に連れ戻されるだけ」


「ごめんね、それが赤の他人だったら尚更だよね。無責任なことして、申し訳ない」

 もう僕には、彼女に対して強気に出ることはできない。だって、僕の中でも決心がつき始めているのだから。しかし、まだ寸でのところで躊躇している。


 僕よりも若い少女が僕よりも死生観について語っているその姿は、長い間死と向き合ってきたということが良く分かる内容だった。この話を聞いてまで、赤の他人の僕が彼女に偉そうに、どうこう言える立場も無ければ、度胸も無い。



「もう、十分話しましたよね?じゃあ、もうどっか行ってもらっていいですか?」

 彼女は、そう言いながら立ち上がり、再橋のガードレールを超えようとしている。僕はどうすればいいか、分からず、彼女を目で追うことしかできなくなっている。勿論僕の選択肢の中に、“彼女を止める”という物は無い。問題は僕はこの後どうすればいいのかだ。彼女の話を聞いて揺らいだこの感情を、どうすればいいか分からないのだ。


 いや、答えは出ている。だけど、最後の一歩が踏み出せずにいるのだ。


「そこにいるのなら、それでいいですけど」


 彼女は最後にこちらを向いた。さっきは前のめりで、落ちていこうとしていた彼女だが、あえて僕と目が合うようにした。

 色の無い目をしていた彼女の瞳は、色が付いたように輝いている。そして満面の笑みを僕に向けた。いや、これは僕に向けてのものでは無い。やっと死ねることへの笑みだ。


 彼女に対して何の感情も抱いていなかったが、その瞬間彼女が美しく見えた。死を渇望した人間の、死に際の美しさを見た。

  

 彼女が飛び降りてからどのくらいが経っただろうか。あたりの様子は全く変わっていないから、僕の感覚ほど時間は経っていないのかもしれない。彼女の言ったことは正しく、この道は彼女を見つけてから今まで誰も通りはしなかった。


「ありがとう答えをくれて。ありがとう手を引いてくれて。」

 ずっとずっと分からなかったんだ。だけど君との会話は僕がずっと探していた答えをくれたよ。


 偶然って本当にあるんだね。きっと僕が今日君と会ったのは、神様から許しが出たってことだよね。


 もう、我慢しなくていいってことだよね?

 もう、楽になっていいってことだよね?

 もう、死んで言いてことだよね。


 ここまで心が穏やかになったのはいつぶりだろうか。どんなに辛いと思った時でも、見ないふりをすれば、辛いだけですんだ。でもそれは、一瞬のことで、消えてなくなることはなかった。だけど、一回でもきちんと向き合うとそれは、思いのほか大したことでは、なかったことに気が付いた。


 今の僕には先に行った彼女が勇者のように見えた。先に行って怖くないことを教えてくれた。本来なら死にゆく人を見れば、恐怖が勝のだと思うが、そんな気持ちは一切ない。だって、彼女の姿を見れば、そんなこと思うはずがないだろう。僕の目に映った彼女の最後は、満面の笑顔だった。


 自ら命を絶つことを選ぶほどの、苦難を味わってきた少女が見せた、その姿は世の中のことをまだ何も知らない、無垢な少女そのものだった。


 そんなものを魅せられてしまったら、超えられないで苦しんでいた、その一線先に一体何があるのか、自分の目で確かめたくなってしまっても、誰が責められるだろうか。だけどまあ、みっともない話ではある。きっかけも、最後の一歩も全部彼女に与えられたのだから。やっぱり人生とは、生きた長さじゃなく、何をして、何を感じたかなのかもしれない。


 先に向かった彼女から、靴一個分くらい離れたところから、僕も飛び降りた。一切の躊躇もなく、流れ落ちるように。恐怖は一切ない。そんなものを感じていたら、ここまで僕を導いてくれた彼女に対して失礼だからだ。自分の顔を見ることはできないが、満面の笑みであることは言うまでもない。だって、こんなにも口角が痛いのだから。

 これでやっと幸せを掴むことが出来た。


「ありがとう・・・」

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