消えたがりのわたしが変わるまで

夏木

第1話 最初は明るかった


 成人した今でも、保育園の時に先生に聞かれた将来の夢の答えを覚えている。


 周りの子は子供らしく、「ケーキやさん」「ヒーロー」「おもちゃやさん」なんて可愛らしい答えを出している中、私が答えたのは『お医者さん』。


 ひねくれにひねくれたこの答えはもちろん、本心ではない。


 ヒーローなんて実際に存在しないのだから憧れないし、甘いものもそこまで好きじゃないからケーキ屋になりたくない。大人になっておもちゃを扱うのもなんだか変(今の私は全ての職業を尊敬しています)。だから、周りの子が語る将来の夢を馬鹿にしていた。


 そんな中選んだお医者さんという夢。そう答えたのには、過程がある。

 頻繁に医者にかかるような病弱な子でもなかったため、医者と言えば注射をする人ぐらいでしか考えてなかったから、むしろ医者は好きじゃない。

 それでもどうしても、将来の夢を言わなければならない状況で、ぱっと頭に浮かんだのは、姉の将来の夢だった。


 リビングの壁にかかっていた、誕生月に送られる保育園からの色紙。そこに夢を書かれているのだが、姉の色紙には将来の夢の欄に「お医者さん」と書かれていた。

 なら、これを真似しよう。


 医者と言っておけば、大人もいい顔をする。そうだ、そうしよう。


 そう考えたのが五歳のころ。

 周りの求める姿に合わせて生きることを選んだのはこのころからだと思う。



 ☆


 小学生、中学生と私は学校内で優等生を演じた。

 運動は苦手なので、中の下ぐらいであったが、学力は校内一を競うレベル。テストではいつも九十点前後をたたき出し、学年順位は片手でおさまる順位をキープ。


 音楽会では毎回ピアノ伴奏もやったし、小学校の鼓笛隊では目立つ指揮をやった。

 書道の成績もよくて、文字は綺麗に書ける。


 大人からはきっと、「いい子」と思われていただろう。

 そんな生活に慣れ、私は小中学校時代、明るい子として終えた。



 変化がやってきたのは、高校生になってから。


 県内のそこそこ偏差値の高く、家から少し離れた学校に入学し、そこで私は変わった。

 同じ中学からその学校へ進学した人はほぼおらず、実質孤独の中で迎えた学力テスト。

 しっかり勉強して挑んだ。中学時代のように。

 しかし、結果はよくなかった。


 今まで学年順位で低くても十番ほどだった私が、高校で初めて四十番台をたたき出した。

 それが悲しくて、勉強を繰り返す。でも、成績は上がらず。

 挙句の果てに、授業についていくこともできなくて、百点満点の数学のテストで四十点台をとってしまった。


 今まで唯一と言っていいほどの取り柄だった、学力。

 環境が変わった高校で、その取り柄がなくなった。


 絶望。

 悲しみ。

 無力。


 当時の私は負の感情に包まれた。


 勉強だけが取り柄の私だったのに、それが無くなってしまったら私の存在意味がなくなる。

 ここにいる意味も、生きている意味もない。

 私は誰にも求められていない。

 生きていたくない。

 ここからいなくなりたい。


 入学してそうそうに、私の心は壊れた。



 人によっては、勉強ぐらいで、と思うかもしれない。

 でも、私には耐えがたいことだった。


 気持ちを人に吐き出すのは、みっともない。そうどこかで思っていたが故、この気持ちを誰かに伝えることはなかった。

 表では明るい子を演じ、裏では闇を抱える。


 当時使っていたウェブ日記に、闇を書き綴った。


 消えたい。

 いなくなりたい。

 誰も必要としていない。

 こんな私はいらない。


 まだ残っていた心が、「死にたい」という言葉を使うことを回避させていた。

 死にたいと言えば、祖父母が悲しむ。自分よりも若くして孫が死ぬなんて、そう思って泣き、ショックで死ぬかもしれない。それは嫌だ。

 だから、私は死にたいのではなく、消えたかった。


 闇が大きく膨らむにつれて、ウェブ日記だけでは心を保つことができなくなってきていた。

 それゆえ、私はハサミを手に取ってしまう。

 痛みで、心を守ろうとした。


 小さな眉毛を整えるハサミで、腕を切る。

 プチプチと浅く皮膚を切ること二センチほど。血を見て、のんきに「ああ、血が出たな」しか思えない。

 時間が経って、血が固まったら絆創膏で蓋をした。

 俗にいう、自傷だ。かなり軽めの。

 やったのは一度だけだったが、どこかスッキリできた。


 この時のことも、唯一のはけ口であるウェブ日記に書いた。

 そうしたら、翌日、友達に声をかけられた。


「もしかして切ってる?」


 一瞬ひやっとした。何か言われるのではないか、ひかれるのではないか、さらされるのではないか。

 そんな心配をよそに、友達は言葉を続ける。


「私もなんだ、ほら」


 そう言って友達は、自らの腕を見せてくれた。

 そこに残っていたのはいくつもの赤い円状の傷。その子曰く、ハサミをぐりぐりと押し付けてできたものらしい。


「私もだし、あの子もなんだ。あの子の方がもっとやってるの」


 今度は別の子も加わり、私達は互いの傷を舐めあった。

 抱えた物が大きすぎて、それが傷へつながる。それは、言葉にしないけど助けてほしいという声にならない声なのだ。

 苦しんでいるものは、人によって違う。だから、傷を持つ仲間ができても闇がなくなるわけではない。

 ただ、私だけではないのだ。そう思うことができたからか、自分よりももっと大変な思いをしている人がいるとわかったからか、私は二度目の自傷をすることはなかった。


 そう思ったけど、取り柄を失った私の闇は絶えず膨らみ続けた。

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