<第一章 罅(ひび)に満ちた空の下で>
第一話 赤いスカートの死神 前編
「私、世界を平和にしたいなあ。そのためなら戦争で戦ってもいいよ」
傍目には平凡な教師夫婦の間に生まれ、少なくとも傍目からは、平凡な少女に見えた。少々感情的な面はあったが、それが大きな問題になることもなかった。
両親は、このアーリアルの言葉に、最初はあいまいに笑っていた。唯一、姉だけは彼女を褒めた。
両親の笑みが凍りついたのは、アーリアルが勝手に軍へ志願し、後見人として両親のサインを書類へ書くよう求めてきた時だった。
言外に反対する両親を置き去りにして――言外止まりならばつまりはその程度なのだと――、十二歳のアーリアルは軍人学校へ進学した。
辺境国ワーズワースの、田舎町の軍人学校で、彼女は目覚ましく進歩した。
あらゆる同級生、先輩、教師を置き去りにし、ついには「化け物」とかつてあだ名された元パイロットのベテラン教師を、空戦シミュレータの模擬戦で圧倒した。
この時、十五歳。
実戦に出ることを許可されたのは、軍の慢性的な人手不足と、教師たちの見栄によるところも大きい。自分たちは、こんなパイロットを育てたのだと、彼らは言いたかった。
だが、何よりの理由は、アーリアル自身の実力にあった。
■
大ぶりのバッグ一つを手に、アーリアルは初夏のワーズワース空港でバスを降りた。
「わあ、何度見ても空港ってでっかいな。ワーズワースのでこれなら、サントクレセイダ本国ならもっとなんだろうなあ」
白いブラウスと赤いスカートを、高地の風が揺らしている。
両親との亀裂は決定的だったが、既に振り返るつもりはない。
父は怒鳴りながら、母は泣きながら、出征の書類へサインした。これまで、そこまでの感情を娘に見せたことはなかったのに。アーリアルは、戸惑うというよりも、白々しい気分になった。
この空港は、七割がたを軍用のスペースが占める。早速、アーリアルは敷地の東側に配された軍事務所へ向かった。
空は青く、どこまでも高い。この空港の周囲はなだらかな丘陵に囲まれているが、稜線に切り取られているはずの空は、平地で見るよりもずっと広く見える。
「あ、あなた。そこから先は軍の関係者しか行けませんよ」
そう言ってきたのは、アーリアルと同じくらいの年恰好の少女だった。紅茶色の髪をポニーテールにしている。
「私、関係者なんですよ。パスはこれ」
アーリアルが身分証を取り出して見せると、少女は軽く目を見開いた。
「驚いた。あなた、パイロットなのね。私、マリィ・アールセン。空港の中で父と兄がやっているレストランの、手伝いをしているの。よろしく、ええと、アーリアル・キングス」
「料理人なんですね。立派です」
「そんな大げさなものじゃないわ。私だって子供だもの。十五歳、同い年ね。ね、かしこまった話し方はやめて。でもあなた、もう軍に入るのね」
「ええ――あ、いや、うん。空には大人も子供もないと思ってる」
「その代わり、地上では嫌というほどの書類と、大人の理屈が待ってるわよ」とマリィは悪戯っぽく笑い、「アーリー、私、ここでは一日の長があるの。事務所へ案内するわね」
さっきまでレストランの仕事をしていたのだろうエプロン姿のまま、マリィは歩き出した。
アーリアルがそれに着いていくと、飛行機の整備場を横目に通り過ぎ――ひときわ目を引く黒い機体がアーリアルの目に焼きついたが――、二人の目と鼻の先に軍事務所の建物が近づいてきた。
そこでいきなり、
「おっと、待ってくれ。君だよ、マリィの隣の君」
二人は、整備場から響く声に呼び止められた。今日はこんなことが多いな、と思いながら、アーリアルは声のした方を振り向く。
そこにいたのは、整備工の青いツナギを着た、年若い少年だった。
「何か?」とアーリアルが尋ねる。
「君、新しいパイロットか? 僕は二週間前からここにいる」
「あんた、私に先輩風を吹かせようっていうの?」
「違うよ、逆だ。君、飛行機を見る目が優しいね。これは、戦いの道具だっていうのに。だから気になったんだ、君のこと」
少年は、つややかな黒い髪を、無造作に少し伸ばしている。季節は盛夏に向かっているというのに、長さのわりに暑苦しさを少しも感じさせなかった。それは彼の、やたらと白い肌のせいだったかもしれない。
「私はアーリアル・キングスだよ」
「僕は、ザクセン・フウ。ザックスと呼んでくれ」
ザクセンは微笑してそう言う。
アーリアルは胸を手のひらで叩き、
「ザックス、笑ってくれてもいいよ。私、子供の頃からの夢があるんだ。私が飛行機に乗って、
ザクセンは、更に笑みを濃くした。本当に笑うなんて、とアーリアルが歯ぎしりする。しかし。
「嬉しいな。アーリー、君もそう思ってくれているなんて」
アーリーは、ザックスの邪気のなさに、それ以上言葉が出なくなった。
■
三人揃って軍事務所へ入ると、一人の、三十歳そこそこだろう軍人が迎えてくれた。訓練された体がまとう、ほどよい武骨さは、いくらかアーリアルを圧迫した。思わず、視線を合わせられずに床に落としかけて、負けん気を込めた目で再び男を上目遣いに見上げる。
「遠路をよく来たな。私はキーフォルス。中尉だ。他は全員出払っているから、後で改めて紹介しよう。アーリアル・キングス、君の優秀さは聞いている」
アーリアルは、ぱっと顔を上げて勢いよく応えた。
「聞いているだけでしょう。私は、早く戦場に出たいです」
「幸か不幸か、そうなるだろう。マリィとザックスとは、もう顔を合わせたわけだな。狭い基地だ、仲良くやってくれ」
小国ワーズワースの軍事務所の中は、一般家庭の居間程度の広さだった。そこに、いかめしいデスクと、本当に目を通されたのかも疑わしい、新人についての書類の束――表紙にアーリアルの名前が見えた――が、いくつも無造作に置かれている。
「キーフォルス中尉、私の席はどこでしょう?」
「アーリアル、アーリーと呼んでも? 君の席はそこだ。椅子も机も少し大きいが、すぐに慣れるだろう。二週間ほど訓練を積んだら、いつ実戦に出てもらうかも分からん。読める資料は今のうちに読み、できる準備は全て済ませておくように」
「はい。あの、基地長にご挨拶をしても?」
「ああ、すまないな。オールデリ基地長は多忙でな、ここのところ基地にいつかん。言いたくはないが、この東部戦線は劣勢だ。お思いのところがあるのだろう。いずれ近いうちに見えるだろうがね」
アーリアルは敬礼し、示されたデスクについた。
マリィは、すでに顔見知りのキーフォルスと挨拶をし合って退出し、軍事務所の中はアーリーとキーフォルス、そしてザクセンの三人だけになる。
キーフォルスが、棚から小ぶりな白いマグを取り出した。
「アーリー、これは新品だ。君に与えよう」
「ありがとうございます。ところで、飛行機を見に行っても?」
「構わん。優れたパイロットなら当然の感情だろう」
「私、誰よりも活躍してみせます。きっと」
「頼もしいな。我が部隊には、君と同格の新人パイロットもいる。戦果を期待している」
「私と同格……?」
アーリアルはつい首をひねった。増長するつもりはないが、自分の訓練時代のスコアは、他を遥かに圧倒するものだったはずだ。それこそ、教師ですら及ばないほどの。
「新人というと、私の同期ですか?」
「そうだ。自己紹介は済んでいるのだろう?」
そう言ってキーフォルスが視線を送った先には、先ほど知り合った、黒髪の少年がいた。
「あんた、整備工じゃ……」
「整備は趣味。仕事はエースパイロットだ、未来のね。改めてよろしく、アーリアル・キングス」
ザクセン・フウは、そう言ってうやうやしく一礼した。
「ワーズワースで、私と同格のパイロット……そんなの、軍学校で聞いたことない」
「わけあって、僕は別の場所にいたんだ。実力は、遠からず証明してみせるよ」
ザクセンが、またもあの、邪気のない笑みを浮かべた。
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