令嬢の恋が筋肉と脂肪に挟まれている話―ベルテール王国より―

秋保千代子

01.ダイエットしなさい!

 ゆっくりと分厚い唇が開いた。

「こんにちは、ヴィオレット」

 そこから漏れた音はまごかたなき人間の言葉だ。

「久しぶりだね。三年ぶりかなぁ?」

 おっしゃるとおりでございます、と答えなければいけないのに、ヴィオレットは声を出すことができなかった。

 なぜなら、おののいていたからだ。


 対面しているのは、同い年十八歳の、少年から青年に変わる途中の人。

 彼の肌は驚くほど白い。顔はまんまるを通り越して丸い。ぽってりと膨らんだ頬に鼻の穴は埋もれかけている。

 両手も厚くムチムチしていて、両足の高価なブランド革靴はとてもきつそうだ。

 胸と腹を包む上着の布はピンと引っ張られ、左右をつなぐボタンが限界を訴え続けている。

 それもこれも脂肪のせいだ、間違いない。


 諸悪の根源をしっかり視認した上で、深呼吸を繰り返し。

「あの」

 ヴィオレットは言葉を絞り出した。

「本当に、本当に、シャルル王太子殿下でいらっしゃいますか?」

「そうだよ! 僕こそがシャルル・パトリス・ドゥ・ヴァロワ! ベルテール王国の王太子にして、ヴィオレット・アメリーと婚約する予定の男だよ!」

「冗談でしょう!!!!!!!!!」


 力の限り叫んでから、ヴィオレットははっとなった。

「ご、ご無礼をいたしました」

 これはよろしくない。

 ヴィオレットは、ベルテール建国の時から王を支えている両翼の片割れ、ヴニーズ侯爵家の娘だ。誇り高く、気高く、常に己を律していなければならない。

 声を荒げるなどしてはならないし、王家に逆らうなどもってのほかだ。

 この身を包む水色のドレスも、未来の婚約者同士が再会する場に相応ふさわしく、と選ばれた一着だ。ヴィオレットを美しく見せるための絹のドレス、そのひだの一つをつまんで、片足を引く。

 淑女の礼を取りながら。

「このヴィオレット、殿下と再びお会いできて幸せでございますわ」

 言った。よし、言えた。よく言えた、えらいぞ、ヴィオレット。


 そして、絞り出された一言が嬉しいのはヴィオレットだけではなかった。

「ほら、聞いたか、ハロルド!」

 シャルルも喜色満面で後ろを振り返った。ヴィオレットも視線をそちらに向ける。シャルルが腰を下ろしたソファの後ろにも人がいたのだ。


 年齢はヴィオレットとシャルルより上だろう。背も高い。背筋をしゃんと伸ばし、引き締まった体で、淡い灰色の生地に紺色のステッチの入った三揃えを優雅に着こなしている。

 さらには、涼やかな瞳には穏やかな光、薄い唇には笑みを浮かべている。

 好青年、かつ、美青年。王都に生きる者はこうでなくては、という見本のような青年だ。


 なのだが。

「ヴィオレット嬢。ウソはおっしゃらなくてよろしいのですよ」

 唇に笑みを浮かべたまま、眼鏡を指先で押し上げて、彼は言った。


 正直なところ、ヴィオレットは入室した瞬間から彼が気になって仕方なかった。

 その立つ位置から王太子の従者だろうと思われる美青年。

 しかし残念ながら、部屋の主はシャルルなのだから、彼を優先しなければならない。王太子に挨拶して、美青年に反応するのはそれからだ。

 その、やっと巡ってきた、美青年に反応する1回目の機会は、毒舌への驚きだった。


 なんだかとても、刺激の強い単語が飛び出してきた気がする。

「ウ、ウソ!?」

 そんなものは言っていない、多分。ぱちぱち、と瞬くと。

「ええ、偽りなくおっしゃってください」

 彼は応えた。

「三年ぶりの再会を嘆きたくなる変わりようだとはっきり述べていただいて構わないのですよ」

「本当に!?」

 また本音が出てしまった。令嬢失格である。

 前のめりになった体を元に戻す。コホン、と咳払いをする。

 よし、落ち着いた。


「ええ、そう。そうですわね」

 ゆっくり、弁明の言葉を口にする。

「再会を喜んでいるのは本当ですわ。ただ、その……」

「何故こんなに太ったのですか、と」

「そう、そこなんです!」


 この美青年、できる。ヴィオレットの本音を的確に突いてくる。その勢いに乗ってビシッと指先をシャルルに向けた。

「何故太ったのです!?」

 彼は、ヒィッ、と情けない声を上げ、頭を抱えた。パツンパツンの袖に覆われた太やかな腕でまんまるな体を抱えて、ソファに沈み込むと、布張りのソファがギシギシとイヤな音を立てた。

 それほどまでの、実に立派な肥満体だというのに。

「怒ることないじゃないか。しか太ってないよ?」

 シャルルの言に眉が跳ねた。

?」

だよ!」

 勢いよくシャルルが立ち上がる。その瞬間、ソファの中から何かが割れる音がした。


「な、何の音?」

「座面の板が割れた音ですね。殿下の負荷に耐えられなかったようです」

「負荷ってなんだよ、負荷って!」

「重たいということですよ」


 また眼鏡を押し上げて、青年が言う。

「体重101kgは、人間の重さとしては規格外と言えます。ソファは規格外の重さに耐えられるように設計されてはいないのですよ」

「え、僕、そんなに重たかったっけ?」

「ええ。昨晩の記録は101kgです。ちなみに、3週間前、王宮にお戻りになった際は99kgでした」

「三週間でさらに太ったの!?」

 ヴィオレットはまた、つい、叫んだ。

 なのに、シャルルと青年は至極落ち着いている。

「たった2kg、誤差範囲だよ」

「ええ、誤差範囲ですね。記録を確認する限り、3年前、高等学校リセ入学時は59kgだったとのことですから、2kgは誤差でしょう」

「おや、寮生活の間に40kgも太っていたんだ。知らなかった」

 シャルルはにこにこと笑う。


「まあ、仕方ないよね。寮の食事、すごく美味しかったんだもの。人参サラダキャロットラペは塩が効いて食べやすいし、クロワッサンもさくさくに焼けててねえ。フライドチキンは脂と油のバランスが良くてペロリといけるんだ」

「お食事が美味しかったのは分かりました」

 ヴィオレットは両手の指先でこめかみをもんだ。

「シャルル様が進学された学校の寮生活で太った、ということもよく分かりました」

 わざと震えた声で言ったのに、シャルルはのほほんと頷く。

「勉強するとおなかが減るんだ。だから、たくさん食べちゃうんだよ」

「それは同感です。頭脳労働に糖分は欠かせません」

 ですが、と青年が溜め息を吐く。

「度を超えた摂取は、体重の増加という事象を通じて、周囲にも悪影響を及ぼします。現に今、ソファが買い直しとなりましたからね、勿体ない」

 真っ二つに割れたソファを見やって、青年は呟いた。

「やはり、サステナブルの観点からも肥満を解消した方がよろしいかと」


 この瞬間。

 ぷつん、とヴィオレットの中でも何かが音を立てた。

「シャルル様」

 ゆらりと顔を上げて。

「このヴィオレット、ゆくゆくはシャルル様と結婚し、この王国を支えていく身なのだと自覚して、頑張ってまいりましたのよ。なのになんですか、その姿は! 人間としては規格外の重さというのは、どういうことですか!」

 だぁん、と床を鳴らす。履いた靴の高いヒールが悲鳴を上げる。

「ああ、靴まで壊れた」

 美青年が呟いたのも聞こえたが。

 耐えきれず、叫んだ。

「ダイエットしなさい!」

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