令嬢は狂わしい詠唱に世界の命運を委ねた

萩宮あき

第1話 令嬢、邂逅ス

 背中を突き飛ばされた。

 手から傘がはじき出され、ジュリエッタの華奢な体は車道の上に勢いよく投げ出された。体勢を崩したまま、道路の真ん中に倒れ込んだ。


 通学路には叩き付けるような雨が降っている。

 純白のブラウスは泥にまみれ、仕立て下ろしのプリーツスカートは無惨に破れてしまった。


 そして見上げた。

 突き飛ばした犯人は歩道にじっと佇んでいる。暗い目に涙を溜めながらじっと自分を見下ろしているのは、学友のテレサであった。


「ごめんなさい」


 テレサの震える声が、雨音の中に聞こえた。

 絶望の底から搾り出すような声。


 同時に、彼女の背後には、こちらの成り行きを窺う一団が見える。

 テレサを虐めていた連中だった。主犯格の女は底意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべながら、どうやら動画を撮っている。


 ――なるほど。


 先日、虐めの仲裁に入ったことを連中は根に持っているらしい。そして、あろうことかテレサの手を使って、私への制裁を果たそうというのだ。


 奴らに人の心は無いのか。

 煮え滾る怒りを抑え、こうして瞬時に観察の目を走らせながらも、ジュリエッタは必死に体を起こそうとした。

 しかし、もはや全てが手遅れであることは分かっていた。ここに投げ出された瞬間から、それを悟っていた。


 もう、すぐ傍まで、音が迫っている。

 顔を道路に向けた。


「世は無情ですわね」


 制限速度を大きく超過した十トン級のダンプトラックが向かって来る。

 このままジュリエッタの体を引き裂き、巻き込みながら、何十メートル先までも走り続けることだろう。


 自然と涙が滲んだ。

 悔しいとか、悲しいとか、そんな気持ちはもうない。ただただ、凄まじい速度で迫って来る鉄の塊が怖かった。


 ジュリエッタは怯えた目を見開いたまま、自分が死ぬまでの数秒を待った。

 苦しまず逝けることを願った。


 その瞬間――

 世界中が灰色となり、時の流れが止まった。


 トラックの巨体、跳ね上がる泥水、降り注ぐ雨、テレサと悪童たち――全てが停止した映像の一コマとなった。


 自分一人を除き、全てが動きを止めている。

 いや、自分一人ではない。

 背後にもう一人、誰かが――


「貴方に、二つの選択肢を与えます」


 振り返ると、見知らぬ女性が一人佇んでいた。


 穏やかな落ち着いた声であった。

 神々しい純白の衣装に身を包み、その威厳のある立ち姿は神をかたどった彫刻のようだ。感情の籠らない笑顔を静かに向けて来る。


 世界は未だ動く気配を見せない。

 ジュリエッタは荒い息をつきながらも、その妙な相手をよく見ようと、しとどに濡れた長いブロンドを掻き上げた。


「これは一体、どういうことですの」

「私は転生の女神。死にゆく者の魂を異世界へと召喚する者です。貴方には二つの未来が用意されています」


 女神は反応を窺うように少し言葉を切り、また静かに言葉を続けた。


「お選び下さい――。異世界に移り住む未来か、あるいは――このまま苦痛に叫びながら轢き殺されて、醜い挽肉として死に果てる未来か」



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